夢二が愛育んだ奥座敷…湯涌温泉(金沢市)

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()(わく) なる山ふところの小春日に () 閉ぢ死なむときみのいふなり――――竹久夢二「山へよする」(1919年)

竹久夢二は次男の不二彦と恋人の彦乃を連れ、3台の人力車に分乗して湯涌温泉を訪れた。昼は散歩やスケッチ、夜はゆっくり湯につかって過ごした
竹久夢二は次男の不二彦と恋人の彦乃を連れ、3台の人力車に分乗して湯涌温泉を訪れた。昼は散歩やスケッチ、夜はゆっくり湯につかって過ごした

 物憂げな「夢二式美人画」で知られる画家、竹久夢二が金沢の奥座敷、 ()(わく) 温泉にやって来たのは1917年秋のこと。6歳の次男、不二彦の病後療養のためで、恋人、笠井彦乃も一緒。3週間あまりの滞在中、彼女の口からは「好きな人とこうして死んだら」と、甘えた言葉が漏れた。

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 前妻のたまきの失踪後、夢二は長男を祖父母に預け、三男は養子に出して、不二彦と京都で暮らしていた。そこへ彦乃が合流し、3人の生活が始まって2か月余り。夏、蒸し暑い京都を逃れて北陸の旅に出たのだ。山代温泉、山中温泉、粟津温泉などを巡って金沢に入った。

 そこで不二彦が入院する。おそらくはひどい食あたりで。退院後、医者の勧めもあって訪れたのが市街地から約15キロ離れたひなびた温泉、湯涌だった。

 3人が滞在した山下旅館は建て替えられ、現在は「お宿やました」に。夢二が彦乃をモデルにして描いた「湯上がり美人」のレプリカが掲げられたフロントで 女将おかみ の山下絹子さん(75)が迎えてくれた。

 「亡くなったじいちゃん(義父)が子どもの頃、夢二に会っています。なよなよした人だったそうです」

 部屋や廊下に夢二作品のレプリカが飾られ、ファンも多く訪れるという。

「お宿やました」から見る湯涌温泉
「お宿やました」から見る湯涌温泉

 旅館のはす向かいは夢二の作品や遺品など約2600点を所蔵する金沢湯涌夢二館。夢二と深い関係にあった3人の女性、たまき、彦乃、そして彦乃に続いて夢二のモデルを務めたお葉の資料が常設展示されている。

 学芸員の川瀬千尋さん(37)が見せてくれたのは 甲斐絹かいき の帯地に夢二、彦乃が手描きした合作の帯。彦乃がそれを締め、夢二と並んで立っている写真もある。旅館の露台で不二彦が撮影したという。

 「湯涌なる山ふところの~」の歌が収録された夢二の著作「山へよする」には「彦乃との恋を結晶させた絵入り歌集」と解説した展示パネル。「『山』は彦乃の秘密の呼び名でもあったんです。隠れて交際していたので手紙などで使った」と川瀬さんはいう。

 歌を刻んだ碑が館から少し山へ入った薬師寺境内に立つ。さらに山を登っていく道が「夢二の歩いた道」として整備されている。

 「ハイカラな格好で、働きもしないでフラフラ歩いていた」という目撃談も伝わる。山仕事に励む地元の人々にとって、夢二の姿は理解を超えていたのだろう。

  竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)
 1884~1934年。岡山県本庄村(現瀬戸内市)生まれ。本名は茂次郎。「平民新聞」などに挿絵や詩を寄せ、妻、たまきをモデルに「夢二式美人画」を創案。夢二画集や詩画集を次々刊行。「宵待草」などの叙情詩でも人気。1914年、東京・日本橋に夢二デザインの日常生活の品々を売る港屋を開店、商業デザインも手がけた。この港屋で彦乃と知り合う。31~33年、アメリカ、ヨーロッパ旅行。岡山市と瀬戸内市、東京都文京区、群馬県伊香保にも夢二の作品を展示する美術館がある。

 文・森恭彦
 写真・西孝高

生きる力取り戻す霊泉

 竹久夢二は金沢に3度来ている。前妻、たまきの出身地なので、たまきに「君の故郷を見たい」と言って来たのが最初だった。この時、夢二は長町武家屋敷跡の土塀や、浅野川大橋、 主計かずえまち 茶屋街をスケッチしている。

入り組んだ細い路地が続く主計町茶屋街。夢二がスケッチした当時とほとんど変わっていない
入り組んだ細い路地が続く主計町茶屋街。夢二がスケッチした当時とほとんど変わっていない

 2度目の金沢に同伴したのが12歳下の笠井彦乃。夢二に絵の指導を仰ぐうち恋仲になったが、父親の猛反対にあい、家出同然で京都の夢二のもとに走る。が、金沢・湯涌行きの翌年、東京に連れ戻され、また京都に向かい、と、行きつ戻りつの後、結核を発症、23歳で死んでしまう。

 この幸薄い恋人の面影を宿す女性が登場する小説「秘薬紫雪」を夢二は発表した。

 夢二を思わせる立花春吉は自分を慕う娘、雪野を親友の矢崎と結婚させてしまう。作中、浅野川のほとりの家や、ひがし茶屋街の宴会場などが小説最終盤の舞台となる。立花との関係を疑われた雪野は夫、矢崎に殺されるが「紫雪」という秘薬によって息を吹き返し、「霊泉」が湧く湯涌温泉で生きる力を取り戻すのだった。

 「秘薬紫雪」の朗読会が3年前、湯涌で開催された。演出に当たった舞台女優、高輪真知子さん(71)は「浅野川大橋近くの茶屋街を 芸妓げいこ や旦那衆が行き交った様子もうかがえる」と話す。「これは、そういう俗な世界から離れようとする純粋な男女の愛の話なんです」

 ところで「秘薬紫雪」は実在の薬だ。片町の生薬・漢方薬店「中屋彦十郎薬舗」が20年ほど前まで製造していた。当主の中屋彦十郎さん(82)が「加賀藩主、前田綱紀が作らせた。サラサラとした紫の雪のような薬です。効能書きに『解熱中毒急病の良薬』とあります。死人を生き返らせるのは無理でしょうが」と教えてくれた。

 小説の中の男女は湯涌温泉で1週間ばかり過ごした後、「紫の雪を頂いた白山の峰をわけて」、いずこかへ去って行く。そこには彦乃の死の影もさしているようにみえる。

夢二の小説の中で、男女は湯涌温泉に滞在後、白山の峰(奥)をわけて、いずこかへ去って行く
夢二の小説の中で、男女は湯涌温泉に滞在後、白山の峰(奥)をわけて、いずこかへ去って行く

 ●ルート 金沢まで、東京駅から新幹線で2時間半、大阪駅から特急サンダーバードで2時間40分前後。湯涌温泉へはバスで50分余り。

 ●問い合わせ 金沢湯涌夢二館=(電)076・235・1112、お宿やました=(電)076・235・1021、金沢市観光協会=(電)076・232・5555

[味]ドジョウの苦み タレと絶妙

 「うなぎ1匹、どじょう1匹」という言葉があるそうだ。小さなどじょう1匹の栄養価はうなぎ1匹に匹敵するという。

 どじょう料理の代表は柳川鍋だろうが、金沢にはどじょうのかば焼き=写真=という郷土料理がある。金沢出身の作家、泉鏡花はエッセー「寸情風土記」にも「夜店に、大道にて、 どじょう を割き、串にさし、 付焼つけやき にして売るを関東焼とて行はる。 蒲焼かばやき の意味なるべし」と書いている。

 かばやき屋((電)076・268・9770)代表、山内登さん(47)は元々、客だったが、高齢のため店を閉じる先代に頼み込んで作り方を教わり、秘伝のタレも受け継ぎ、脱サラして開業した。備長炭でカリッと焼き、甘辛いタレにつける。どじょうの苦みとのバランスが絶妙だ。1本100円。なお店は来年1月、元あった場所に移転の予定。

建物は違うが、夢二は同じ場所に彦乃を立たせて「湯の街」(写真は複製)を描いた
建物は違うが、夢二は同じ場所に彦乃を立たせて「湯の街」(写真は複製)を描いた

ひとこと…夢二のパターン

 「夢二式美人画」は大きな目と憂いの表情、きゃしゃな身体が特徴。金沢湯涌夢二館に展示された絵のモデル、たまき、彦乃、お葉の写真を見ると、なるほどみな夢二式、夢二好みの美人だ。後に夢二は、お葉の療養先に金沢の、湯涌ではなく、深谷温泉を選ぶ。女性と金沢というパターンも夢二の中にはあるようだ。

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3589028 0 2022/12/11 05:20:00 2022/12/11 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/12/20221201-OYT8I50027-T.jpg?type=thumbnail

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