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中国の軍事活動の活発化で台湾有事への危機感が強まる中、台湾と、わずか111キロの距離にある沖縄県・与那国島(与那国町)の双方で、定期船就航を目指す機運が高まっている。かつて日本の統治下にあった台湾は、戦後の一時期まで与那国と「一つの生活圏」にあり、交流は細々と続いてきた。島民らは「平和が脅かされている今こそ、『同胞』との絆を結び直したい」と願う。(遠藤信葉)
福岡と那覇を経由
昨年10月上旬、与那国空港に台湾東部・花蓮市の魏嘉賢市長らが降り立った。昨年は与那国町と同市の姉妹都市締結40年の節目。糸数健一町長らが公民館で開いた歓迎会では伝統芸能を披露して親睦を深めた。
与那国島西部・
台湾と与那国は日本が台湾を統治していた1895~1945年の50年間、人や物が自由に行き交っていた。与那国は戦後数年間、日台間の密貿易の中継地として栄え、47年には人口が約1万2000人に達した。しかし、沖縄を統治した米軍の取り締まり強化で貿易が途絶えると、島民は仕事を求めて島外へ。辺境となった島の人口は、現在の約1700人にまで減った。
特区実現せず
町が交流を再開し、花蓮市と姉妹都市を締結したのは、島民減少が続いていた82年のことだ。「平成の大合併」では石垣市などとの合併を見送り、2005年策定の「自立へのビジョン」で、人口約2300万人の経済圏を有する台湾との交流に活路を見いだした。
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