巨大防潮堤が生み出す“射流” とは~足首の高さで流される津波
「高さ15センチの津波で、成人男性が流される」
東日本大震災の検証の結果、これまでの常識を超える現象が起きていた可能性があることがわかってきました。「射流」と呼ばれる、その現象。発生させた要因は、皮肉にも、町を守るはずだった巨大な防潮堤でした。(社会部記者 森野周/社会番組部ディレクター 津田恵香)
2020年3月にニュースや番組で放送された内容です
目次
「津波防災の町」を壊滅させた巨大津波
国内で観測史上最大級となる巨大津波が襲った地区があります。岩手県宮古市の田老地区です。高さ10メートルの「万里の長城」とも呼ばれた防潮堤に町を囲まれ、「津波防災の先進地」として知られていました。
しかし、3月11日、津波は高さ10メートルを超え、防潮堤を乗り越えました。津波は市街地に流れ込んで住宅が次々と流され、この地区だけで、181人が犠牲になりました。なぜ、防潮堤に守られた町で、このような被害が起きてしまったのでしょうか。
写真が語る 防潮堤超える瞬間とは…
取材を進めると、防潮堤のすぐそばで津波を目撃した人に、話を聞くことができました。漁協職員の畠山昌彦さんです。畠山さんは、地震のあと、防潮堤の内側にある3階建ての建物の中から、海側を眺めていました。そのときは、まさか防潮堤を越えて、津波が襲ってくるとは思ってもいなかったと言います。
しかし、堤防を越える高さの津波が迫ってきたことから、もう避難する余裕もないと、建物にとどまった畠山さん。思わず持っていたカメラのシャッターを切りました。
堤防を乗り越える瞬間を捉えた写真です。まず、大量の濁流が防潮堤を乗り越えて、一気に町中に入り込みます。
速度を上げて町に流れ込む津波。1分足らずで、多くの建物が流されていきました。
(畠山さん)
「家が、本当にドミノ倒しのように、あっという間に流れるんです。『ダダダ』って。川の流れなんかよりもっと速い、たるの水を『ドン』と倒したような、一気に襲いかかるようなスピードの津波でした」
世界初の規模で襲った「射流」
この、スピードの速い津波の正体とは? 畠山さんの撮影した写真を、津波工学が専門の中央大学の有川太郎教授に見てもらいました。
有川教授は、聞き慣れない現象の名前を口にしました。
「これは、『射流』と呼ばれる現象が起きていると考えられます」
「射流」とはどういう現象でしょうか。有川教授は、ダムの放流の映像をイメージするとわかりやすいと言います。高い場所から水が流れ下ることで勢いが増し、急激に速度が上がるのです。田老地区では、高さ10メートルもの防潮堤を越え、斜面を流れ下ったことで、「射流」が発生したと言います。
有川教授は、田老地区を襲った「射流」は、世界で初めてのものだと考えられると言います。
(有川教授)
「10メートル級の巨大な堤防ができてから、それを乗り越える津波がきたことは世界的にもなく、人類が初めて経験したことだと思います。こうした現象を、しっかりと検証していくことが必要です」
“実物大実験” 防潮堤の斜面を再現
「射流」にはどれほどの力があるのか。検証するため、有川教授に依頼して実物大の実験を行うことにしました。大学の実験施設に、田老地区の防潮堤と同じ高さの斜面を再現する装置を設置。水を流れ下らせることで、その力を調べます。
装置の中に、重さ70キロ、幅20センチの箱を入れます。成人男性の体重で、両足の幅の程度という設定です。体重70キロの記者が力いっぱい押しても、ほとんど動かない重さです。果たして、水の力だけで動くのか…。半信半疑のまま、実験を待ちます。
足首の高さで成人男性が動く力が…
有川教授の掛け声で、水が、斜面を一気に駆け下ります。そして、箱に当たった瞬間、激しい水しぶきとともに、2メートル以上にわたって箱が流されました。
実験を繰り返した結果、水深15センチの津波でも、成人男性の重さに相当する箱が、大きく流されるという結果が出ました。これは、足首の高さ程度の津波でも、大人の男性が足をすくわれ流されてしまう可能性があることを示した結果だと分析されています。
さらに、速度を分析すると、秒速8メートル、時速30キロにのぼりました。大人が全力で走っても、逃げるのが難しいようなスピードとなっていたのです。
(有川教授)
「ここまで大きな力が出るということが、今回の実験のいちばんの驚きです。防潮堤は、ある高さの津波までは町を守りますが、ひとたび防潮堤を越える津波がくると、その背後に非常に大きな力が加わる可能性があることが見えてきた。田老地区では、津波が破壊力を増したことで、被害が大きくなったと思います」
防潮堤が誘った「油断」
「射流」を発生させた、田老地区の巨大防潮堤。今回、地区の多くの人に話を聞きましたが、「津波は防潮堤を乗り越えない」と考えて避難が遅れた人もいました。
その1人、戸塚力さん(74)です。長年連れ添った妻のきくえさん(当時62)を、津波で亡くしました。
3月11日、戸塚さんは、地震のあと、防潮堤の内側にある自宅に、きくえさんと一緒にいました。津波が防潮堤を越えることはないだろうと油断して、すぐに避難しなかったのです。
そして、地震発生から約30分後。家の外で様子を見ていたとき、戸塚さんは、念のため「避難所に行くけど、おまえはどうする」と、きくえさんに尋ねます。すると、「私は、近所の人と避難するから」と言い、家のほうに戻ったのです。
戸塚さんが避難所に向けて歩いている途中に津波が押し寄せ、きくえさんは亡くなりました。あのとき、きくえさんと一緒に避難しなかったことを、9年たった今も悔やみ続けています。
(戸塚力さん)
「防潮堤を過信してしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。防潮堤があるからと、絶対に過信してはいけません。地震があったら、必ず、すぐに高台に避難することが必要です」
防潮堤の背後は危険 油断せず逃げて
ここで指摘しておきたいことは、「防潮堤が被害を拡大させた」わけではないことです。専門家の検証の結果、防潮堤には、津波が町に流れ込む水の量を減らし、町に入る時間を遅らせる効果がありました。
ただ、今回の検証を行った有川教授は、ひとたび、津波が防潮堤を越えると「射流」の発生などで、逃げるのが難しい状況になることを知ってほしいと考えています。
(有川教授)
「防潮堤がある事によって、間違いなく被害は軽減します。しかし、10メートルや15メートルの巨大な防潮堤があっても、津波が乗り越えてくる可能性がある。そして乗り越えると、防潮堤の背後は非常に危険な状態になるということを知ってもらいたいと思います。地震が起きたら、油断せず高いところに逃げることが、何よりも大事です」
巨大防潮堤の建設が進む中で
今、東日本大震災の被災地では、高さ10メートル以上の巨大防潮堤が次々と完成しています。さらに、全国的にも、巨大津波に備えた堤防・防潮堤のかさ上げ工事が行われている地域があります。しかし、それが完成しても、町が絶対に安全になったということを意味しません。
「堤防だけでは、命は守れない。いち早い避難が必要だ」
あの日、痛感させられた大切な教訓を、いま一度、心にとめておく必要があると、取材を通じて感じました。
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