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【八田亜矢子】健康診断の日に勧誘され「ちょっとのぞく」つもりが…東大の“美の頂点”に

2010.05.24


八田亜矢子【拡大】

 【母が自信を】

 かわいくて、おっとりしているけど、実はガリ勉だったのでは…と思いながら、著書『今日からできる! 東大脳の育て方』(ワニブックス刊)を読むと、《東大に合格するには「猛勉強よりも、日々の習慣作りが重要」》と書いてあった。

 幼いころから物覚えが早く、「勉強を楽しく続けていけば、東大に入れる」と確信した母とマンツーマンで、小学生時代は1、2学年上の勉強を先取りした。

 「自分は勉強ができるんだと母が思わせてくれて、それが自信につながりました。父は『女の子は勉強はしなくていい』という考えだったけど、母方の祖父が東大出身で、住んでいたのも東京。東大を身近に感じていたのかもしれません」

 家ではテレビ禁止で、唯一の例外がNHK大河ドラマ。「芸能人のことはわからなくても、社会や歴史の授業が大好きになりました」という。

【の〜んびり】

 「東大に入るための第一歩だった」という中学受験では、東大合格者を多数輩出する中高一貫の名門女子校・桜蔭に見事合格した。が、多感な時期を迎えると、ただの“いい子ちゃん”ではいられなかった。

 「校風が合わなかったんです。制服はダサいし、校則も厳しくて。『まゆ毛整えているでしょ』と注意されて、『えっ、それもー?!』って。中3の途中で先生とケンカしちゃいました」といい、共学の筑波大附属高へと進んだ。

 こちらも東大合格者が多い名門だが、「国立校なので授業の進度は遅いし、テストの順位も出ない。とてものんびりとして楽しかった」と振り返る。

 だから、というわけではないだろうが、自主的に浪人した。

 「化学は好きだったけど、物理でつまずいて。独学で生物の勉強を始めたら、2月になっちゃって。東大の受験票が届いていたけど、あきらめて受けませんでした」

 だが、浪人生活は暗いものではなかった。それまで恋愛にはオクテだったが、初恋を経験。「好きだった人も受験生だったので、一緒に勉強をしたりして、頑張ることができた」という。

【芸能界へ!!】

 晴れて合格した東大では、予想外の事態が。女子入学者の健康診断の日、「ミス東大」を主催する広告研究会に勧誘されたのだ。

 「『ミスになれば家庭教師の時給が上がるよ』とか言われて、とりあえず話を聞きました。でも、華やかな世界へのあこがれは子供のころからあった。せっかく大学に入ったんだから、知らない世界ものぞいてみたかった」

 「ちょっとのぞく」つもりが、東大の“美の頂点”に立ち、それまで疎かった芸能界にも進出。両親の反対はなかったのだろうか?

 「母はアルバイトの一種と理解してくれました。仕事が忙しくて留年が重なったときは、さすがの父も『両立できないならやめろ』と怒りましたけど、いまは応援してくれてます。大学で学んだことを生かしながら、仕事は続けていきたいです」

【結婚相手は】

 東大女子の友人たちは医師や省庁の官僚、化粧品会社の研究者など幅広い分野へ進んでいる。

 「『いまは結婚より仕事』『主婦なんて無理』とか、『誰かが結婚したら私もするよ』なんて言い合ってます」というが、やはり結婚相手は東大出身じゃなきゃダメ?

 「こだわってないです。東大生でも頭の回転が悪い人はイヤですね。一緒に映画を見て、伏線が理解できない人とか」

 −−母親になったら、子供は東大に入れたい?

 「入れたいですね。『どうしても絵を描きたい』とか、何か夢があれば別だけど、選択肢を増やしてあげたいから」

 楽しく学ぶDNAは受け継がれるか−。

 ペン・宇野貴文

 カメラ・古厩正樹

プロフィール 八田亜矢子(はった・あやこ) 1984年10月4日、福岡県生まれ、東京育ちの25歳。2004年、東大教養学部理科II類に入学し、同年度の「ミス東大」に選ばれる。「王様のブランチ」(TBS)「クイズ! ヘキサゴンII」(フジテレビ)「ラジかるッ」(日本テレビ)などで有名に。現在は「熱血! 平成教育学院」(フジ)「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日)などに出演。今年3月に東大医学部健康科学・看護学科を卒業し、大学院に進学。卒論のテーマは、共働き夫婦の「ワークライフバランス」。

八田亜矢子
 

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