完了しました
えびす神社の総本社・西宮神社(兵庫県西宮市社家町)で毎年1月10日に開かれる恒例行事「開門神事福男選び」。参拝一番乗りを競い、参加者が表大門から本殿までの参道約230メートルを駆け抜け、上位3人が「福男」になる。多くの人に福を授けるとされる福男だが、選ばれた本人に福は訪れるのだろうか。(加藤あかね)
「今年の2月9日、『福』の日に結婚したんです」。そう話すのは、2019年の「二番福」だった西宮市出身で吉本興業所属のお笑いタレント伊丹祐貴さん(32)。漫才コンビの結成と解散を繰り返し、うだつが上がらない日々に焦りを抱いていた頃、福男選びに挑戦した。
福を手にし、収入は5倍に増え、吉本新喜劇にも入団できた。「自信がつき、『何でもいける』とめちゃくちゃ前向きになれた」。ただ、名前と各地の空港名にちなんだギャグ「羽田ちゃうねん! 誰が成田や! 伊丹や!」はいまだに浸透しない。それでも、「今が一番、お笑いをやっていて楽しい。新喜劇を盛り上げたい」と意気込む。
名称 1939年から
開門神事は江戸時代から続く。1月10日午前6時、閉じられていた表大門が開け放たれる。20年以上、神事を研究する明石高専の荒川裕紀准教授(44)によると、1905年に阪神電鉄が開通し、神事に合わせた終夜運転が行われると、県外からも大勢の参拝客が開門時に訪れるようになった。荒川准教授は「われ先に、と走り参りをする、より刺激的な祭礼に変わっていった」とみる。
新聞記事や宮司の日誌「御社用日記」に一番乗りの参拝者が最初に登場するのは、37年。西宮市の田中太一さんで、この年で16回目の一番福だと紹介されている。自然発生的に始まったとされる走り参りだが、神社が39年に副賞として大鏡餅を贈り、翌40年からは一番乗りを認定するようになって、競い合いの色が濃くなったという。
39年の新聞記事には、セーラー服の女学生も参加したとの記載があり、当時から性別などに関係なく参加できたようだ。当初は「福争い」「一番乗り」「一番福」などと呼ばれ、39年から「福男」の名称も使われるようになった。
事故は不幸だけど
今年1月の福男選びは新型コロナウイルスの感染拡大で中止になり、開門神事だけが開催されたが、これまで延べ約200人の福男が選ばれてきた。神事に協力する歴代の福男らの団体「開門神事講社」代表の平尾亮さん(45)は1997、98年に二番福になった。「一番福を」と再挑戦した99年には、トップだったが本殿前で転倒。福を逃し、「不幸男」として紹介された。その年の暮れには交通事故で命を落としかけ、右脚に大けがを負った。
「周りを幸せにしないといけないのに、迷惑ばかりかけている」と、2002年から裏方に回った。「事故は不幸なことだけれど、マイナスじゃない。今も神事に関わることができるのは、誇りです」と胸を張る。
西宮市議の大迫純司郎さん(40)は03年以降、福男選びに参加。高校時代に野球で鳴らした俊足を武器に、05年に三番福、09年に二番福になった。出会った人が「福をもらった」と笑顔になってくれるのが喜びになり、今も一番福を追いかけ続けている。
西宮神社の吉井良英権宮司(60)は「福男が幸せかどうかは、それぞれの受け止め方でしょう。早くお参りしたいという思いが形になり、自然に生まれた信仰。まさに人の心がつくった伝統です」と語る。
新型コロナの感染拡大が落ち着かず、22年1月の福男選びが開催されるかどうかは分からないが、熱気に満ちた行事が再び見られることを期待したい。