工場での仕事を突然、解雇された22歳の女性。
次に向かったのは、農家でした。
午前1時から夕方5時までほぼ休みなく働き、一緒に来た仲間は次々に逃げ出しました。
今は3か所目。福祉施設で働いています。
それでも彼女は、笑顔で言いました。
「将来、小さな洋服店を開くという夢があります。日本で頑張って働きたい」
ベトナム人技能実習生たちの“夢と現実”が、そこにはありました。
(水戸放送局記者 住野博史)
2021年7月16日社会
工場での仕事を突然、解雇された22歳の女性。
次に向かったのは、農家でした。
午前1時から夕方5時までほぼ休みなく働き、一緒に来た仲間は次々に逃げ出しました。
今は3か所目。福祉施設で働いています。
それでも彼女は、笑顔で言いました。
「将来、小さな洋服店を開くという夢があります。日本で頑張って働きたい」
ベトナム人技能実習生たちの“夢と現実”が、そこにはありました。
(水戸放送局記者 住野博史)
取材のきっかけは、関東地方でベトナム人の元技能実習生が摘発される事件が相次いだことでした。
中には、豚を違法に解体したとして逮捕されたケースも。
「日本を訪れる実習生たちに何が起きているのか」
茨城県で事件や事故の取材を担当していた私は、その実情と背景を知りたいと取材を始めました。
とは言っても、ベトナム人技能実習生の知り合いはいません。
話を聞かせてくれる人がいないか、支援団体に相談しました。
一連の事件とは全くの無関係ですが、その団体を通じて知り合った実習生のひとりが、ダン・ビック・ゴックさん(22)です。
母親と写真に写るゴックさん。
ベトナムの首都ハノイからおよそ70キロ離れた農村地帯の出身です。
ゴックさんが8歳のときに両親は離婚し、母子家庭で育ちました。
母親の月給は、日本円でおよそ4万円。
苦しい家計を支えるため日本に行くことを決め、高校を卒業したあと半年間、日本語を勉強しました。
そして100万円余りの借金をして、おととし5月に技能実習生として来日しました。
将来の夢は、地元の町で小さな洋服店を開くことです。
来日して最初に働き始めたのは、茨城県内の電子部品工場でした。
一緒に来た実習生とともに、3年間働く予定でしたが、去年5月、新型コロナウイルスを理由に突然、解雇されます。
借金は少しずつ返していましたが、まだ30万円残っていました。
(ゴックさん)
ベトナム人の実習生30人くらいで電子部品の組み立ての仕事をしていました。私にとってはとてもいい仕事で、3年間働く予定だったのに、コロナで急に仕事がなくなってしまい、すごくショックでした。
解雇されたゴックさんが向かったのは、長野県の農家でした。
工場を解雇された実習生32人が、国の特例措置で複数の農家に分かれて働くことになったのです。
ところがそこで待ち受けていたのは、想像を超える過酷な労働環境でした。
未明の午前1時から正午まで11時間。1時間休憩して、また夕方5時まで。
レタスや白菜などの種まきや収穫をひたすら続けました。
夏の厳しい暑さの中、休みはほとんどありません。
あてがわれた部屋は、社長の自宅の和室。
社長の荷物が置かれた部屋の狭いスペースに実習生3人で寝ていました。
睡眠時間も取れませんでしたが、耐えるしかなかったと振り返ります。
(ゴックさん)
普段は男の人を雇っていた仕事で、私は男の人のようには働けなかったので怒られました。「仕事ができなければ辞めろ」ときつく言われて苦しかったです。半年間ほとんど休みはなく、台風が来たときも働かされました。
耐えられずに逃げ出す実習生もいましたが、ゴックさんは残りました。
その理由をこう語りました。
「コロナの影響でなかなか仕事は見つからないと思いました。仕事がある分、まだいいと思って働き続けました」
逃げ出した実習生が支援団体などに助けを求めたことで、ゴックさんも新たな職場に移ることになりました。
一緒に長野県の農家に移った実習生32人のうち、最後まで残っていたのは6人だけでした。
そして、3か所目となる職場は、茨城県内の障害者施設。
食事など利用者の介助が、主な仕事です。
最初は、自分にできるのか不安だったといいますが、まじめな仕事ぶりで施設の評価も高いそうです。
ことし6月には試験に合格し、「特定技能」の在留資格を取得しました。
(ゴックさん)
介護の仕事はやったことがなかったのですごく心配でしたが、少しずつ慣れてきました。農家の仕事ほど大変ではないので、いい仕事を見つけられて運がよかったと思います。障害者のお手伝いをして、喜んでもらえたらうれしいです。
そして、こう話しました。
「大変な状況は続きますが、5年間頑張って日本で働きたい。夢をかなえるために」
ゴックさんたちを支援した茨城県ベトナム人協会。
この中で、相談会を開くなど、困窮した実習生たちの支援にあたっているのが、レ・ヴァン・タンさんです。
新型コロナ以降、タンさんたちが支援にあたったのは、およそ200人。
ゴックさんのようにようやく落ち着いて働けるようになった人もいる一方で、制度の壁で困難な状況に陥った実習生もいます。
タンさんが開いた相談会に訪れた25歳の男性。
建物の外装工事を行う茨城県内の会社で、技能実習生として働いていました。
1枚30キロある板を運び続ける仕事で、多いときは月に28日働きましたが、20日しか働いていないとされたことがたびたびあったといいます。
保険料や家賃、光熱費で10万円ほど引かれ、手取りは4万5000円ほどでした。
そして去年11月。
会社で1枚の紙にサインを求められました。
(実習生の男性)
「仕事をもっと早くやります。もしできなければ、仕事を辞めて国に帰ります」と書かれた紙を渡され、「サインしなければ、あしたから仕事はできない」と言われたんです。
男性は納得できず拒否しましたが、仕事には出られなくなり、結局、2週間後に退職届を提出。
その後は、友人の家を転々とし、支援団体に助けを求めました。
ところが支援団体が再就職の支援に動き出そうとしたとき、制度の壁に阻まれます。
国の特例措置では、雇用主が「コロナを理由に解雇した」と入管に届け出れば、ゴックさんのようにほかの仕事ができる在留資格が与えられます。
ただ男性は自分で退職願を出していたため、「自己都合で会社を辞めた」とみなされたのです。
在留期限が切れれば、帰国しなければならない状況に陥りました。
(実習生の男性)
ほかに道はないので、最後の手段として“不法残留”を選ぶしかないと思いました。日本に来るために親に借りたお金さえ返せていない状態なので、すごく心配になりました。
出入国在留管理庁は、ベトナム政府の入国制限措置などの影響で帰国が困難な人に、特別な在留資格を与える対応をとっていて、男性も支援団体の助けを借りて認められました。
ただ「新型コロナで失業した」とは認められず、半年間の在留資格しか得られませんでした。
就労もアルバイトとして週28時間までと大幅に制限される中、男性は水産加工会社で働いていましたが、2か月後に改めて取材するとすでに辞めていました。
東京の会社に移ったということ以外は、わかりませんでした。
外国人の在留問題に詳しく、みずからも支援に携わっている杉田昌平弁護士は、次のように話します。
(杉田昌平 弁護士)
いったん在留資格のない不法残留の状態になってしまうと、手を尽くそうと思っても公的な支援がなくなるのでとても難しくなる。一方で、お金さえ支払えば、SNSで偽造在留カードも通帳も買えるし、仕事も住む場所もあっせんしてくれる。それが母国語でできてしまうので、不法残留への道は高速道路のように整備されていると感じます。
実習生たちが不法残留にならないよう、全国の自治体が、どうすれば在留資格を変更できるのかベトナム語で適切に情報提供をしたり、労働問題や職業紹介の相談に乗ってくれたりするワンストップの窓口を急いで整備する必要がある。
今回取材したゴックさんたち実習生が置かれた状況について、ニュース番組で放送しました。
すると、しばらくしてうれしい知らせが届きました。
「茨城県ベトナム人協会」と連携している「日本ベトナム友好協会茨城県連合会」に、放送を見たという企業などからコメ300キロやクッキー570袋など食糧支援が届いたのです。
(日本ベトナム友好協会茨城県連合会 山口やちゑ会長)
ベトナム人から「雇い止めになった」や「アルバイトもできない」といった声が多く寄せられる中で、支援したいと企業から申し出があったので大変ありがたかったです。
コロナ禍の中で追い詰められ、さまようことになった技能実習生たち。
周囲のサポートがあるかないかで、日本で引き続き働くチャンスを与えられるのか、不法残留に陥ってしまうのか、格差も生じていました。
今回の取材を通して、技能実習生たちをめぐる制度の限界を感じると同時に、彼らのために奔走する人たちの姿も目の当たりにしました。
今の日本社会に欠かせない存在となりながら、困難な状況に陥ってしまう実習生を少しでも減らすことができたら。
これからも取材を続けていきたいと思います。
水戸放送局記者
住野博史 2019年入局
県警・司法取材を担当
外国人関連の取材にも取り組む
趣味はドライブ
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