高梨沙羅 3回目のオリンピック 感じた世界との距離

ジャンプをゼロから作り直し、なみなみならぬ決意で挑んだ3回目の大舞台、北京オリンピック。
日本のエース高梨沙羅選手は4位でメダルには届かなかった。
「私はもう出る幕ではないのかな」
世界のトップとの差を見せつけられた形となり、その目からは大粒の涙が止まらなかった。
(スポーツニュース部 記者 沼田悠里)

目次

    「絶対にメダルをとらないといけない場所」

    初出場のソチ大会は4位。前回ピョンチャン大会では、銅メダルを獲得した高梨選手にとって、オリンピックとは「絶対にメダルをとらないといけない場所」だった。

    15歳から世界の女子ジャンプ界を引っ張り続けたエースは、ピョンチャン大会まで「結果を残さないといけないという気持ちでいっぱいで、かなり視野が狭かった」とプレッシャーと戦い続けていた。

    そしてピョンチャン大会を終えた高梨選手は、金メダルを獲得するためにあえて厳しい道を選んだ。
    国際大会で何度も勝利を重ね、10年ほど続けてきた「ジャンプの形」
    体にすり込まれている形をゼロから作り直すことを決断したのだ。

    そのポイントは主に4つだった。

    1 ゲートから「カンテ」と呼ばれる踏み切りの先までの助走路の姿勢
    2 「テイクオフ」と呼ばれる踏み切りの瞬間
    3 空中での姿勢
    4 着地

    “世界の波”に付いていくため

    一つ一つの動きを見直し、何度も何度も飛び続けて理想の形を追い求めた。
    しかし、ピョンチャン後の2シーズンは、ワールドカップでわずか1勝ずつ。
    結果が伴わなかったが、その思いはただ一つだった。

    高梨沙羅選手

    「自分の中で前のジャンプに戻そうかという葛藤もあったが、絶対に変えなければこのレベルアップの波についていけなくなる」

    4年後、オリンピックの頂点に立つために、みずからの信念は揺らぐことはなかった。

    2020-21年シーズン、高梨選手は第2段階の「テイクオフ」にまでたどりついていた。下半身の使い方を改善し、踏み切りの瞬間に100%の力を伝えられるようにしたのだ。力強い踏み切りは飛距離を生み出し、少しずつ結果もついてきていた。

    オリンピックへ 変わった“ジャンプ”への気持ち

    オリンピックに向けた4年間で、ジャンプの技術以外でも大きな変化が生まれていた。

    高梨沙羅選手

    「これまで私はこうだ、こうじゃないとだめだという感じだった。でも今はいろいろなものを吸収して自分の力に変えられるようになってきて、すごくオープンな気持ちというかゆとりを持って練習にも試合にも臨めている」

    気持ちにゆとりを持てたことで、自身のジャンプを作り上げることがただただ純粋に楽しかった。

    その気持ちの変化は、自然と結果にもつながっていた。

    最終段階の“壁” オリンピックへの模索

    ところが、今シーズンのワールドカップで高梨選手は苦しんでいた。

    技術は着実に進歩しているはずも結果が出ない、そんなもどかしさを常に感じていた。

    胸の内を聞いたのは、去年12月末。
    高梨選手にオリンピックについて尋ねると「結果も残していないのにこんな取材を受けてしまって申し訳ないです」としたうえで、こう答えた。

    高梨沙羅選手

    「自分がよしと思っていても結果を残せない試合は続いている。表彰台に上がるトップスリーの壁というものを感じている」

    その壁の一つが、新しく作り上げてきたジャンプの最終段階の「着地」だ。
    両手を左右に広げ、足を前後に開いて着地する「テレマーク姿勢」が決まらないことが多く、飛型点が伸び悩んでいたのだ。

    ノーマルヒルは飛距離で差が出にくいため、わずかなポイントが勝負の分かれ目となる。

    ほかのトップ選手は、ワールドカップでの飛型点の平均は50点台。
    個人総合2位、ドイツのカタリナ・アルトハウス選手は54点台を出すことも多い。

    一方、高梨選手の平均は50点に満たない。作り上げてきた強い踏み切りから生まれる高さのあるジャンプは、飛距離を生み出しやすい分、着地でバランスを取ることが難しく、乱れにつながりやすいのだ。

    高梨選手はあえて高いスタート位置から飛んでテレマーク姿勢に入る練習や、クロスカントリー用の板の細いスキー板を使って着地の際の重心移動を逐一、確認するなどしてオリンピック本番直前まで、模索し続けていた。

    “恩返しできなかった自分がただただ悔しい”

    2022年2月5日、北京オリンピック、個人ノーマルヒル。

    最大のライバルとされていた今シーズンのワールドカップ個人総合トップ、オーストリアのマリタ・クラマー選手が新型コロナウイルスの検査で陽性となり出場できなくなる中、メダル争いはより混戦が予想されていた。

    強い風が吹きつけ、たびたび中断される中で行われた1回目。
    高梨選手は98メートル50を飛んだものの、あとに飛んだ選手たちは100メートル台をマークした。
    取り組んできた「テレマーク」の姿勢も決まらず、飛型点が伸びなかった。
    この時点で、飛距離に換算するとトップと6メートルの差がついた。

    2回目。
    高梨選手は100メートルの大ジャンプを見せて点差を詰めたが、メダルには届かなかった。

    試合後、取材に応じた高梨選手の目から涙があふれ出てきた。

    高梨沙羅選手

    「本当にたくさんの強い選手が出てきているし、その中で戦えていることがすごく幸せなことでもあるが、私はもう出る幕ではないのかな」

    世界を引っ張り続けてきた第一人者である高梨選手だからこそ感じた世界との距離だった。

    高梨沙羅選手

    「4年間、本当にたくさんの人に支えてもらいようやくこの舞台に立たせてもらった。恩返しできなかった自分がただただ悔しい。応援してもらった人へ納得のいくパフォーマンスはできなかったが、純粋にいろいろ経験をさせてもらい、いろいろな感情を頂いているオリンピックだ」

    高梨選手らしく感謝の気持ちで締めくくった。

    高梨沙羅選手のこれまでの歩みを特集記事で

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