欽ちゃん「テレビが良かった時代にうまくいった、素晴らしい人生をありがとうですよ」…今はユーチューバー

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 欽ちゃんこと萩本欽一さん(81)がユーチューブで「欽ちゃん、80歳の挑戦!」の配信に取り組んでいる。かつてテレビの冠番組の視聴率の合計から「視聴率100%男」と呼ばれたコメディアンはなぜ、活躍の場をインターネットに見いだしたのだろう。インタビューを申し込むと、喜んで受けてくれた。(文化部 辻本芳孝)

ユーチューブを始めた萩本欽一さん(6月10日、東京都世田谷区で)=高橋美帆撮影
ユーチューブを始めた萩本欽一さん(6月10日、東京都世田谷区で)=高橋美帆撮影

きっかけはコロナ…「人生哲学として自然には逆らわない」

――昨年2月、名前を冠した名物番組「全日本仮装大賞」で、突然、降板を口にしましたね。

 新型コロナの急増中で、出演者とスタッフで200人もいるから感染者が出ると思ったの。「番組が終わるな」と思うくらい恐怖心がある時でした。長いことお世話になったテレビをそのことで終わるってのは、ちょっと悲しいなと思って。それで責任取っとこうと、アドリブでやめることをぶっぱなしちゃった。

――コロナ禍がなかったら続けていましたか?

 やってます。番組が嫌だったわけではないですから。「やめる」も「退く」も何か嫌だったので「どく」ことにした。テレビを離れるきっかけは完全にコロナですけど、自分の人生の哲学として、自然には逆らわない。全て運だから。

――なぜユーチューブに?

土屋敏男プロデューサー(左)、勝俣州和(右)と語り合う欽ちゃん(「欽ちゃん、80歳の挑戦!」より)
土屋敏男プロデューサー(左)、勝俣州和(右)と語り合う欽ちゃん(「欽ちゃん、80歳の挑戦!」より)

 浅草の軽演劇が私を助け、楽しい思いをさせてくれた。一番最後の仕事って何だろうと考え、動いて、腹を抱えて笑わせる軽演劇で全うしようと思った。第二の坂上二郎さんを見っけて「コント五十何号」にしようってね、それで発車した。でも、コロナで全部中止になっちゃって。

 もうやるところもないと家でじっと座っていたら、「大将らしくないね」って、土屋敏男さん(日本テレビ「電波少年」などのプロデューサー)が「クラブハウス(音声SNS)をのぞいたら、また何か考えてやりたくなるんじゃない? 家で『声出して』って言われたら出すだけだから」と言われた。断るのは友達がいがないと思って始めたんだけど、だんだん不満が出てきて、もう一歩前へ進みたいねと。それでユーチューブに移ることにしたんです。

――すぐ夢中になれましたか?

撮影にも快く応じてくれた=高橋美帆撮影
撮影にも快く応じてくれた=高橋美帆撮影

 最初1回やって、やめたの。作り手がテレビと差があり過ぎる。それと、ユーチューブは間が悪い。やりとりに時間差が出てくるのでテレビにはかなわない。補う技術もないんだって。でも、間ってそんなに必要でもないって気付きました。

――1月から月~金曜配信の企画「帯欽」をスタートしましたね。

 「欽ドン」シリーズなど、昔の視聴率30%番組のように午後9時から配信しています。ただ、コロナもあり、今は生配信は月曜と水曜しかやっていません。

――企画はどう編み出しているんですか?

 テレビの頃から、あんまり深く考えてやるんじゃなく、時間をかけずにパッて動いちゃう。いけないことにはすぐ気付く。ですから、動いているうちに、番組のたどり着くべきところへたどり着く。今は、色んなことを毎週考えて毎週変えています。

お寺作ってファンに恩返し「今では街作りですね」

――月曜の内容は?

 僕のわがままで新しいお寺作りを始めたんです。みんなに見てもらう番組でなく、一言で言うと、僕のファンの集い。欽ちゃんを小学校のときからずっと見ている人たちに集まってもらって感謝し、恩返しする番組「欽ちゃん最後の夢物語」をやってます。

 2014年で大きな舞台を引退し、翌年、駒沢大仏教学部に入学したんですが、その授業で書いた地方の寺の衰退のリポートが先生に褒められたの。「欽ちゃん、ナンバーワンだよ」って。骨を埋めずに歴史を埋める場所にするってリポート。それを実現することにしたの。

――よく協力してくれる寺がありましたね。

話し始めたらとまらない。サービス精神は今も旺盛だ=高橋美帆撮影
話し始めたらとまらない。サービス精神は今も旺盛だ=高橋美帆撮影

 大学で一緒だった若いお坊さんが「記念に色紙を書いてくれ」って言うんで書いたんです。そしたら神奈川県伊勢原市の「能満寺」という自分の寺の石碑にしちゃった。小さい時に母と一緒に見たのが欽ちゃんでしたって。だから、来ただけで幸せになる寺を作りたいって伝えたら「面白そうですね、どうぞお好きに」と言われました。

 番組で、豪華なお墓を作るのでみんな、ただで入って来いって言ったんですよ。お墓って言葉もやめて記念碑として。そこにみんな名前入れちゃえば一つで済むよ、その代わり、すてきな言葉を残してねと。そのうちにファンが甘味 (どころ) もって言うんで、茶屋造りに着工してます。みんなが楽しめるところを最初に、記念碑は次でいい。

 寺に来るまでも楽しくなきゃと、そこまでの上り坂を「ギリギリ美人」や「根性出せば美人」「本気出せば美人」などと書いた看板を立てた「美人坂」にします。自分はこれだと思える場所で写真撮れるようにね。そうすると、笑いながら坂を歩ける。徐々に良くなり、最後は「本物の美人」ですよ。みんなからは「そういう 図々(ずうずう) しいこと言わない方がいいわよ」とか言われながら、お寺にたどり着く。もう今では街作りですね。

――水曜は関根勤さんや小堺一機さん、勝俣州和さんらも駆け付けましたね。

 新しい笑いに挑戦する「笑いの工場」をしています。みんな気分良く来てくれた。なんで来るんだよと聞いても理由を言わない。勝俣なんて呼びもしないのに毎週来る。だったら、勝俣のおかしいところを探そうと3か月ぐらい、とことん勝俣をのぞいた。で、たどり着いたのが、なかなか勝俣の最高のところはないなって(笑)

 最近の企画では「笑いから起こる商品作り」というのがあります。カバン屋さんが「コロナで売れ行きが落ちたけど、欽ちゃんの番組でちょっと元気出ました」と言ってくれたんで、何か面白い笑いのカバンってないかなって考えて「ギリギリ美人」と書いたカバンを作った。そうすると「あんたギリギリ美人じゃないよ」って会話ができんじゃないのって。笑いを足すことで商品ができる。だから、ファンには書き込む時、職業を書いてもらっています。

「プロは数字で一喜一憂しない」

――動画は自分で見ていますか?

「笑わせる時代から楽しませる時代になった」と語る欽ちゃん=高橋美帆撮影
「笑わせる時代から楽しませる時代になった」と語る欽ちゃん=高橋美帆撮影

 見ません。僕はテレビでも自分で作ったものって見たことない。見ると反省だらけになる。こんなこと言っちゃダメとか、もうちょっとスピード(出して)とか反省しちゃうと、次の日の本番で反省が頭を走って、いつもの雰囲気でなくなるの。

 それと、作った人の才能を疑うのは失礼だと思うから見ない。だからディレクターは好きなようにカットします(笑)。30%番組のディレクターの共通した言葉が「大将が見てないので気持ちよく切れた」でしたから(笑)。

――ユーチューブの視聴数は気になりますか?

 テレビのときも数字は禁句なんですよね。テレビ局の人には「言わないでくれ」って言っていました。数字は言われてでなく、やって知るもの。20%いったときだけ「いきました」って言ってくれって。プロは数字で一喜一憂しないのが僕の人生の大事なこと。「いきました」って言われたら「あっそう」と、そうしたらすぐ30%に向かった。20%割ったら言ってねとも言ってあり、「割りました」と言われたらやめるだけでした。

――テレビの申し子だった欽ちゃんがユーチューブに移るのには時代を感じますね。

 テレビでは、腹を抱えて笑ってもらおうと、コント55号でも、30%番組でも芸や技が大事だった。でも、ユーチューブ芸ってないね。そんな大げさなことではなく、趣味や得意なことで番組を作っている。言ってみれば芸と趣味の違い。笑わせる時代から楽しませる時代になった。だから楽しい。

 ユーチューブに行くなんていう気は毛頭なかったですが、でも、いつも誰かの言葉に何も考えずにくっついてたときに全部成功してるんです。この人の言葉を嫌だよっていうのもなんだから付き合ってみたやつがうまくいったんです。

「ユーチューばばあ、ユーチューじじいとかにしたら?」

――配信で心がけていることは?

「投稿者はみんな、アドバイスをくれる講師みたい」ユーチューブを通じてファンとともに歩む=高橋美帆撮影
「投稿者はみんな、アドバイスをくれる講師みたい」ユーチューブを通じてファンとともに歩む=高橋美帆撮影

 師匠(東八郎)からは、大きい声出せとしか教わっていない。ずっとそういうことも忘れていたと思って、ちょっと大きな声を出すようにしています。

 それと今は楽しい知識、「 楽識(らくしき) 」を覚えています。自分で考えた言葉なんです。みんなが楽しいって思う日、楽しいと思う知識をこれから蓄えていく。まだわからないことばかりだけど、楽識って言葉が見つかっただけでも良かった。テレビが良かった時代にうまくいったってことだけで「素晴らしい人生をありがとう」ですよ。おまけでいい。ここでユーチューブで何か成功しようなんて。

 投稿者はみんな、アドバイスをくれる私の講師みたい。ユーチューブは私にとって最高のおもちゃ箱です。「どんな嫌なことがあっても、家に帰るとそれを吹き飛ばしてくれる、そこに欽ちゃんがいたから」って言ってくれる人にお返事する番組なの。

――高齢の視聴者は少ないようですが。

 年寄りは近寄ってこないんですよ。でもこれは年寄りにとっちゃ最高の道具。長い人生でたくさんの名人仕事があるんだから。その人たちの植木や庭作りなども番組になる。私も近寄ってみて(ユーチューブの)素晴らしさに気づいた。若者には飽きてもらい、去ってもらった方がいいね。

 ユーチューバーってのも、ユーチューばばあ、とか、ユーチューじじいとかにしたら? そのことが高齢者の抱えている問題を解決する。孤独はなくなるし、認知症もなくなるのでは? みんなに突っ込まれると、やっぱり神経が研ぎ澄まされるから。

 81歳のいいこと、まだ出会ってないんです。ぜひユーチューブを見て、私が一番喜ぶ言葉をね、ぜひ寄せてほしい。そうすると、頭が衰えずに考えていけます。

萩本欽一  はぎもと・きんいち。東京生まれ。高校卒業後に浅草の東洋劇場に入団し、1966年に坂上二郎と「コント55号」を結成して人気絶頂に。80年代には、「欽ドン」シリーズ、「欽ちゃんのどこまでやるの!」「週刊欽曜日」などで合計視聴率100%を超えた。2005年に野球チーム・茨城ゴールデンゴールズを結成し、監督に就任。15年には駒沢大仏教学部の社会人入試に合格し、大学生となった。

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