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アニメ映画「竜とそばかすの姫」(2021年公開)などを手掛けた日本テレビの映画プロデューサーで、トランスジェンダーの谷生俊美さん(49)が、著書「パパだけど、ママになりました」(アスコム)を出版し、4年前に女の子の「パパ」となったことを明かしました。女性パートナーとの出会いや結婚、愛娘を囲む家族3人の暮らし、そして、男性に生まれながら「女性」として生きると決めた理由……。自らの半生を振り返り、つづった娘への「手紙」に込めた思いを、谷生さんに聞きました。
幼少期から自身の性に違和感を抱き、「いつか女の子になりたい」と願っていた谷生さん。男性として2000年に日本テレビへ入社すると、報道記者として外報部や社会部などを経て海外特派員に。2005年から5年間、カイロ支局長としてエジプトに駐在しました。
紛争が続く中東で取材をする中で「後悔しない人生を生きなければ」という思いを強くし、帰国後、上司に「女性」として生きたい気持ちを伝えました。そして、2018年にトランスジェンダー女性として、同局の報道番組「news zero」のコメンテーターを務め話題になりました。プライベートでは、カイロ駐在時代に知り合った日本人女性と2014年に結婚し、顕微授精で2019年に女児を授かりました。
「私は一生一人で生きていくんだろうな」
――家庭では、谷生さんを「ママ」、パートナーの女性を「かーちゃん」と呼んでいるそうですね。家族の新しい形を築いていこうと決めた経緯を教えてください。
カイロで海外赴任をしていると、家族ぐるみの付き合いが多く、いろんな形の家族を見ていくうちに、パートナーがいた方が人生は楽しいだろうなと感じました。だから、2012年に女性として生きる決断をした時、改めて考えたんです。パートナーはどうしようかな、と。
医師に性同一性障害であると診断されていたので、性別適合手術をした上で戸籍を女性に変え、男性と結婚することも考えました。でも、あまりリアリティーをもってとらえることができませんでした。
実際、女性として婚活したら、どうなるんだろう――。そう考えたら、世界の見え方が180度転換するのを感じました。仮に女性だとして、40歳、未婚、国立大学大学院を出て、日本テレビに勤務。給料はこれくらい……、色々な条件を婚活市場にあてはめてみます。
そうすると、女性だと「バリキャリ」で「負け犬」と称されてしまうことに気づきました。同じ「スペック」でも、男性だったら「超優良物件」と言われるのに、です。まして、それがトランスジェンダー女性だとすると、客観的に見てめちゃくちゃ難しいと思わざるを得ませんでした。
女性になって男性パートナーを探すとなると、無理だなって。とはいえ、女性とも結婚はしないだろうから、私は一生一人で生きていくんだろうな、と思っていました。
――パートナーである女性とは、「魂のふれあい」を感じたとありました。
エジプトでカイロ支局長をしていた2007年、若手駐在員の親睦会でJICAの青年海外協力隊員だった彼女と出会いました。一生懸命でまっすぐな、おもしろい子という印象でしたね。彼女の任期が終わり、エジプトを離れるタイミングで、交流する回数が増えて、帰国する前日には夜中ずっと2人で語り合って、気付けば、明け方の午前4時になっていました。
おもしろくて、楽しい会話がとても心地良くて、彼女とこのまま何らかの形でつながっていたいと思いました。セクシャルな意味でもなく、単なる友人でもない不思議な感覚でした。でも、日本に帰国して、彼女は間もなく渡米すると聞いていました。アメリカの大学院へ行くことが決まっていたので、そのままアメリカに残って、日本に戻ることはないのかもしれないとも思いました。
何らかの形でつながっていたいと願いつつ、どういう関係性でいられるのか、はっきりとしたイメージはありませんでした。それ以降、ミクシィを通してクリスマスのメッセージを贈るなど、ふとしたときに、なんとなく連絡を取り合う状態でした。
その後、私も日本に戻り、一時帰国した彼女と2012年に東京で再会しました。ニューヨークで仕事に打ち込む彼女の成長した姿を「かっこいい」と感じました。久しぶりに長く語り合い、特別な心地良さを感じ、こんな人が人生のパートナーになってくれたらと思うようになりましたが、ニューヨークに戻る彼女とはお互いの人生が交わらないまま、友人としての関係が続くのかな、と諦めていました。
ところが翌年、彼女から突然連絡があって、「帰国して東京で働いている」というメッセージが届きました。ビックリして、「ぜひ、会いましょう」と返したものの、この時には既に女性の姿で生活していたので、どう思われるだろうかと不安がよぎりました。
再会した彼女は、開口一番「やせましたね!」。外見が男性から女性になっているのに、そのことには何もリアクションがありませんでした。実は、色々な葛藤があったことを後に知りましたが……。その時、いろんな話をしていくうちに、この人がパートナーだったら、きっと楽しい人生を送れると確信したんです。
人生を軌道修正し「パートナーと共に生きる」
――2014年にこの女性と結婚し、法律上は「男性」「女性」として夫婦になる選択をしました。
事実婚や内縁など、いろいろなパートナーシップの形を考えましたが、現在の社会システムにおいて、法律婚でなければ保障は十分ではなく、どこかふわっとした関係で心もとない気がしたんです。
同性婚が認められていない現状では、私が性別転換して女性になったら、彼女とは法律上、“他人”でいるしかありません。戸籍上男性のままでいれば、彼女と結婚することができ、社会的に不安のない形で、人生をシェアすることができます。相手に何があってもパートナーとして守り、守られ、ともに生きていく覚悟があったので、結婚するのがベストなんじゃないかって。
もし、同性婚が認められていたら、その選択も具体的に検討したと思います。ただ、現状を考え、パートナーといろんなものをシェアしようとすると、結婚した方が都合がいい。「できるのなら、してみよう」となりました。
――「女性」として生きながら、法律的には男性として女性と結婚し、子どもをもうけることに戸惑いや違和感のようなものは?
「女性として生きる」と決めた人生を、「パートナーと共に生きる」へ軌道修正したといえるかもしれません。現実を考えたときに、一番不都合が少ない生き方が合理的だと。婚姻関係になったことで、後に「子どもを持つことにチャレンジしよう」と決めて、不妊治療を受けることができました。2年以上にわたる挑戦を経て、顕微授精でなんとか授かることができました。
子どもに恵まれたのは本当に奇跡だったんです。「女性として生きる」と決め、女性ホルモンの投与を始めました。それは、生殖能力を持つ精子がなくなる可能性があるという意味で重い決断でした。
その後、パートナーと一緒に生きていくと方向転換し、諦めたはずの子どもを持つことにチャレンジしたけれど、やっぱり、生殖能力のある精子はほぼなかったんです。ただ、わずかでもいれば、子どもができる可能性はある、とのことでした。パートナーの心身への負担は大変でしたが、絶対無理だと諦めていた我が子をこの手で抱くことができ、こんなに幸せなことはありません。まさに奇跡だと思いました。
だから、この子を守りたいし、幸せになってほしい。私の存在が理由でいじめられるようなことがあってほしくない。だれに何を言われようと、あなたは愛されて望まれて生まれてきた。とにかく、自らを肯定し、歩みたい人生を進んでほしい。困難や試練を私がどう乗り越えてきたかを詰め込んだこの本が、彼女の人生を生き抜くヒントになればいいなと願っています。
伝えたいことを、伝えられるときに、ちゃんと伝える
――娘へつづったたくさんのメッセージは、この本を通して、多くの人の目に触れることになります。
娘が成長して思春期を迎えたら、「うるさい」「知らない」「人のこと勝手に本にして」と、反発するかもしれませんね。それでも、書かずにはいられなかった。私は、報道の仕事を通じて、「人は簡単に死ぬ」と痛感させられる経験を何度もし、「あのとき言っておけば良かった」という後悔を繰り返してきました。
だから、「伝えたい人に、伝えたいことを、伝えられるときに、ちゃんと伝える」。たとえ、それが過剰であふれてしまうほどだったとしても、後悔するよりはずっといい。ときに、一方的な思いであったとしても。それが、私なんです。
娘にきちんと伝えたいという動機のほかに、この本を書いた理由が二つあります。
私たち家族の物語を通して、悩んでいる誰かを応援したいというのが一つ。伝えたいメッセージは、「自由に生きていい」ということ。自分を抱きしめて、大事にして、自分という存在を受け入れ、解放してあげてほしいんです。
幸せの形は多様なんだよ。人生の主人公はあなたなのだから、何が幸せかはあなたが決めればいい。親でもきょうだいでもなく、世間でもなく、あなたが選ぶことなんだ、と。
もう一つは、私という存在が可視化されることで、「トランスジェンダーの女性」を知るきっかけになってほしい、ということ。自分の周囲にトランスジェンダーはいないと思っている人も多いでしょう。知らない、分からないものは怖い。だから差別を生んでしまう。「news zero」のコメンテーターをした理由の一つも、「存在を知ってほしい」との思いから。トランスジェンダー女性がニュース番組のコメンテーターになれるという事実が、LGBTQ(性的少数者)などのマイノリティーにとって、励ましになればいいなと考えたからでした。
――谷生さんに勇気をもらう人もいれば、「自分にはできない」とひがんでしまう人もいるかもしれません。
物語の裏には、実際いろいろな出来事があります。私の人生がキラキラかというと、全然そんなことはありません。幼いころに暴力を受けた実の父親とはいまだに関係を修復できずにいるし、仕事では精神的に追い詰められてつらい思いをすることもあります。
他人の目にどう見えるかはさておき、人生はポジティブに考えたほうがいいほうへ回っていくのではないでしょうか。「映えまくっている誰かと比べて、今の自分は……」というネガティブ思考では、うまくいかない気がします。
ワインを飲んで自分を労ったり、好きな音楽を聴いて気分良くなったり、お気に入りのスイーツをシェアしたり……。押せばがんばろう!ってなれる「幸せボタン」をいくつも持っていれば、どんなことがあっても前向きに生きられると実感しています。
(聞き手・メディア局編集部 鈴木幸大、編集局生活部 林理恵、撮影・写真部 青木久雄)