男声・女声という2色の歌声を使いこなすスーパーボイスと、本名の「努」が芸名の由来というツートン青木(54)。抜群の歌唱力で、美空ひばりさんをはじめとする本格派ものまね芸に定評がある。
中学卒業後、親の勧めもあって国鉄職員になった。「初めてのステージは16歳。アマチュアバンドのボーカルでした。国鉄時代は点検中のブルートレインで練習を重ねていました」。国鉄民営化で希望退職者を募ったとき、「組織の中にいるのが苦手だったので、すぐに手を挙げました」。
運送会社に転職し、2年後に10トンダンプカーを買って独立した。「最初は工事の残土運搬。1、2年してから生コンクリートの骨材になる砂や砂利を運んでいました。1日5往復、月300万円は稼ぎましたけれど、ダンプの管理費がかさみましたね」
19歳の時に駆け落ち同然に結婚をしていたが、この頃に離婚。長男(青木隆治)と長女を引き取り、懸命に働いた。「夕方、家に帰って風呂に入って食事をしてすぐ家を出る。ダンプの中で寝て朝4時に重量満載で積み込み」という毎日だったが、悲劇が訪れる。
たまった雨水の排水のため荷台を上げたが、「出発前にトイレに行って、下げるのを忘れてしまって」歩道橋に突っ込む事故を起こしてしまった。歩道橋の補償金として2000万円を要求され、それは交渉で減額されたが、ダンプは廃車。新たに購入しなければならなくなり、1400万円の借金を抱えてしまった。「ボクは肋骨(ろっこつ)にヒビが入る程度で済みましたけれど、一番辛かったですね」
歌手への道はあきらめず、NHKBSの「第11回勝ち抜き歌謡選手権」で優勝し、チャンピオン大会でも頂点に立ったが、たまたま友人の付き添いで参加した素人ものまね番組のオーディションで合格。本番では、布施明、TUBEからひばりさんまで、素人と思えないものまねメドレーで優勝した。
ものまねタレントとして一本立ちを始めたとき、最悪の出来事が…。
隣家から出火して自宅も延焼。すべてを失った。「古い家だったので火災保険に入っていなくて。残ったのはサイフと携帯電話。トリプルパンチって感じですよ」。さらに借金を抱えたが、「今までの悪いことを焼きはらった」と考えを変えた。
すべてを吹っ切ったことでものまね芸にも膨らみが。「ものまねには終わりがない。納得したモノを1年後に見るとまた違うんですね。ボクが一番求めているのは笑いと感動」とショーアップを重ねる。「隆治がものまねをはじめて、もう負けられないですよ。ボクがしっかりしていないと」。親心が見え隠れしながらエンターテイナーとしての挑戦が続く。
■つーとんあおき 1959年6月27日生まれ、神奈川県出身。歌唱ものまねが中心だが、古畑任三郎に扮する田村正和なども得意としており、レパートリーは幅広い。「美空ひばりは郷ひろみのものまねをしていたらできるようになった」。息子はシンガーソングライター、ものまねタレントの青木隆治。
来年1月13日に東京・武蔵小山のスクエア荏原ひらつかホールで「ツートン青木とゆかいな仲間たち ニューイヤーライブ2014」。問い合わせはオフィスアピール((電)03・6433・2596)。