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高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体を指揮したことでも知られる奈良市の石工・左野勝司さん(80)が6月、南米チリ領のイースター島を約30年ぶりに訪れた。過去に島のシンボル・モアイ像の修復工事を手がけた縁で、現地からの要請を受けて像の現状確認のほか、修復作業をともに行った島民との再会を果たした。(栢野ななせ)
技術を島に残す
チリ本土から約3700キロ西に位置する島東部のアフ・トンガリキ遺跡。石積みの祭壇に、大きいもので高さ8メートルになるモアイ15体が一列に並ぶ。30年前、散らばっていた破片を島民と集め、金属の棒でつないで像を復元した。
部族間抗争や津波の影響で倒壊していた像の修復に、1992年から携わった。クレーンなどを提供した機械メーカー「タダノ」(高松市)や、奈良文化財研究所の職員らでつくる委員会が、現地の大学などと協力して修復に着手。藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺開封などの実績があった左野さんに声がかかった。
左野さんは「技術を島に残すことに意味がある」と思い、像をつり上げる手順を日本のチームで実演し、同じ作業を島民だけでやってもらった。1か月ほどの滞在を20回近く重ね、15体を約3年間かけて起こした。
手を加えないよう助言
イースター島から昨年12月、手紙が届いた。同10月の山火事で島内で多くの像が損傷し、島民から「被災状況を確認してほしい」との依頼だった。「年齢を考えると最後かもしれない。遺産を守るためにできることをしたい」。同年に新しいクレーンを現地に贈ったタダノの多田野宏一会長らとともに2週間、再訪した。
同遺跡から西に約1キロ、火山ラノ・ララクの麓は、制作途中のモアイが数多く置かれた「モアイ工場」と呼ばれる石切り場がある。近くの火口付近が被害を受けた現場で、左野さんが調べると、火を浴びたとみられる影響で20~30体ほど、まだらに変色した像が確認できた。
ただ、像が大きく崩れる状況ではないと判断。こすったり水をかけたりすると、損傷する恐れがあるため、「モアイには手を加えないように」と現地の管理者らに助言した。不幸中の幸いだった。
第二のふるさと
30年ぶりに自分が修復した15体の像にも〈再会〉し、「変わらず無事で良かった。あの修復のやり方は間違いではなかった」と
交流では、30年前の作業で使ったロープを「大事に持っていた」と見せる人もいた。ある島民は「私設博物館を作りたい」と構想を打ち明けた。モアイ修復や独自の言語など島の文化を紹介し、島民や観光客に発信したいという。左野さんは今後、施設の整備に協力するつもりだ。多田野会長と島に支援金を贈った。
1995年には島全体が国立公園として世界文化遺産に登録された。年間15万人が訪れる観光地となり、島の景色は一変していた。道路は舗装され、島民が自主的に整えたと思われるモアイがあったという。
「これからも『第二のふるさと』になった島の人のため、少しでも役に立てるといいな」。モアイがつないだ絆を大切に、島のことを考え続けている。