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職員が広げた紙に「沖縄県庁」と大書されている=写真=。横約3メートル、縦約1メートル。この書を基に県庁舎の「表札」が制作され、本土復帰した1972年5月15日に除幕された。沖縄一の書家と呼ばれた
琉球政府は、県庁の玄関を飾るにふさわしい「全国一の表札を」と、雲石に依頼した。ところが、一度は固辞したと、地元書道会の冊子に記録されている。
冊子によると、戦前の1931年に旧県庁の表札の原本を書いたのも雲石。激しい沖縄戦で、表札が庁舎とともに失われたことが固辞の理由とされる。
「県民も悲惨な目にあった。その悔しさ、苦しさから二度と書きたくない」。そう心情を吐露したという。
琉球政府の職員は「恒久平和と県民の幸せを祈念し、今度こそ未来
応じた雲石は、
だが、表札に「雲石」の雅号は残されていない。「雲石は『沖縄県民の合作だ』と言って聞き入れなかった」。県立博物館・美術館の伊礼拓郎学芸員(28)が説明する。
書は重さ約10トンの巨石に刻まれた。それから半世紀。平和への願いを刻んだ表札は県民を見守り続ける。