トランスジェンダーとスポーツ 大会参加の現在地

トランスジェンダーとスポーツ 大会参加の現在地
生まれた時の性別と性自認が異なるトランスジェンダー。

スポーツの世界では、今、「自分らしくありたい」と、選手からは自認する性別で大会や試合に参加を求める切実な声があがり始めています。

たとえばボクシングの世界では戸籍上の性別を女性から男性に変更したボクサーが、プロをめざそうとしていて、注目されています。

一方で、選手の安全をどう守るのかや、競技の公平性をどう担保するのかなどの議論も起きています。

トランスジェンダーとスポーツを巡る現状はどうなっているのか。現場を取材しました。

(スポーツニュース部 足立隆門)

男の世界で戦った自分を残したい

《押し隠していた思い》
36歳の真道ゴー選手。戸籍上の性別を女性から男性に変更したトランスジェンダーのボクサーです。

かつては女子のプロボクシングで活躍し、11年前には世界チャンピオンのタイトルを獲得しました。
性別適合手術を受けて、7年前に女子ボクシングを引退。

その後は交際していた女性と結婚して、運動を教えることなどを通じ、障害のある子どもたちを支援する施設を社長として運営してきました。

しかし、子どもたちと向き合う中で、男性としてプロのリングに上がるという夢を諦めていた自分の姿に気付いたといいます。
真道ゴー選手
「障害のある子どもたちを支援する中で一番大切なことは私たち大人が輝いていること、私たち大人が成長している姿を子どもたちに伝えることだとスタッフたちに言っていました。男性のリングに上がってみたいとずっと思っていたのに、家庭を持ち、経営者としての仕事もある中で、見て見ぬふりをしてきました」
そして決め手になったのが、3年前に投げかけられた自分の子どもからのひと言。

今度は男性としてプロのリングを目指すことを決めました。
真道ゴー選手
「わが子から『パパが戦っているところを見たことがない』と。男の世界で戦った自分を子どもたちに残したいという、自己満足というか自分の存在意義というか。どういう風に生まれようと周りからそんなこと不可能だろうと言われようと『いや挑戦する人生はおもしろい』ということを子どもたちに伝えたいです」
《開かれなかったプロへの道》
そしておととし、統括団体のJBC=日本ボクシングコミッションにプロテストの受験を申請。

練習を再開するかたわら、体力測定や身体検査なども受けた結果、ジェンダーの専門家や医師らで作るJBCの諮問委員会は「テストケースとして認めることは可能」と答申しました。

これを受けてJBCは去年7月に理事会を開催しましたが、出した結論は「現状、プロテストの受験を認めることは困難」。
骨格や筋肉の差から生じる体へのダメージなど、安全面の知見が十分でないことが主な理由でした。

一方で真道選手に対して、将来的にプロとして認めるか判断するデータを集めたいと、3ラウンド制であるものの(※公式戦は最も短くても4ラウンド制)、“準”公式試合の開催を求めました。

ヘッドギアを着用せず、グローブは8オンス、JBCの審判が試合を裁いて勝敗を決めるという点は公式戦と同じルールにして、男性のプロ選手とスパーリングするという内容でした。
真道ゴー選手
「賛否両論がある問題の中で本当に落としどころは難しいものだと思うが、誰かが何かを取り組んでいくからこそ見える世界があります。ヘッドギアなしで、プロでしっかりやっている人たちと戦えるのであれば楽しそう、面白そう、チャレンジしてみたいという気持ちになりました」
《スパーリング》
「トランスジェンダーの選手が公式戦とほぼ同じルールでプロの男性ボクサーと戦う」、日本のプロボクシング界では初めてとなったスパーリングが開催されたのは去年12月。会場は大阪市でした。

所属するジムの会長の意向もあり、前日計量に加えて、試合前にはライトを浴びながら入場曲が流れる演出が行われるなど、公式戦と同じ流れでリングに上がりました。
対戦するのはプロで2勝をあげている選手。

真道選手は序盤から持ち味のスピードを生かしながらフックやワンツー、それにボディーへのパンチを打ち込むなど主導権を握りました。

しかし、第2ラウンド以降は、打ち合いの中で相手に捉えられる場面が増えました。

そして最終の第3ラウンドには左のパンチでカウンター気味に顔面を打ち込まれてダウン。
それでも真道選手は再び立ち上がって最後までパンチを打ち続けました。

結果は0対3で判定負け。

JBCは今後も安全性を中心に検討を続けていく姿勢を示しました。
JBC 安河内剛 本部事務局長
「プロと遜色ない打ち合いをしたという部分では全然だめというような評価を下す人はいないと思います。本当に見直さないといけないと思わされました。ちょっとびっくりしました」
対戦相手の石橋克之選手
「ジェンダーの詳しい問題は正直、あまり分からないが、実際に対戦した僕が全然通用すると思うのだから、男子プロでやっていけると思いました」
紆余曲折を経て臨んだスパーリングの後、真道選手は自分らしくリングの上で戦えたことに充実感をにじませました。
真道ゴー選手
「結果は負けということで満足しているのかといったら悔しいですが、拳を交えて戦えたのは純粋に楽しかったです。私自身本当に幸せだし、ありがたい人生を歩ませてもらっています。どういう風に生まれたから絶対に不幸になるとか絶対にうまくいかないとかではなく、前を向けば自分のやりたいことを形にできるということが伝われば」

競技の「公平性」を巡る議論も

ことし、パリオリンピック、パラリンピックが行われるアマチュア競技でも、トランスジェンダーの選手から大会参加を求める声があがっています。

3年前の東京オリンピックでは、ウエイトリフティングの女子種目に、男性から女性へ性別適合手術を受けたトランスジェンダーの選手が、IOC=国際オリンピック委員会が当時定めていたガイドラインの基準を満たし、オリンピック史上初めて出場しました。
その後、IOCは国際大会の参加について指針を発表。国際大会に参加する際に自認する性などによって差別をせず、競技の公平性も担保してルール作りを行うように国際競技団体に求めました。
一方で、トランスジェンダーの選手の大会参加を巡って、競技の「公平性」をどう担保するのかという議論が起きています。

アメリカでは競泳の大学選手権の女子種目にトランスジェンダーの選手が出場し優勝。
その後、国際水泳連盟は「パフォーマンスの差は競技によって異なるが、思春期が始まる頃から普遍的に現れる」と指摘しました。その上で女子種目に出場する条件として、「男性の思春期を経験していないこと」を求めました。

また、国内にもこの事例を受けてトランスジェンダーの選手の大会参加について「公平性が危機にひんする」などという声もあがっています。
《理解求めるセミナーを開催》
こうした中、国内の競技団体では、模索を始めるところも出てきました。

日本トライアスロン連合のセミナーでは1月、トランスジェンダーの選手の大会参加の現状などについて学ぶセミナーを初めて開催。大会運営に携わる審判など200人あまりが参加しました。
日本トライアスロン連合 和田知子常務理事
「世界的にいろいろな国際レベルの競技団体が討議しているし、トライアスロンの国際団体でも議論がだんだん深まってきています。最終的な方針を策定するにあたって、日本でも実際に大会運営に携わっていらっしゃるみなさんに共有して、理解を深めていただいて、もっともっといい大会作りをしてもらえるように開催しました」
セミナーでは東京都立大学の研究者から、フランスのラグビーの競技団体が国内で行われる女子の試合でトランスジェンダーの選手の出場を認める一方で、水泳や陸上の国際競技団体が女子種目への出場を限定するなど、競技の「公平性」を巡って対応が分かれていることが紹介されました。

参加者からもさまざまな意見が聞かれました。
女性の参加者
「ずるいんじゃないかと思う人がいらっしゃることを聞きましたが、自分はトランスジェンダーの方々がトライアスロンを楽しくできるようにお手伝いができたらいいと思いました」
男性の参加者
「まだまだ難しい問題がいっぱいあって解決するには時間がかかるなと思いました。女性の選手が納得するかということが一番担保されなければいけないと思いました」
《科学的根拠を探る》
ルール作りにまで踏み込んで着手し始めたのが日本フェンシング協会です。

トランスジェンダーの選手からの要望を受けて去年、検討委員会を立ち上げました。

中心となっているのが女子の元日本代表で、現在は理事を務める杉山文野さんです。自身もトランスジェンダーでもあり、選手時代にはさまざまな葛藤があったと言います。
日本フェンシング協会 杉山文野理事
「私が選手だったときはカミングアウトもできず、自分らしく、つまり男性的にありたいと思えば競技を続ける選択肢はなくて、選手としての人生を選ぼうと思うと自分らしくはいられませんでした。こういった時代になって可能性も出てきたと思うので、しっかり進めていければと思います」
課題だと感じているのが「公平性」の根拠となるデータの少なさです。

筋肉の量や骨格などを決めるとされる男性ホルモンの一種「テストステロン」と競技結果との因果関係など、まだまだ研究の事例が少ないと感じています。

今後はスポーツとジェンダーに詳しい専門家に相談しながら科学的なデータを収集し、ルール作りに生かしていきたいと考えています。
日本フェンシング協会 杉山文野理事
「ちゃんとしたエビデンスやデータをもとにこういった検討を進めていくことが非常に大事で、みんなが納得できるルールを作っていくことが一番大事だと思います。『これが正解だ』ということではなく、まずは小さくてもいいので事例を作り、いろんな方からの意見も踏まえながらルールをアップデートしていくということが必要なのではないでしょうか」

国内ではどれくらい議論が進む?

それでは全体ではどれくらい議論が進んでいるのか。

NHKでは今回、トランスジェンダーの選手の大会参加について、パリオリンピックで行われる32競技、合わせて33の国内競技団体にアンケートを実施しました。
男女が一緒に行う馬術のような競技もありますが、トランスジェンダーの選手の大会参加について40%を超える団体が「議論を行っている」、または「行う予定」であることが分かりました。

一方、「行う予定はない」、「検討を行っていない」と答えたのは全体の55%でした。

この結果についてスポーツとジェンダーに詳しい中京大学の來田享子教授は次のように指摘しています。
中京大学 來田享子教授
「想像していたよりは多くの競技団体の方々がちゃんと関心を持って対応する必要があるというふうに受け止めていると思いました。スポーツ界の中でいくつかの国際競技団体がどういうルールを作るかという事例が出始めていることと、トランスジェンダーの人たちがスポーツの中で自分らしさを求めてどのようにして参加すればいいか、要望を少しずつだが声として上げてきたことが影響していると思います」
その上で、議論を進めて行くに当たっては、トランスジェンダーの選手が身近にいないと考えるのではなく、まずは理解を深めていくことから始めていくことが大切だと話します。
中京大学 來田享子教授
「競技をどうするかということを考えている部署にとっては非常に悩ましいと思います。まずは理解するっていうところからスタートする、そこだけでもやろうとすることによって変わってくるのではないでしょうか」

取材後記

今回、真道ゴー選手の挑戦を取材することをきっかけにトランスジェンダーとスポーツを巡るテーマに初めて本格的に取り組みました。

「私たち当事者にしてみればスポーツを楽しめないとか、プロになれないとか、成果を出せないと考えたら『それはどうか』と思いますが、違う立場の人から見たときに受け止められない人たちが世の中にはいます。本当に正解も不正解もありません」という真道選手のことばに、全員が納得できる結論を探し出す難しさを改めて実感しました。

東京オリンピックでは初めてトランスジェンダーの選手が大会に出場しました。

パリ大会が行われることしはどのように議論が進むのか。継続して取材していきたいと思います。

(1月31日 おはよう日本で放送予定)
スポーツニュース部 記者
足立隆門
2013年 入局
スポーツニュース部でボクシングなど格闘技を担当
中学生のころに漫画「あしたのジョー」を読んで
ボクシングの奥深さを学びました