九州発 西部本社編集局

平和の願い 刻んだ筆

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 職員が広げた紙に「沖縄県庁」と大書されている=写真=。横約3メートル、縦約1メートル。この書を基に県庁舎の「表札」が制作され、本土復帰した1972年5月15日に除幕された。沖縄一の書家と呼ばれた 謝花雲石じゃはなうんせき (本名・寛剛、1883~1975年)が 揮毫きごう した。当時88歳だった。

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裏面に刻む屋良朝苗知事の言葉を書き上げる謝花雲石(1972年3月)=沖縄県公文書館所蔵
裏面に刻む屋良朝苗知事の言葉を書き上げる謝花雲石(1972年3月)=沖縄県公文書館所蔵

 琉球政府は、県庁の玄関を飾るにふさわしい「全国一の表札を」と、雲石に依頼した。ところが、一度は固辞したと、地元書道会の冊子に記録されている。

 冊子によると、戦前の1931年に旧県庁の表札の原本を書いたのも雲石。激しい沖縄戦で、表札が庁舎とともに失われたことが固辞の理由とされる。

 「県民も悲惨な目にあった。その悔しさ、苦しさから二度と書きたくない」。そう心情を吐露したという。

 琉球政府の職員は「恒久平和と県民の幸せを祈念し、今度こそ未来 永劫えいごう に(残る)沖縄県の象徴を」と懇願した。

 応じた雲石は、 屋良朝苗やらちょうびょう ・初代知事が平和の創造を誓った裏面の言葉も書き上げた。

沖縄県庁入り口に設置されている表札(1月24日、那覇市で)
沖縄県庁入り口に設置されている表札(1月24日、那覇市で)

 だが、表札に「雲石」の雅号は残されていない。「雲石は『沖縄県民の合作だ』と言って聞き入れなかった」。県立博物館・美術館の伊礼拓郎学芸員(28)が説明する。

 書は重さ約10トンの巨石に刻まれた。それから半世紀。平和への願いを刻んだ表札は県民を見守り続ける。

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2712187 0 沖縄復帰50年 情景 今・昔 2022/01/28 18:02:00 2022/03/30 08:11:34 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/01/20220128-OYTAI50015-T.jpg?type=thumbnail

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