ウクライナ 地下壕から詠む 平和の句

「地下壕に 紙飛行機や 子らの春」
戦闘が続くウクライナ、避難した地下壕(ごう)の中で、1人の若い女性が詠んだ句です。いまだ攻撃が絶えない中、5-7-5の短いフレーズに託された平和への祈り。今、日本に届けられています。
(京都放送局 記者 海老塚恵)

京都の神社に世界から俳句が

去年11月、京都の梨木神社に180もの俳句が展示されました。

世界40か国から寄せられ、英語やフランス語などで詠まれた句には、平和へのメッセージが込められています。
展示のきっかけは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻でした。

企画した俳人の黛まどかさんは、展示に平和への願いを託していました。
黛まどかさん
「俳句は世界でいちばん短い文学です。でも、小さな詩が大きなかたまりになり、そして大きな言霊になって、争いを止める一助になればいいと思います」

ウクライナからの俳句

この展示に、今もなお戦闘の続くウクライナから、俳句を送った人がいます。

ウラジスラバ・シモノバさん(23)です。
14歳の時、病気のため入院していた病院で、江戸時代の俳人、松尾芭蕉や与謝蕪村の俳句について書かれた本に出会います。

短い句の中に複雑な思いや情景が込められていることに深く感動したウラジスラバさん。

その日から、およそ10年にわたって俳句を詠み続けてきました。

ところが、22歳の去年2月、ロシアが軍事侵攻を開始。

当時、ウラジスラバさんは、ロシアとの国境に近い、ウクライナ東部のハルキウに住んでいました。

明け方の午前4時、爆弾の音で目を覚まし、すぐさま両親と愛犬とともに、地下壕に避難します。

そこから、地下での生活が始まりました。
ウラジスラバさん
「はじめは十分な食料もなく、満足に横になり眠るスペースすらありませんでした。地下壕は人がいっぱいで、みんな恐怖にかられていました。過酷な時間でした」

近所の家族と肩を寄せ合い、身を守る生活。

それでも無邪気に遊ぶ子どもたちの姿に、ウラジスラバさんは心を打たれたと言います。その光景を句にしたためています。
「地下壕に 紙飛行機や 子らの春」
ウラジスラバさん
「俳句を詠むということは、私にとって、日記を書くことに似ています。自分の生活が地下壕に移った時、俳句を詠むことで戦争の記憶や感情を、自分なりに受け止めようとしたんだと思います。この日々を句として詠むことで、後に世界の人たちにも共有できると思ったんです」

「HAIKU」とは?

梨木神社には、ウラジスラバさんをはじめ、世界各国から俳句が寄せられました。

この海外の俳句とはどのようなものなのでしょうか。

俳句は、アルファベットで「HAIKU」とも表されます。

松尾芭蕉や小林一茶などの俳句が海外の言語に訳される中、徐々に広がりを見せていきました。

最大の違いは、5-7-5のリズムが、「音節」で示される点です。

例えば、ウラジスラバさんが詠んだ句。
「地下壕に 紙飛行機や 子らの春」

英語では、
Children are playing
Flying their paper airplanes
In the bomb shelter.

この句を音節に分けると、
Chil/dren/ are/ play/ing(5)
Fly/ing/ their/ pa/per/ air/planes(7)
In/ the/ bomb/ shel/ter.(5)

必ずしも「季語」を含まなくても、季節を感じさせる言葉があればいいともされるほか、5-7-5でなくても、近い形で韻を踏んでいればよいとする人もいるということです。

ウクライナでは子どもたちに俳句を教えている学校もあるということで、世界でファンを増やしています。

俳句に込めた思い

ウラジスラバさんが日本に送った句の言語は、ウクライナ語ではありません。ロシア語です。

育ったハルキウでは、かつてロシア語のほうがよく使われ、ウラジスラバさんもロシア語を使ってきました。

今や、ウクライナでは「敵性語」とも言えるロシア語。

ウラジスラバさんも、話す言語はウクライナ語に変えました。

しかし俳句を学ぶため、ウラジスラバさんが目にした本は、すべてロシア語で翻訳されたものでした。

ウラジスラバさんは、複雑な思いを抱えながら、ロシア語で軍事侵攻下での生活や思いを句として詠んだと言います。
ウラジスラバさんには夢がありました。

みずからの俳句集を作りたいという願いです。

黛さんに、俳句とともに、この思いを込めて、メールで送信しました。

日本で俳句集を作る

遠い日本の地で、ウラジスラバさんのメールを受け取った黛さん。

その思いに心を打たれて、ウラジスラバさんの俳句集を作ることに決めたと言います。

黛さん
「俳句を通してこの戦争の悲惨さを世界中の人に伝えたいという、彼女の使命といいますか、命がけでその使命を果たそうとしていますよね。何とか彼女の思いに応えてあげたいと思いました」

ウラジスラバさんの俳句集は、軍事侵攻から半年ほどたった8月から、制作が始まりました。

黛さんとともに、長く俳句を親しんできた人たちが参加して取り組みました。
まず、ウラジスラバさんから寄せられたロシア語の句を日本語に直訳。

そこから、いくつかの日本語の句の案をもとに、最終的な句として整えていきます。

この日は、戦いが始まって、離散して国を離れていくという情景を表現した句について、議論しました。

何がふさわしい表現か、参加したメンバーで意見が分かれました。
「離散していく人たちが花吹雪ということばで伝わってくる」
「『離れ離れ』というところに親しい人が別れていくというのが分かる」
黛さんも悩みながら、ウラジスラバさんの元の句の表現に立ち返り、後者の句を選びました。

黛さん
「桜はこんなにきれいに咲いているのに、でもそれも見ることもなく親しい人が別れていく、その切なさが表現されている」

最後に、離ればなれの状況は続いているという意味を込めて、継続の「ゆ」を使い、「なりゆけり」とまとめました。

「さくらさくら 離れ離れに なりゆけり」

オンラインで俳句会

平和への思いを込めた句をウクライナの人たちと共有したい。

黛さんは、軍事侵攻から1年が過ぎたことし2月、オンラインで俳句会を企画しました。

ウクライナにいるウラジスラバさんや、避難などのため京都やドイツから参加したウクライナの人もいました。

テーマは「春を待つ」。

ウクライナの人たちからは、軍事侵攻によって失われたままと感じる春を待ちわびる句が詠まれました。
「にんにくの 芽のあをあをと 小暗がり」

ウラジスラバさんは、台所の引き出しで偶然見つけたにんにくの芽が吹き出る様子に、つらい状況にも希望を失わない気持ちを詠みました。

暗がりに輝く命を見いだした瞬間を切り取った句。
黛さんも称賛していました。
ウラジスラバさんをはじめ、句会に初めて参加したというウクライナの人もいました。

黛さんは、句会の終わりに、呼びかけました。

黛さん
「俳句でつながった縁、『俳縁』は血縁よりも濃いと言います。私たちにできることが何かあれば、現地で足りないもの、伝えたいこと、いつでも教えてください。春は必ず来ます、私も信じています。いつか本物の桜の下で本物の俳句の会ができることを信じ、祈っています」

短い表現に平和への思いを込めて

ウラジスラバさんの俳句集は、ことし夏の完成を目指しています。

黛さんは、戦闘が続く今だからこそ、俳句の力を信じ、世界に平和への思いを伝えたいと考えています。
黛まどかさん
「戦争の悲惨な状況でも、地下壕の中でも、ウラジスラバさんは美しさや希望を見いだし、句に詠んでいます。どんなにミサイルが飛んでこようが、大人たちが戦いを続けようが、やはり1人の少女に残された尊厳だと思うんです。その尊さを大事に、1冊の句集に敬意を込めて作り上げたいと思っています」

ウラジスラバさんは、今、ウクライナで避難を続けています。

今もなお続く戦闘。

停電の日々が続いているといい、かつての暮らしとは、ほど遠い生活です。

それでも俳句を詠み続けたいと前を向いています。
ウラジスラバ・シモノバさん
「故郷に帰って仕事を見つけて、ふつうの平和な生活に戻れる日を夢見ています。でもそれまでは、私は手にしたペンを武器に、俳句を詠み続けるつもりです」