大正時代の島根県地図に載る竹島、専門家「島根県の領土という認識が広く浸透」

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 大正時代に発行された「島根県警察統計便覧」や「小学校用島根県地図」などの資料3点に、竹島の記載があることが研究者の調査で分かった。明治38年(1905年)、島根県に編入された竹島。当時の行政機関や教育現場が、竹島について島根県の管轄下とみなしていたことを示す資料で、島根大法文学部の舩杉力修准教授(歴史地理学)は「(竹島は)島根県の領土であるという認識が広く浸透していたことを裏付ける」としている。(佐藤祐理)

 資料は、領土問題の研究をする「日本国際問題研究所」(東京)の委託を受けた舩杉准教授が、昨年7月に島根県内の古書店で発見した。

 警部補巡査定員や巡査賞罰など警察関係の統計がまとめられた「島根県警察統計便覧」は、島根県全図などもあり、県が公的に利用するために発行した資料にあたるという。隠岐国の分図に記載された竹島は、同島を構成する男島(西島)と女島(東島)も描かれているほか、隠岐国と同じ薄緑色に塗られており、島根県隠岐島庁や隠岐の警察の管轄下にあったことが分かるという。

 警部補巡査定員の基準日などから、大正9年(20年)頃の発行とみられる。これまで確認されていた便覧は、島根県竹島資料室が確認している同13年(24年)が最も古かったが、さらに年代が遡る。

 また、島根県私立教育会が編さんし、同4年(15年)に発行された「小学校用島根県地図」は、表紙に「簸川郡大津村尋常高等小学校」の朱印があり、教育現場で広く活用されていたことを伝える。地図には隠岐諸島の北西に「竹島(リャンコルト島)」と記されており、竹島が日本領と認識されていたことが分かる。

島根県私立教育会が校閲し、芳文堂が発売した島根県地図。隠岐の北西に竹島が記載されている=舩杉准教授提供
島根県私立教育会が校閲し、芳文堂が発売した島根県地図。隠岐の北西に竹島が記載されている=舩杉准教授提供

 松江にあった書店「芳文堂」が発売した島根県地図にも竹島の記載があった。地図は同教育会が校閲しており、隠岐諸島の分図に「竹島(リャンコルト島)」と記され、韓国・鬱陵島との間に境界線が引かれていた。一畑電鉄や簸上鉄道(現・JR木次線)などの記載状況から昭和3年(28年)頃の発行と推定され、一般向けに広く流通していたと考えられる。

 見つかった3点は、島根県立図書館や国立国会図書館など公的機関での所蔵はないという。舩杉准教授は便覧について「島根県が竹島を公的機関の管轄域とみなし、地図を行政目的で当たり前のように発行していたことが分かる」と指摘し、「学校での展示などで子どもたちが竹島について学ぶきっかけになれば」と述べた。

スクラップは会員限定です

使い方
「社会」の最新記事一覧
記事に関する報告
3703943 0 社会 2023/01/14 07:36:00 2023/01/14 09:49:42 2023/01/14 09:49:42 https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/01/20230113-OYT1I50053-T.jpg?type=thumbnail

主要ニュース

セレクション

読売新聞購読申し込みキャンペーン

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)