玉蘊の実像 迫る画集

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研究者・奥田さん出版

収集80点収録 新出資料基に論考、解説

「品格の女性画家 平田玉蘊」をまとめた奥田さん(尾道市で)
「品格の女性画家 平田玉蘊」をまとめた奥田さん(尾道市で)
「朝顔に鶏図」=部分、個人蔵
「朝顔に鶏図」=部分、個人蔵

 江戸時代後期に活躍した尾道の女性画家・平田 玉蘊ぎょくおん (1787~1855年)の画集「品格の女性画家 平田玉蘊」を、玉蘊研究者の奥田浩久・尾道市立中央図書館長(68)が出版した。奥田さんが約20年にわたって収集したコレクションの解説や新出資料を基にした論考を加え、玉蘊の実像を鮮明に捉えている。(佐藤行彦)

 玉蘊は尾道の木綿問屋に生まれた。絵や能をたしなんだ父親の手ほどきを受け、幼少期から描き始めた。20歳の時に職業画家として独立。儒学者・頼山陽と知り合い恋仲になったといわれ、尾道に居を構えながら何度も京に赴き、四条派など一流の画家と交流しつつ腕を磨いた。

 玉蘊は、伊藤若冲をほうふつとさせる「朝顔に鶏図」を始め、花鳥、山水、人物など多彩なジャンルを繊細に描き分けた。江戸後期の絵画評論集「画乗要略」は、清原雪信らと並んで玉蘊を江戸時代の代表的な女性画家5人に挙げている。

 今回の画集には玉蘊を中心に師匠の八田 古秀こしゅう や妹・ 玉葆ぎょくほ ら奥田さんが収集した作品計約80点を載せ、それぞれに解説を加えた。玉蘊が描いた天神図の箱に収められた書き付けから新たな事実も判明し、論考にまとめた。

 書き付けは玉蘊の来歴に触れた大正14年(1925年)の文書。家業は酒造業だったとし、代表作の一つ福善寺(尾道市長江)の本堂 襖絵ふすまえ は吉井藤三郎という人物と京都の西本願寺に赴き、現地で見た絵を基にして描かれたと記していた。いずれもこれまで知られておらず、奥田さんが文献を調査し整合性を確かめた。

 同図書館や県立文書館が持つ18世紀末~19世紀初頭の尾道の酒造にまつわる複数の文書には、玉蘊の生家「福岡屋」の名が見えた。生家は木綿問屋だけでなく酒造も手がけ、裕福な商家だったようだ。

 また、吉井藤三郎は福善寺の 檀家だんか 総代で、尾道でも指折りの豪商だった。同寺の襖絵は雪中の松竹梅を描いた天保5年(1834年)頃の玉蘊の作で、西本願寺御影堂に伝わる同じ構図の襖絵がモデルといわれてきたが、制作の詳細な過程が明らかとなった。

 奥田さんは、現存する玉蘊の天保期の作品が極端に少ないことに注目。天保期は全国的に 飢饉ききん が起き、尾道でも多くの困窮者が生じたと伝わる。奥田さんは「飢饉で絵画制作どころではなく注文が途絶えた。そのような中、豪商仲間が玉蘊を支援するために福善寺の襖絵を描かせたのではないか」とみる。

 その上で、「当時は女性画家として生計を立てるには困難の多い時代だったが、尾道の豪商たちは実力さえあれば認めた。固定観念のない自由な町だった」と考察した。

 画集はオールカラー、147ページ。1500円(税込み)。尾道市などの書店「啓文社」で販売している。

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