ぴいぷる

【穂のか】彼は父…会えば妙に緊張するし、ときめきも感じる

2009.10.05


穂のか【拡大】

 意志の強さを感じさせる濃いまゆと、飲み込まれてしまいそうな力強い瞳で、まっすぐこちらを見つめる。底抜けに明るいハイトーンボイスと高笑い、たたみかけるような早口には20歳の女の子らしさを感じるが、でも、どこかに威圧感も漂う。あぁ、やっぱりお父さんにそっくりだ。

【「石橋貴明」の名をふせ応募】

 「この世界に入って、改めて“彼”のすごさを思い知りましたねー。50歳を前にしても、人を笑わせるという使命のためなら、誰が何と言おうとキャラクターを絶対に曲げないっていうのは本当にスゴいことだぞ、って。何十歳も年上の人から“彼”の全盛期の話を聞かされるたびに、『そんなに大物だったんだぁ』って思い知らされるんですけど、実感は全然ないんですよ。だって“ほの”はリアルタイムでその時代を知らないし。なんか『伝統芸能』みたいな感じ、あはははっ」

 父、石橋貴明が“ほの”のもとを去ったのは1998年。当時、“ほの”は小学生。心の傷は小さくなかった。だからこそ、父を“彼”と呼び、「憎む気持ちは今でもある」と言い切る。それでも、父と同じ芸能界に入ることに躊躇はなかったという。

 「将来、何になるかなんて考えるまでもなく、物心つく前から大人になることイコール芸能界っていうくらい(芸能界入りが)当然のことだったんです。『お花屋さん』とか『ケーキ屋さん』とか目をキラキラさせる周りの女の子がホントに疑問でしたね」

 父のいる芸能界にしか選択肢を見いだせなかったというのも皮肉だが、16歳で初めて女優を目指す意志を父に告げると、頭ごなしに猛反対された。それで余計に意志を固くしたというから、頑固さはやはり父譲りだ。

 「もう、ケチョンケチョンでしたね。何の根拠もなく『お前にはムリだ』って、とにかく反対反対。『パティシエになれ』とか『幼稚園の先生だ』とか本気で言うんですよ。でも私は、自分が本当にやりたくて好きだと思える仕事でしか、苦しいときに乗り越えられない。だから、あのとき『もう、この男にはゼッテー相談しねぇ』って固く心に誓って、それ以降一言も相談しないままデビューしたんですよ。もう1回反対されたら、心が折れちゃったかもしれないじゃないですか」

【憎む気持ちもあるけれど…】

 デビュー映画「はりまや橋」のオーディションで“ほの”は、石橋の娘であることは一切明かさなかった。純粋に、演技力と勘の良さが評価されて合格したのだ。事後報告を受けた石橋は「協力はしないけど応援はする」と淡々と話したという。それ以外に言いようがなかったのだろう。

 デビュー後の娘は、父が思う以上に才能豊かで、したたかだった。

 「石橋貴明の娘ということで、出演作がメディアに取り上げてもらったり、PRの場も用意されています。そのチャンスを最大限生かそうと思っています。もちろん、(親の七光を)理不尽に感じることもありますけど、そんなことは私自身がしっかり実力をつけた後に皆さんから評価してもらえればよいだけの話。女優として人を楽しませる、夢を与えるという意味では、“彼”は間違いなく私の指針でもありますから。これからも“彼”は“彼”のままでいてほしいですね」

 今月末に公開される映画「アンを探して」では、2作目にして主演。それが娘の実力か、父の七光のおかげかは、実際に作品を見てほしい。長期のカナダロケでセリフの7割が英語という難しい役柄を完璧にこなし、「撮影期間の1日1日すべてが、私の20年分の人生より充実していた」と言い切るほど良い仕事だった。

 憎むべき存在であると同時に、尊敬する大先輩にもなった父については「会えば妙に緊張するし、ときめきも感じる」という。その父は、デビュー後の娘にこう語ったという。

 「やるんだったらオスカーをとる勢いでやれ。とったら(授賞式で)レッドカーペットを一緒に踏んでやるよ」

 もちろん、娘は応える気でいる。

 ペン・小川健

 カメラ・古厩正樹

プロフィール 穂のか(ほのか) 1989年7月31日生まれ。東京都出身。お笑いタレント、石橋貴明と元モデルの前妻、雅代さんの長女。中学時代から芸能界を目指し歌唱レッスンを始めたところ石橋に猛反対されたため、両親の名前を隠して勝手にオーディションに応募。今年6月、日米韓合作映画「The Harimaya Bridge はりまや橋」でデビュー。小学4年から約2年半、米ハワイに留学した経験を生かし、今月31日公開の映画「アンを探して」では英語のセリフを完璧にこなした。趣味の映画鑑賞では、評論家顔負けの作品数を鑑賞している。

 

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