暮しの手帖75周年…編集長が「丁寧な暮らし」に反旗を翻した理由

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戦後間もない1948年9月、花森安治(1911~78年)と大橋鎭子(1920~2013年)によって創刊された生活総合誌「暮しの手帖」(隔月刊、暮しの手帖社刊)が今秋、75周年の節目を迎えました。

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「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という理念のもと、一貫して広告を載せず、徹底した実証主義に基づいて、日用品や食品、電化製品などの「商品テスト」を50年余りにわたって継続するなど、その誌面スタイルは、戦後日本の出版文化の奇跡といっても過言ではありません。同誌編集長を2020年から務め、このほど75周年を記念した別冊を刊行した北川史織さんに、誌面に込める思いを聞きました。

誌面通して希望の灯火をともしていきたい

北川史織編集長(暮しの手帖社で、吉川綾美撮影)
北川史織編集長(暮しの手帖社で、吉川綾美撮影)

記念別冊は、料理人・稲田俊輔さんが過去に同誌に掲載された「傑作レシピ」を紹介する特集や、1969年から続く人気エッセー「すてきなあなたに」にまつわる秘話、さらに心に残る記事とその記事にまつわる逸話や思い出を投稿してもらった「わたしと暮しの手帖」欄など、盛りだくさんな内容。「いつの時代も暮らしには困難があるけれど、少しでも希望の灯火をともすような雑誌でありたい」と誌面の中で北川さんは記します。

「丁寧な暮らし」でなくても構わない

北川さんの編集長就任の第1号は2020年2-3月号。その表紙に記された「丁寧な暮らしではなくても」の言葉が読者の目を引きました。北川さんの2代前、2007年から2015年まで編集長を務めた松浦弥太郎さんがよく使っていた「丁寧な暮らし」に真っ向から疑義を呈しているように見えたからです。「編集長の手帖」と題する同誌コラム欄で、北川さんは自身の真情を吐露しました。「丁寧であれ雑であれ、自分や他人の暮らしにそんなラベリングをしたくなる風潮って、なんだか不思議だと思いませんか」

長年、同誌を愛読している読者の一人は、この言葉を見た時の気持ちを、「自分は雑な暮らしを送っているのではないかという負い目があったので、以前の誌面には正直、プレッシャーを感じていました。北川さんの言葉は、涙が出るほどうれしかったし、ほっと安心しました」と振り返ります。

北川さんは、創刊編集長である花森が表紙裏に書き記し、現在も変わらず同じ場所に掲載されている「『これは あなたの手帖です』から始まり、『これは あなたの暮しの手帖です』で終わる<宣言>」を大事にしてきたそうです。「編集部側が一方的にある考え方やライフスタイルを読者に押し付ける手帖であってはいけない。読者自らが考えを重ねて、誌面を完成させていく。花森の『あなたの手帖』とは、つまり読者の側に委ねられている穏やかな問いかけを意味しているのです」

持っていると、使っていると、「丁寧」に見える商品をただ消費するのではなく、お仕着せではない自分なりの生活を打ち立ててほしい――。そんな強い思いから、「丁寧な暮らしではなくても」という編集長就任時の言葉が出てきたといいます。

コロナ禍の時代に詩、絵本を前面に出す

北川さんが編集長に就任した直後から、新型コロナウイルスが日本国内でも 蔓延(まんえん) し始めました。写真撮影や取材が難しくなり、当然、誌面作りも厳しくなってきました。他誌は過去の記事を再編集して乗り切っていましたが、「あたかもコロナ禍がないかのように、今に向き合わずに編集作業をしていいのか?」と北川さんは感じていました。

2010年秋、暮しの手帖社に入社し、半年ほどたった2011年3月、東日本大震災が発生した時の苦い思い出がよみがえったのです。当時、「暮しの手帖」は誌面で震災のことに一切、触れませんでした。そのことに対して、読者から手紙や電話で疑問の声が寄せられたのです。「当時、一編集部員だった私には、読者から疑問が寄せられた理由がよく分からなかった。お恥ずかしいことですけど」

北川さんは2016年、大橋や花森ら創刊者をモチーフとするNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が放送されるに当たって、別冊「『暮しの手帖』初代編集長 花森安治」と「しずこさん『暮しの手帖』を創った大橋鎭子」の編集作業に携わりました。その時、平和な暮らしを守るために、時に権力とも 対峙(たいじ) してきた雑誌の伝統と、それを支持してきた読者層の厚みをはっきりと認識したのです。

「震災から5年たって、ようやく読者の真意を理解した」北川さんは、コロナ禍に覆われている時代にあえて「言葉の力」を訴えた誌面作りに挑戦しました。2020年8―9月号では、表紙に高々と「いま、この詩を口ずさむ」とうたいました。巻頭の特集として、石垣りん「表札」、山之口貘「 座蒲団(ざぶとん) 」など6編の詩に写真や絵画を添えて、読者に贈ったのです。

普段の誌面では詩をあまり載せていないのに、なぜこのタイミングで載せたのか。「編集長の手帖」欄で北川さんが思いを述べています。「強く短くかっこいい、打ち上げ花火のような言葉、あるいは耳にそよそよと心地よいだけの言葉に () きつけられ、中身をよく吟味せずに安直に賛同していないか。他人の意見に流されず、しっかと立っているか」。コロナ禍の混乱の中、生命を肯定し、自律的な人間像を肯定する詩編を紹介したのです。

また、8-9月号には、詩人・絵本作家の谷川俊太郎さんや歌人の穂村弘さんら7人が好きな絵本を紹介する「一冊の絵本から平和を語れば」という特集も掲載しました。詩と絵本という一見するとコロナ禍に対して無益で非実用的とも思えるテーマを扱いながら、実は人心の奥底にまで届く、副反応の一切ない“ワクチン”として「言葉の力」を前面に押し出したのです。多くの読者から「言葉が体の奥にまでしみた」といった反響が寄せられました。

創刊75周年記念特大号(左)と創刊75周年記念別冊
創刊75周年記念特大号(左)と創刊75周年記念別冊

さらに、創刊75周年記念特大号となった2023年10-11月号(9月25日刊行)では、一般読者18人から寄せられた「コロナ下の暮らしの記録」を15ページにわたって紹介しています。コロナ下で闘病した50代女性、里帰り出産をした40代女性、必死になってオンライン授業に臨んだ40代の大学教員らが、自らの経験を切々とつづっており、読んでいても心打たれます。2020年から現在まで、3年半にわたって徹底して言葉の力を信じる姿勢にぶれはありません。

雑誌と書籍の中間を目指していきたい

「暮しの手帖」の大きな伝統に、各界の著名人による寄稿があります。1948年の創刊号で小堀杏奴(随筆家)、森田たま(作家)、山本嘉次郎(映画監督)らが寄稿したのに始まり、その後も野上弥生子、武者小路実篤、川端康成ら著名作家が原稿を執筆しています。この文芸色の強さが、誌面にある不思議な混乱を生み出しています。

通常の商業誌なら、「表記の統一」を必ずとるのに、「暮しの手帖」では、送りがなの好み、用いる漢字の選択などについては寄稿者の考え方を原則として尊重する姿勢を今も続けているのです。同じ雑誌の号で、仮名の送り方や漢字が異なっていてもOK。「言葉の使い方というのは、その人そのものだから、安易に変更してはいけない。だから、用語集にある正解をそのまま採用はしません」と北川さん。

一方で、「男らしい」「女らしい」といったジェンダーや、差別にかかわる表現に対しては、逆の対応です。北川さんは、「ある生き方を否定する恐れのある表現や言い回しに対しては、原文尊重というわけにもいきません。書き手と時間をかけて話し合って、書き換えてもらうよう説得します」と語ります。

「暮しの手帖」を制作する際に目指すスタンスについて、北川さんは「雑誌と書籍の中間でありたい」と説明します。「『いま』をどう捉えて向き合えばいいか」という社会性がある雑誌的な記事。10年後、20年後に読んでも変わらず役に立つ、普遍性のある書籍的な記事。その両方が合わさって「暮しの手帖」だということです。現在の部数は16万部と、約100万部に達した最盛期の40数年前と比較して6分の1程度にまで落ち込んでいます。用紙代などの高騰も重くのしかかっています。そのような厳しい情勢ではありながら、自由な誌面作りのために広告を載せない方針を堅持する姿勢には、頭が下がる思いです。

北川編集長が愛する花森安治の名言

花森安治の写真を前に、花森への思いを語る北川編集長
花森安治の写真を前に、花森への思いを語る北川編集長

花森安治は、同誌などに数々の名言を残しています。北川さんに、過去の「暮しの手帖」誌面から、心に残る名言を挙げてもらいました。

個性とは 欠點(けってん) の魅力である (1949年7月1日発行号)

「ああ、そうだな」と胸に落ち、勇気づけられる人も多いかもしれません。自分の欠点を突きつけられて悲しくなるとき、人の欠点が目について腹立たしくなるとき、この言葉を思い浮かべると、見える景色が変わります。

君、なにを着たっていいんだよ。あんまり、わかりきったことだから、つい憲法にも書き忘れたのだろうが、すべて人は、どんな家に住んでもいいし、どんなものを食べてもいいし、なにを着たっていいのだ。それが、自由なる市民というものである (1967年7月5日発行号)

君、どう生きたっていいんだよ。私はそんなふうに捉えています。

雑誌作りというのは、どんなに大量生産時代で、情報産業時代で、コンピューター時代であろうと、所詮は〈手作り〉である、それ以外に作りようがないということ、ぼくはそうおもっています。だから、編集者は、もっとも正しい意味で〈職人【ル:アルチザン】〉的な才能を要求される、そうおもっています (1969年4月1日発行号)

雑誌の編集職って、実はすごく地味で地道な仕事の積み重ねで、ときどきしんどくなるのですが、そんなときにこの言葉に励まされます。心を動かさず、手を動かさずに作る雑誌は、「無料で手に入る情報」に負けてしまう。ずっと、「手作りのもの」を届けていきたいです。

バラエティー豊かなカット画を通して、花森安治の仕事振り返る

世田谷美術館(東京都世田谷区)では、「暮しの手帖」と月刊誌「世界」(岩波書店)のカット原画などを展示したコレクション展「雑誌にみるカットの世界『世界』(岩波書店)と『暮しの手帖』(暮しの手帖社)」が開催中で、花森安治による挿画や誌面パネルなどが展示されています。

花森のイラストの特徴について、同展を担当した矢野進学芸員は「初期のカットはとにかく線が細かくてかわいらしい。それは『暮しの手帖』の前身となる『スタイルブック』が服飾雑誌であったことにもよると思います」と話します。「暮しの手帖」が創刊されると、カットのバリエーションは日用品から生活全般へと広がっていきます。「とくに晩年になればなるほど、カットやイラストレーションも多彩になり、もはやひとりの人物が手がけたものとは思えないほどスタイルを使い分けています。見るものを楽しませるだけでなく、自分自身も楽しかったに違いありません」と矢野さん。

花森は、編集長の仕事にとどまらず、雑誌の全表紙画を描き、文章をレイアウトし、カットを描き、商品テストの写真などは映画のスチールのような演出を施しました。雑誌が完成すれば、新聞広告用の版下を制作し、電車の中づり広告まで制作しました。しかも100万部近くを売り上げてしまうわけですから、そんな雑誌編集長は、後にも先にも花森安治くらいしかいません。

矢野さんは「手元にある端切れを縫い合わせて社屋に掲げた庶民の旗『一銭五厘の旗』は、今なら立派な現代美術作品と言えるのではないでしょうか。もちろん当時の花森さんはそんな意識は一ミリもなかったはずです。『モダンデザインの父』と称されるイギリスの芸術家・思想家のウィリアム・モリスの仕事などを考えると、花森安治の残した作品を美術館で収蔵する意義がはっきりしてくるのではないかと思います」と解説していました。(読売新聞メディア局 市原尚士)

プロフィル
北川史織(きたがわ・しおり)
「暮しの手帖」編集長。フリーペーパーや住まいづくりの雑誌の編集部を経て、2010年に暮しの手帖社に入社。以後、数多くの本誌記事や別冊を担当し、2020年より現職。好きな分野は、料理、住まい、人物ルポルタージュ。

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4604597 0 大手小町 2023/10/06 06:00:00 2023/12/21 10:38:32 https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/10/20231004-OYT8I50024-T.jpg?type=thumbnail

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