壮絶な闘病の末、72歳で死去した俳優、渡瀬恒彦さん。学生時代から空手で鍛えてきた芸能界最強といわれる腕っぷしで、数々の伝説を築き上げてきた。
「米兵3人をひとりで返り討ち」「安岡力也をボコボコにした」「松田優作を一瞬で倒した」「舘ひろしを川に投げ込んだ」など、腕っぷしぶりを彩る伝説は尽きない。兄の渡哲也とともに空手をやり、二段の実力者。「渡さんは型重視だが、渡瀬さんは実戦タイプ」と関係者。
「基本的には優しい人なんですが、打ち上げでスタッフがもめ事に巻き込まれたとき、最初は止めに入っていた渡瀬さんが、気がついたら一番大暴れしていたなんて話は数知れません」と別の映画関係者は話す。
デビューのきっかけもその腕にあった。
サラリーマン時代、たまたま銀座をぶらぶらしていたところ、渡哲也の実弟だと知らない東映関係者に声をかけられた。当時、企画本部長だった岡田茂氏(元東映社長)は一目見てスターになれるとひらめいたという。
当初は芸能界にまったく興味がなかった渡瀬さんがなぜ会社をやめてまで、役者に転じたのか。当時東映の宣伝マンだった福永邦昭氏は渡瀬さんが決意した場に同席していた。「空手で体を鍛えていたから、アクションに少し自信があったこととサラリーマンの安月給が転職の決め手だった。スターの兄が受け取るギャラと、サラリーマンの自分の給料には大きな差があったので、『俺も役者になって稼ぐか』ということになった」
危険なアクションシーンでも、スタントマンに任せず自ら演じることで、その地位を確固たるものにしていった。