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 2009年(平成21年)、富士通のトップが突然辞任し法廷での争いに発展した。一方でリーマン・ショックの余波が広がるなか、クラウドコンピューティングが台頭。国内外のITベンダーは戦略転換を迫られた。

辞任後に録音テープを公開した富士通の野副州旦・元社長(右から2人目)
辞任後に録音テープを公開した富士通の野副州旦・元社長(右から2人目)
写真:共同通信
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 衆議院議員総選挙で民主党(当時)が308議席を獲得し、政権交代を果たした2009年。富士通における突然の「政権交代」が話題となった。

 発端は9月25日、同社の野副州旦社長(当時)が辞任を発表したことだ。理由は「病気療養のため」とし、間塚道義会長(同)が社長を兼務する人事を公表した。野副氏の辞任をめぐり、様々な憶測が流れた。

富士通と元社長が法廷で争う

 2010年に入り、富士通と野副氏の対立が表面化した。

 同年2月、野副氏は「虚偽の理由で辞任を迫られた」として取締役会決議の取り消しと真相究明のため第三者委員会を立ち上げるよう富士通に要求。富士通は相談役に就いていた野副氏を同年3月に解任するとともに、社長を辞任した理由を「不適切企業との関係」に訂正した。

 争いの火種となったのは当時富士通の子会社だったニフティ(現ノジマ子会社)の再編問題だ。野副氏は2009年2月に秋草直之取締役相談役(当時)や間塚氏らに対して、ニフティ株の売却先としてある投資ファンドの名前を示した。富士通は野副氏が社長を辞任した理由として、ファンドの関連企業に「好ましくない風評があった。取引関係を持つことはふさわしくない」(富士通)という点を挙げた。

 両者の対立は法的争いに発展した。野副氏は裁判所に取締役としての地位保全の仮処分を求めた。さらに辞任を求められた際のやり取りを録音したデータを2010年4月に公開した。このデータは地位保全の仮処分の申し立てを巡って争うことになった際に、富士通が証拠として提出したものだ。

 野副氏は仮処分の申し立てをいったん取り下げたものの、同年5月に同社の代表取締役としての地位保全を求める仮処分を再申請。裁判所は同年6月に仮処分申請を却下した。野副氏は同年8月に富士通と秋草氏ら4人を相手取って損害賠償などを求める訴訟を起こしたものの、最終的に二審で退けられた。富士通社長には山本正已氏(現取締役会長)が同年4月に就任した。