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「ギャグの神様」と言われた漫画家・赤塚不二夫(1935~2008年)。今年はその代表作「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」の連載開始60周年にあたる。老朽化のため取り壊されることになったかつての仕事場「フジオ・プロダクション」旧社屋(東京都新宿区)で、同社社長で娘のりえ子さんが伝説的漫画家の舞台裏と亡き父の素顔を語った。(聞き手・高梨しのぶ)
「赤塚さんが道路で寝てる」と警察から電話が
――赤塚不二夫さんは、いつからここ(旧社屋)で暮らし、仕事をしていたのでしょうか。
1978年からです。父は、私の母と別居後、離婚していますが、私が中学生のころに父と再会してから、私の旧社屋への本格的な行き来が始まりました。面白い父なのが自然で、中学になって再会しても、高校に進学しても、パパはずっとあのまんま。交友関係が幅広く、毎日、毎日、漫画関係以外にもいろんな方がいました。夜になるとゲームをやったりして、毎晩毎晩、一緒に遊んでいましたね。眞知子さん(赤塚さんの2人目の妻)も「おいでおいで」と言ってくれていたし、それが普通でした。
近所の飲食店のマスターや、電気屋さんのご主人、ラーメン屋のお兄ちゃんとか、学生さんも結構いました。父は映画が大好きなのですが、近所のバーのマスターが昔、映画のカメラマンをやっていた方で、一緒に8ミリ映画を撮ったりもしていました。お笑いの人もいたな。名前は忘れちゃったんですけど。
――地元とのお付き合いはとても近かったんですね。
近所のお風呂屋さんによく通っていたのですが、そこのおじさんが、ちょっとアインシュタインに似ているので、父が、アインシュタインってあだ名を付けて、「相対性湯論」とか言って(笑)。その方もよく仕事場に来ていましたね。あと、地域のお祭りがあると、必ず表に机を出して、子供のお
真珠屋さんがあったのですが、パパは気前が良いから、女性に真珠をね、「約束したから」って買っちゃうんですよ(笑)。近所の友人に「お金を払いに行かなきゃいけないけど、眞知子に言えないからお金を貸してください」って言ったみたいで、その彼が「貸してあげることはできるけど、眞知子さんに秘密にはできない」って。二人で眞知子さんのところに行って……。結局、買ったらしいんですけど、それを聞いてもう爆笑しましたよ。結局、眞知子さんが払うんですよね(笑)。それから、交番から眞知子さんに電話がかかってきて、「赤塚さんが中井の道路で寝てる」ってこともあったみたいです。
パパの交友関係は「実写版バカ田大学」
父が亡くなってまだ間もない頃かな。ここで仕事をしていたら、いきなりインターホンが鳴ったんです。誰だろうと思ったら、前掛けをしたおじさんが立っていて、「秋田から来たハゲタンポです」って言うんです。「先生に、ハゲタンポっていうあだ名を付けてもらって」と。父が仕事で秋田に行ったときにきりたんぽ屋さんに行って、そこのオーナーさん。「訪ねておいで」と言ったそうで、そのハゲタンポさんが本当に来たんですよ。「3日くらいお世話になったことがあって」とおっしゃって。「先生が亡くなったので、お悔やみに来ました」と。泣いていいんだか、笑っていいんだか、わからないですよね。
すごいなぁパパの交友関係は、と思いましたよ。(「天才バカボン」で描かれる)バカ田大学的で。実写版バカ田大学。バカ田大学の先輩・後輩が、バカボンのパパの家によく来るじゃないですか。あれを地で行ってる感じ(笑)。面白くて個性の強いキャラの人たちが、本当に「せんぱーい」って入ってくるような。ここでみんなで飲んでいて、帰った後に、「さっきいた人だれ?」って聞いたら、「知らない」ってこともありました。
眞知子さんが本当にバカボンのママみたいで、怒るけど、最後はうちのパパを、全てを受け入れるというか、許すというか、すごく絶妙なバランス。パパはお母さんみたいな人じゃないと一緒にいられない人でしたから。
偉ぶらない、ヒエラルキーを全く持たない人
――本当に愛されたお父様でいらっしゃったんですね。
死んでわかったんですけど、モノに執着するっていうことが全然なく、高級品も持っていないし。なんにもないんだけど、ものすごく、思い出だけをみんなの心に残していた。今でも皆さんがずっと大切に懐かしんでくださって、「ああ父はそうやって皆さんの心の中で生きているんだな」って思います。
本当に、愛されているんだなあって。ちっちゃくてかわいいっていうのもあると思うんですけど(笑)。
でも偉ぶらない、ヒエラルキーを全く持たない人で、皆さんに同じように接していましたね。それでいて、自分より1歳でも年上の人には、すごく気を使うんですよ。人生の先輩なんですよね、父にとっては。お風呂屋さんのアインシュタインさんは父よりかなり年上なんですよ。アインシュタインさんの地元のお墓参りに行ったときのホームビデオがあるんです。電器店のご主人に撮っていただいたんですが、それを見たら、うちの父がアインシュタインさんに席を譲ったり、荷物を持ったりしていたんです。すごく気を使っているんですよね。意外なところを見てみんなで爆笑しましたが、1年でも先輩だとそういう感じなんですよ。サービス精神がすごくあるから、むちゃくちゃ気を使う。だけど、気を使っているように見せない。
スピリットは“壊す“ 「やりたいこと全部やったから、連載切られちゃった」
――おそ松くん、アッコちゃんは60周年になり、今も親しまれています。
赤塚マンガに出てくるキャラクターって、人間の本質的な一面をデフォルメしている。そして舞台は日常じゃないですか。だから時代が変わっても、みんなが共有できる普遍的な、常識みたいなのがベースにあるから、そのときそのときで読めるのかなあって思います。寝たり、食べたり、いじわるしたり、ケンカしたり、優しくしたり……。生活の本当にベーシックで本質的なところが、ギャグで壊されている。日常の中の非日常。だから、時代が変わっても、笑うことができるのかな。父は元々、人に愛情があるんですよね。だから、ケンカしたり、いじめられてポカスカしたりしても、それが残酷にならない。
――赤塚さんの作品に影響を受けたアーティストも多いようです。
赤塚のスピリットの一つは「壊す」。古いものとか、観念的になっているものをギャグで壊しているところだと思っています。アーティストとかデザイナーの方々が「こんなことやっちゃっていいんだ」「壊していいんだ」っていうところで影響されたとおっしゃるのを聞いたことがあります。
父の「レッツラゴン」っていう作品があるんですけど、あの作品が私、大好きで、当時住んでいたイギリスから一時帰国した際に父のところに行って、「パパ、あのマンガすごいね」って言ったんです。そうしたら「だろ? 俺もあれ大好きなんだよ。読者のことを考えないで、本当に思いっきりやりたいことをやったんだ。でも、やりたいこと全部やったから、連載切られちゃった」って、うれしそうに笑っていました。少年誌ではまずかったけど、自分の本当に好きなことを人に気を使わずに出し切ったんだと。大人になってから読むとすっごく面白いです。スピード感があるし、意味も全部破壊しています。「面白かった!」という読後感しか残らない。意味なんてないから、わからなくていいんですよ(笑)。ただ気持ちよくて、最高にくだらなくて好き。
赤塚不二夫は公共物 作品やキャラクターを大事にしたい
――旧社屋を取り壊すにあたって、赤塚さんの仕事場を公開する展覧会を開かれました。やってみて、いかがでしたか。
開催前は、本当に来てくれるのかなあって、みんなで言っていたんですよ。チケット完売するのかなって。蓋を開けてみたらびっくりです。毎日毎日、皆さんが来てくださって、開催4日目に最初のチケットがなくなりました。問い合わせがすごくて。
とにかく皆さんの思いが本当にありがたい。お礼を言いたいのは私の方なのに、皆さんが言ってくださる。この建物に当時の活気が戻ってすごくうれしい。赤塚が生きていたときのように。泣いている方もいらっしゃいました。うちの親父がこんなに愛されているって、改めてうれしいです。
「この建物を壊すことも含めてアートだ」と、すごくポジティブな声も聞きました。壊すのをもったいないって言ってくださる方もいて、私もそう思っていたんですけど、やっぱり前に進まなきゃいけない。皆さんの声を聞いて、改めて責任を感じました。
赤塚不二夫は公共物ですからね。小さいときから、自分が独り占めできる人じゃないっていうのがわかっていました。みんなの赤塚不二夫だから。これからも作品やキャラクターを大切にしていきます。