若田さんJAXA退職会見 “民間による宇宙活動盛り上げたい”

日本人最多の5回の宇宙飛行を行った宇宙飛行士の若田光一さんが今月末でJAXA=宇宙航空研究開発機構を退職するのを前に29日、都内で会見を開き「経験を生かして民間による宇宙での活動を盛り上げていきたい」と意気込みを語りました。

若田光一さん(60歳)は、これまで5回の宇宙飛行を行い、通算の宇宙滞在日数は504日余りといずれも日本人として最多・最長を記録しているほか、日本人で初めて国際宇宙ステーションの「船長」も務めました。

若田さんは今月末でJAXAを退職することになり29日、都内で記者会見を開きました。

この中で「有人宇宙活動の持続的な発展には民間がカギで、宇宙飛行士としての経験を生かして民間による活動を盛り上げたい」と述べ、今後は民間での活動を続けていくことを明らかにしたうえで「生涯現役で宇宙飛行士としてがんばっていくという目標はぶれておらず、何度でも宇宙を目指したい」と意気込みを語りました。

また、最も印象深かったことについて問われると「32年の間にあまりにも貴重な経験をたくさんしたので選ぶのは難しいが、初めての打ち上げで太陽が昇ってくるときに見た地球の美しさはいまでも覚えており、最も印象的な瞬間です」と振り返っていました。

最後に若田さんは「宇宙は新しいことに挑戦する場であり、多くの人たちに限りない夢と希望を与えてくれる空間です」と笑顔で締めくくりました。

若田光一さんの経歴と宇宙飛行歴

若田光一さんは現在のさいたま市出身の60歳。

九州大学大学院を修了したあと航空会社のエンジニアとして勤務し、1992年にJAXA=宇宙航空研究開発機構の前身にあたる、NASDA=宇宙開発事業団が行った選抜試験で宇宙飛行士の候補に選ばれました。

1996年にスペースシャトルで初めての宇宙飛行を行い、4年後、2000年の2回目の宇宙飛行ではロボットアームを操作して国際宇宙ステーションの建設作業に参加しました。

その後、2009年に行った3回目の宇宙飛行では、日本人として初めておよそ4か月にわたり、国際宇宙ステーションに長期滞在しました。

2010年には国際宇宙ステーションに長期滞在する各国の宇宙飛行士を管理するNASA=アメリカ航空宇宙局の部門長に任命され、およそ1年間、務めました。

2013年から翌年にかけての4回目の宇宙飛行では、ロシアの宇宙船「ソユーズ」に搭乗して宇宙に向かい、日本人で初めて国際宇宙ステーションの「船長」を務めました。

2018年には宇宙飛行士として初めてJAXAの理事に就任し、現在は特別参与となっています。

おととしから去年にかけての5回目の宇宙飛行ではアメリカの民間宇宙船「クルードラゴン」で宇宙に向かい、国際宇宙ステーションに滞在中に自身初となる船外活動を2度、行ったほか、今後の月や火星探査を見据えたさまざまな実験にも取り組みました。

若田さんの、5回の宇宙飛行と通算504日余りの宇宙滞在日数は、いずれも日本人として最多・最長です。

盛山文科相「日本の国際プレゼンスの発揮に大きく貢献」

盛山文部科学大臣は、閣議のあとの記者会見で「これまでの長年のご活躍に心から敬意を表したい。若田さんは、日本人で初めてISS=国際宇宙ステーションの船長を務めるなど、日本の国際プレゼンスの発揮に大きく貢献した。今後も若田さんが宇宙飛行士としての経験やそのすばらしい人柄をいかして、宇宙や科学の発展に関わっていただければいいと思うし、それにとどまらず、さまざまな分野での活躍を期待している」と述べました。

出身地 さいたま市の子ども「宇宙身近に感じた」

宇宙飛行士の若田光一さんがJAXA=宇宙航空研究開発機構を退職することについて、出身地のさいたま市の子どもからは「これからも民間での活動を頑張ってほしい」などの声が聞かれました。

今のさいたま市で生まれ高校時代まで過ごした若田さんは、市の青少年宇宙科学館の名誉館長を務めています。

科学館では29日、都内で行われた記者会見の様子がモニターに映し出され、訪れた親子連れなどが見守りました。

若田さんは子どもたちに宇宙の魅力を伝える活動も熱心に行っていて、去年、イベントに参加した中学2年生の坂下誠良さんは「質問に答えてくれたのがうれしくて半分、夢のようでした。これからも宇宙開発の最先端で頑張ってほしい」と話していました。

中学2年生の野崎優里さんは「若田さんがさいたま市出身なので、宇宙を身近に感じられました。JAXAをやめてしまうのは残念ですが、民間でもいろいろとやろうとしているのはすごいと思います」と話していました。