サッカー 遠藤保仁が現役引退 日本代表とJ1で歴代最多出場記録

サッカー日本代表とJ1で歴代最多出場記録を持つ、ジュビロ磐田の遠藤保仁選手が現役を引退することになりました。新しいシーズンでは古巣のガンバ大阪のコーチに就任することが決まったということです。

遠藤保仁が現役引退 新シーズンはG大阪のコーチに

これは9日、ジュビロが明らかにしました。

遠藤選手は鹿児島県出身の43歳。1998年に横浜フリューゲルスに入団し、その後、京都サンガを経てガンバ大阪に移籍し、正確なパスが持ち味のゲームメーカーとして活躍しました。

2020年のシーズン途中からはジュビロでプレーし、J1で最多記録となる672試合に出場し、103得点をマークしています。

日本代表でも歴代最多出場

日本代表としても3回のワールドカップを経験するなど、歴代最多の152試合に出場して15得点をあげています。

また、去年、Jリーグ30周年の記念のイベントでサポーターが選ぶMVP、最優秀選手に選ばれました。

Jリーグ最優秀選手賞(2014年)

ジュビロは昨シーズン、J2で戦い、1年でのJ1復帰を決めましたが、遠藤選手は42試合中、21試合の出場にとどまっていました。

遠藤選手は、新しいシーズンでは古巣のガンバ大阪のコーチに就任することが決まったということです。

「充実した最高のサッカー人生を送れた」

遠藤選手は引退にあたり記者会見は行わず、動画投稿サイト「YouTube」でコメントを出しました。

この中で遠藤選手は「26年間という本当に長い、そして充実した、最高のサッカー人生を送れたと思っています。長い間、日本代表でもすばらしい経験をさせていただき、すべての人に感謝したい」と述べました。

今シーズンからガンバ大阪のコーチに就任することについては「『日々楽しく』というのが僕のサッカー人生のモットーだったので、コーチになってからもその気持ちを忘れずに、日本サッカー界やガンバ大阪のために一生懸命働いて、一人でもいい選手を送り出していければ」と抱負を述べました。

また、今後の日本サッカー界に向けては「自分以上の数字を残せる選手がこれから出てきてほしいなと思いつつ、出てきてほしくないなとも思っています。魅了する選手が一人でも多く出てきてほしいなというのは、間違いなく思っています」と述べました。

そして最後に「長い間、声援、ブーイング、やじ、すべてありがとうございました。本当に楽しいサッカー人生でした」と結んでいます。

《「多くの記録」と「名場面」》

「ヤット」の愛称で親しまれてきた遠藤保仁選手は芸術的なフリーキックや正確なパスを持ち味とする司令塔として最後までJリーグ一筋を貫き、多くの記録とファンの間で語り継がれる名場面を残しました。

W杯 南アフリカ大会 FKでゴール(2010年)

◆コロコロPK

遠藤選手を象徴するシーンの一つが独特なペナルティーキックです。

蹴る直前までゴールキーパーの動きを見極め、逆の方向にボールを転がしてシュートを決めるシーンは「コロコロPK」と呼ばれて話題となりました。

◆悔しさ晴らしたW杯

日本代表としても数々の大舞台を経験し、ワールドカップでは2006年のドイツ大会から3大会連続で代表に選ばれました。しかし、最初のドイツ大会では1度もピッチに立つことができず、その後のNHKのインタビューで「悔しい思いしか残っていない」などと語っていました。

その悔しさを胸に臨んだ2010年の南アフリカ大会では、1次リーグのデンマーク戦で直接フリーキックを決めるなど、日本代表の2大会ぶりの決勝トーナメント進出に貢献しました。

◆Jリーグ30周年MVP そしてガンバへの思い

去年5月、Jリーグ30周年の記念イベントでこれまでのJリーグの歴史の中でサポーターが選ぶMVP、最優秀選手に選ばれました。

その際、NHKのインタビューで2001年から20年在籍し、数々のタイトルに輝いた古巣、ガンバ大阪への思いを語っていました。

「今でもガンバの結果は気になるし、いずれ大阪に戻るとは思う。期間が長ければ長いほど恋しくなっていくのではないかと思っている」

サポーターの記憶にも、記録にも残ったJリーガー「ヤット」さん。遠藤選手は、みずから望んだガンバ大阪でコーチとして新たな一歩を踏み出します。

日本サッカー協会 宮本専務理事「指導者としての活躍が楽しみ」

遠藤保仁選手が現役を引退することについて、かつてガンバ大阪で一緒にプレーし、監督と選手としてもシーズンを戦った日本サッカー協会の宮本恒靖専務理事は「僕がセンターバック、彼はボランチという関係性で、いつも安心してボールを預けることができた。きれいなミドルシュートからのゴールも見てきた。セットプレーの際に放たれる彼のキックは誰よりも易しく合わせやすく、そのボールの軌道は今も目に焼き付いている。指導者としての彼の活躍を楽しみにしている」と協会を通じてコメントを出しました。