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元プロ野球選手・岐阜聖徳学園大硬式野球部監督 近藤真市さん(54)
プロ初登板でノーヒットノーランを達成して、35年がたちました。1987年8月9日、ナゴヤ球場(名古屋市)での巨人戦でした。1年目でまだ18歳ですから、ただ必死で投げました。
実は、達成できなかった方が良かったという思いもあります。プロ野球は厳しい世界です。周りから甘い世界だと思われることは、選手にプラスになりません。私にとって、ユニホームを脱ぐまで重荷でしかありませんでした。
4月にロッテの佐々木朗希君が20歳で、完全試合を達成した時、またそんなことを感じました。記録は「野球の神様」がくれた贈り物。運とか、実力以外のものが加わらないとできない。そう思っています。記録がこれからの朗希君の負担にならなければ、いいなと思っています。
あの時の試合を映像で見返すと、最高のフォームで投げていました。一生に一度の投球です。同じフォームを追い求めましたが、ピタッとくることはありませんでした。翌年夏に肩を痛めてからはスピードも戻りませんでした。肩の故障はなかなか治らないものです。
大好きな野球をしていた小さい頃からの時間を天国と呼ぶなら、肩を痛めた後は地獄です。「野球が面白くない」。そう感じていました。
野手転向の話が出て、入団時の監督だった星野仙一さんに相談すると、「ピッチャーの近藤で終われ」と言われ、踏ん切りがつきました。26歳の時です。私は幼い時に父を亡くしたこともあり、星野さんを父親のように思っていました。悔いはありましたが、引退後の人生の方が、長いこともよく理解していました。
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