18万人余りが眠る最後の激戦地、不戦誓う「祈りの丘」に…[沖縄復帰50年]

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  紺碧こんぺき の海を望む海岸線には、ゴツゴツとした断崖が続く。沖縄戦最後の激戦地・ 摩文仁まぶに (沖縄県糸満市)。本土復帰直前の1972年4月、読売新聞の特派員が読売機から撮影した丘陵地では、現在の平和祈念公園の整備が進んでいた=写真=。

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 日本軍が本島南部への撤退を決め、多くの住民が南へ南へと追い詰められて命を落とした。戦後、生き残った住民が集めた遺骨は、各地に建った慰霊塔から戦没者中央納骨所(那覇市)へ。復帰7年後の79年には、摩文仁に完成した国立沖縄戦没者 墓苑ぼえん に遺骨が移され、18万人余りが眠る。

摩文仁の丘に建てられた国立沖縄戦没者墓苑には、多くの遺族が今も訪れる(6月19日、沖縄県糸満市で)
摩文仁の丘に建てられた国立沖縄戦没者墓苑には、多くの遺族が今も訪れる(6月19日、沖縄県糸満市で)

  御霊みたま が安らげるようにと参拝所に施された赤瓦の向こうには、澄んだ青空が広がる。95年には園内に戦没者の名を刻んだ「平和の いしじ 」が建設されたが、今も多くの遺族が墓苑へと足を運ぶ。

 父と姉2人を亡くし、ほぼ毎年訪れる島袋スミ子さん(76)(糸満市)は6月、千羽鶴を手向けた。「この鶴に乗り、どうか安心して天国へ」。異国の空の下で戦火が上がる中、「祈りの丘」から不戦を誓った。

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3176999 0 社会 2022/07/18 08:58:00 2022/07/18 08:58:00 2022/07/18 08:58:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/07/20220718-OYT1I50024-T.jpg?type=thumbnail

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