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NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」には、「沖縄そば」や「島豆腐」など沖縄の食文化が頻繁に登場する。実はその沖縄のソウルフード、1972年の復帰で本土のルールが適用され、そのままでは販売できなくなる危機にあった。いったい何があったのか、復帰半世紀を機に関係者に話を聞いた。(デジタル編集部・大森亜紀)
沖縄そばは「そば」ではない
沖縄そばは、戦前から沖縄県内で愛されてきた味だ。小麦粉に灰汁やかん水などを加えた麺に、かつお節やとんこつなどでとっただし。本土のいわゆるそば粉を使った「そば」とは違うが、いまや観光客にもおなじみの味になっている。
沖縄そばを製造する「サン食品」(沖縄県糸満市)社長の土肥雄大さん(53)によると、その「沖縄そば」を「そば」と表示できない危機が訪れたのは1976年のことだったという。国の「生めん類の表示に関する公正競争規約」によると、「そば」とは、そば粉を30%以上使ったもの。小麦粉100%の沖縄そばは「中華めん」扱いになり、「沖縄風中華そば」や「沖縄風ラーメン」との改称を求められた。
当時、土肥さんの父、健一さん(87)が、県内の麺製造会社で作る沖縄生麺協同組合の理事長を務めていた。降ってわいた改名騒動に危機感を覚えて、何度も規約を管轄する公正取引委員会などにかけあったそうだ。「沖縄県内の出先ではらちがあかず、月に一度は上京して、なんとか沖縄そばを守ろうとしたようです」と雄大さん。
担当官が山梨県出身と知り、甲府名物の麺料理「ほうとう」を例に、「山梨の『ほうとう』をほうとうと呼べないのと同じこと」とかけあった。沖縄に来県してもらい、地元でいかに愛されているのかも示した。粘り強い交渉が功を奏し、77年に県内だけの通称使用が認められ、78年には「本場沖縄そば」という表示が認められた。「信州そば」や「長崎ちゃんぽん」と同じように、特産品として位置づけられたという。
第一線を引退した健一さんに代わり、「父はメモ魔なんです」といいながら、当時の膨大な資料を調べてくれた雄大さんによると、通達の日付は78年10月17日。これを記念して、この日は沖縄そばの日になっている。
はれて本土でも販売できるようになったが、実際に本土への沖縄そばの出荷が本格化するのは1987年ごろ。当時、沖縄では、復帰の特別措置として本土より安い価格で小麦を入手できた。その価格差が本土への出荷を阻み、本格出荷が許されなかったそうだ。
サン食品の現在の出荷比率は、沖縄県内が7割、県外が3割で、県外への出荷が徐々に増えてきているという。「沖縄そばは、焼きそばにしてもいいし、ケチャップやソースでナポリタン風にしてもおいしい。鍋のシメにもあいます」と雄大さん。そういえば、「ちむどんどん」でも、沖縄そばでナポリタンを作るシーンが登場した。「どんな料理にもあわせられる、沖縄そばは、さまざまな文化を取り込む沖縄の懐の深さを表すような料理。地に足をつけたおいしさを今後も提案していきたい」と話す。