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通商産業相や衆院副議長などを務めた渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏が23日午前2時8分、福島県会津若松市内の病院で死去した。88歳だった。自民党では「竹下派七奉行」の一人として存在感を発揮し、民主党では重鎮として中堅・若手の指導にあたった。
福島県議を経て、1969年衆院選に旧福島2区から無所属で出馬して初当選し、2012年衆院選で引退するまで連続14期務めた。
自民党時代は田中派、竹下派に所属し、羽田、橋本、小渕の元首相らとともに竹下派七奉行と称された。閣僚ポストのほか、党務では国会対策委員長などの要職を歴任した。93年には羽田氏、小沢一郎氏らとともに自民党を離党し、新生党、新進党の結成に参画した。96年から務めた衆院副議長の在職日数は過去最長の2498日に達した。
民主党には2005年に入党した。06年には「偽メール問題」による党の混乱を受けて国対委員長に就任、事態収拾と党の立て直しにあたった。野田佳彦・前首相や岡田克也・元外相らを「民主党七奉行」に指名して指導し、09年の政権交代の礎を築いた。
早大雄弁会出身で、会津弁のユーモラスな語り口で知られる。「会津のケネディ」「平成の水戸黄門」の愛称で呼ばれ、党派を超えて親しまれた。現役引退後も「政界のご意見番」として発信を続け、晩年まで「2大政党制」の必要性を訴えていた。