台湾までわずか111キロ、沖縄・与那国「今こそ定期船を」…かつては「一つの生活圏」

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 中国の軍事活動の活発化で台湾有事への危機感が強まる中、台湾と、わずか111キロの距離にある沖縄県・与那国島(与那国町)の双方で、定期船就航を目指す機運が高まっている。かつて日本の統治下にあった台湾は、戦後の一時期まで与那国と「一つの生活圏」にあり、交流は細々と続いてきた。島民らは「平和が脅かされている今こそ、『同胞』との絆を結び直したい」と願う。(遠藤信葉)

福岡と那覇を経由

昨年10月上旬に来訪した花蓮市長(中央)を役場前で出迎えた糸数町長(右から3人目)ら=与那国町提供
昨年10月上旬に来訪した花蓮市長(中央)を役場前で出迎えた糸数町長(右から3人目)ら=与那国町提供

 昨年10月上旬、与那国空港に台湾東部・花蓮市の魏嘉賢市長らが降り立った。昨年は与那国町と同市の姉妹都市締結40年の節目。糸数健一町長らが公民館で開いた歓迎会では伝統芸能を披露して親睦を深めた。

 与那国島西部・ 西崎いりざき の展望台からは、条件が良ければ台湾の島影が望める。直行なら空路で数十分の距離だが、空路も海路も直接行き来できる便はない。魏市長らは今回、コロナ禍で那覇行きの航空便が運休中で、福岡と那覇を経由して訪れた。糸数町長は「日本の西の玄関口としての機能を果たせていない」と 忸怩じくじ たる思いを口にした。

与那国島から望む台湾の山々(左は西崎の灯台と展望台)。見えるのは気象条件次第で年数回と限られている=与那国町提供
与那国島から望む台湾の山々(左は西崎の灯台と展望台)。見えるのは気象条件次第で年数回と限られている=与那国町提供

 台湾と与那国は日本が台湾を統治していた1895~1945年の50年間、人や物が自由に行き交っていた。与那国は戦後数年間、日台間の密貿易の中継地として栄え、47年には人口が約1万2000人に達した。しかし、沖縄を統治した米軍の取り締まり強化で貿易が途絶えると、島民は仕事を求めて島外へ。辺境となった島の人口は、現在の約1700人にまで減った。

特区実現せず

 町が交流を再開し、花蓮市と姉妹都市を締結したのは、島民減少が続いていた82年のことだ。「平成の大合併」では石垣市などとの合併を見送り、2005年策定の「自立へのビジョン」で、人口約2300万人の経済圏を有する台湾との交流に活路を見いだした。

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