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汐
が満ちてくると鳥居も海上に浮かぶ――――池波正太郎「よい匂いのする一夜」(1980年)
安芸の宮島にある世界遺産・厳島神社の大鳥居が昨年12月、約3年半の大規模修理を終えた。海上に立つ鮮やかな朱色の威容を見ようと、対岸の宮島口からフェリーに乗った。
40年以上前、宮島を訪れた作家の池波正太郎は、月刊誌の連載「よい匂いのする一夜」で、こう描写している。
「山を背にした朱色の社殿が海へ突き出している。汐が満ちてくると鳥居も海上に浮かぶ」
その通りの情景が、フェリーの上からも見えた。作家は視覚だけでなく、嗅覚も使って泊まりがけの旅を楽しんだのだ。こちらも五感を研ぎ澄まして宮島に滞在してみることにした。
池波の宮島行きの主な目的は、念願としていた老舗旅館「岩惣」への宿泊だった。その20年ほど前に宮島を半日だけ見学したことがあり、それを「広島出身の、知り合いの老人」に報告したところ、「厳島は、泊ってみなくては、ほんとうのよさがわかりません」とたしなめられ、「岩惣へ、ぜひとも、お泊りなさい」と勧められていたのだった。
岩惣の平田裕二社長(63)の案内で、かつて池波が泊まった離れの「洗心亭」を見学した。
広々とした窓からは、池波の文章にもあった「紅葉谷の渓流」が見えた。「まるで別世界の静寂だけに、川の音が際立つ」と作家がたたえたせせらぎがそこにはあった。
紅葉谷を歩き、森林の匂いを吸い込む。すると作家が出合ったと記している、「親しげな
宮島の歴史に詳しい郷土史研究家の
「人と鹿が共存する工夫と知恵ね」。舩附さんがほほ笑んだ。
池波は「汐が引いた鳥居のあたりまで、鹿の姿を見ることができた」と書いている。日中の干潮時に行ってみると、大鳥居近くを一列に並んで歩く鹿がいた。
夜中の干潮時、大鳥居越しに厳島神社の社殿と満天の星を見る。宮島に泊まってみなくてはわからない、本当に美しい光景が眼前に広がった。
池波正太郎
(いけなみ・しょうたろう)
1923年(大正12年)に東京・旧浅草区で生まれ、今年は生誕100年。同年9月の関東大震災で生家は焼失。幼時を過ごした同区の母の実家も戦災で失われた。60年に時代小説「錯乱」で直木賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」シリーズなどの作品には、下町の江戸情緒への懐旧の思いがのぞく。90年没。平凡社の月刊「太陽」で79年から約2年間、「よい匂いのする一夜」を連載し、宮島の岩惣は80年3月号に掲載。「よい匂いのする一夜」は講談社文庫で読める。
文・藤原善晴
写真・西孝高
もみじ饅頭にかける情熱
念願かなって宮島の「岩惣」に泊まった池波正太郎は、「翌朝は快晴で、一浴し、裸のまま、現当主の祖母が工夫したという〔紅葉まんじゅう〕を食べ」たと書いている。
岩惣の創業は幕末の安政元年。明治時代には紅葉谷の景観が評判となり、要人が多数泊まる宿として発展した。
池波の言う「工夫」とは、岩惣の
これをきっかけとして、もみじ
常助の息子が高津堂を宮島口に移転し、饅頭製造は中断したが、孫の加藤宏明さん(70)が2009年、「元祖もみぢ饅頭」として復活させた。
宮島では、長年にわたり多くの菓子屋が様々なもみじ饅頭を考案し、販売してきた。
宮島の表参道商店街に本店を構える紅葉堂では、もみじ饅頭を揚げて串に刺した「揚げもみじ」販売コーナーに長蛇の列ができていた。同じ商店街にあるやまだ屋本店では、もみじ饅頭の手焼き体験コーナーに人気が集まる。同社の中村
赤く色づいたもみじは、宮島のシンボル・大鳥居の色にも通じる。宮島の人々のもみじ饅頭にかける情熱から、ふるさとの自然や歴史に対する強い愛着を感じた。
●ルート JR東京駅から広島駅まで東海道・山陽新幹線で約3時間50分。山陽線に乗り換えて宮島口駅まで約30分。宮島口から宮島までフェリーで約10分。
●問い合わせ 宮島観光協会=(電)0829・44・2011、厳島神社=(電)0829・44・2020、高津堂=(電)0829・56・0234
[味]カキの身使った黒ビール
「宮島ビール」は宮島唯一のクラフトビールメーカー。桟橋から続く商店街を歩き、大鳥居も間近になったあたりに直営醸造所「宮島ブルワリー」((電)0829・40・2607)があり、ビアスタンドで生ビールを飲むことができる。なめらかな口あたりの白ビール「MIYAJIMA WEIZEN」などから選ぶことができ、Sサイズが450円。M、Lサイズもある。
土産用に宮島の景色や鹿をデザインした缶、瓶も販売している。「もみじLAGER缶」(570円)は、紅葉したもみじのような赤い色のラガービールで、カラメルと
ひとこと…もみじ愛でる歴史
宮島からの帰り、広島駅でにしき堂(広島市)のもみじ饅頭詰め合わせ「錦もみじ」を買い求めた。その名の由来は、菅原道真が詠んだ「もみじの錦」を神様にささげるという内容の和歌で、百人一首にも入っているという。日本人が美しいもみじの葉を尊び、