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奈良市の薬師寺で、25~31日に営まれる「
薬師寺近くの民家で18日午前、色鮮やかな桜やユリの造花が差し込まれたわらの束を僧侶ら7人が運び出した。地元住民に見守られながら、形が崩れないよう気を配り、10分ほどかけて境内へと担いでいった。
列の後方で、花を丹精した増田茂世さん(61)が見守った。「手を離れるのは、娘をお嫁に出すようなさみしさがあります」
寺によると、平安時代、堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈り、回復した皇后が感謝して造花を供えたのが花会式の由来だ。かつては寺内で造花を用意したが、明治時代以降、寺と縁の深い増田さん宅ら市内の2世帯が担う。
モモやカキツバタなど4種類を手がける増田さんは例年、前年の5月頃から造花の材料集めを始める。介護関係の仕事の傍ら、家族や知人と協力して、花の茎になる部材を竹から切り出す「竹削り」を冬にかけて行い、年明けから仕上げを本格化させるという。
花弁の形に型抜きした和紙を手のひらに乗せ、木の棒で押し込んで丸みを付ける工程を「いためる」と呼ぶなど、独自の用語や手順を口伝で受け継ぐ。近くに住む長女・夏海さん(29)も「小さな頃から生活の一部」と手伝いに駆けつけ、技術の継承を進める。
手塩にかけた花の「晴れ姿」を見ようと、増田さんは毎年花会式に足を運ぶといい、「僧侶と参拝者の祈りをつなぐ橋渡し役になればうれしい」と、奉納に込めた願いを明かす。
この日午後には、寺から約8キロ離れた橋本眞智子さん(65)宅からも、ヤマブキ、ツバキなど6種類の造花が寺に届けられた。葉脈を紙のしわで表し、おしべを鹿毛で再現。本物の花畑さながらの見た目で、甘い香りが漂うようだ。
今年は眞智子さんと母・房子さん(90)、夫・安昭さん(74)が主に作業。房子さんは「何十年と続けているから手は勝手に動く」と軽やかにハサミを動かし、次々と花弁の形に紙を切る。近年、小学生の孫娘も花作りを手伝い始めたという。
稲作などの傍ら花作りに取り組む「兼業」で、眞智子さんは「両立に苦労したときもあったけれど、お薬師さまへの特別な役割ができる感謝を胸に、伝統を次世代に伝えたい」と笑顔で花を見送った。