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「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。
落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye
平日の夜に、普段はメールでやり取りをしている落語家、講談師、浪曲師から電話をもらうのは、うれしいことばかりではない。いや、むしろうれしい知らせの方が少ない気がする。
5月27日午後8時過ぎ、若手浪曲師からの着信があった。
「もしもし、おはようございます……」 (注1)
日頃陽気な演芸人の第一声なのに、やけにテンションが低い。こういう時はたいてい無理難題に近い頼まれごとか、即答できないような複雑な問い合わせだ。 (注2)
だが、この夜の電話は、頼まれごとでも問い合わせでもなかった。浪曲界の第一人者、澤孝子の訃報だったのである。
悲しい、悔しい、もう会えない。そんな気持ちは、随分後になって襲ってきた。初めは、ただただ驚いた。「信じられない。あんなに元気だったのに」――普段の澤孝子を知る人なら、誰もがそう思ったことだろう。
関係者の話を総合すると、澤孝子は5月19日、大好きな相撲見物の予定だった。彼女を駅まで車で送るため、親類の方が一人暮らしの自宅を訪ねたが、いくら呼んでも返事がない。鍵が開いていたので、中に入ってみると、お出かけの服装をした澤孝子が倒れていたという。救急車で病院に運ばれたが、典型的な
澤孝子は、浪曲のホームグラウンド・木馬亭(浅草)の定席で毎月トリを取っていた。もちろん、5月もだ。いつも舞台から、満面の笑みで優しく観客に語りかけてくる。ところが、本編に入るや、ガラリ雰囲気が変わり、度肝を抜かれる大音声でうなる、うなる。
木馬亭定席には毎回7人の浪曲師が出演するが、どんなに元気の良い若手に交じっても、澤孝子の声が一番大きい。もちろん、声が大きいだけではない。緩急自在の節回しと、情感あふれるタンカ。浪曲に息づく庶民の喜怒哀楽が、澤孝子の喉を通してパワーアップされ、観客の五感に
終演後は、ご
「ちょっと足が痛いだけで、あとはピンピンしてるわよ」
そういえばここ数年、舞台に上がる足取りは、危なっかしいものだった。お弟子さんに手を引かれヨチヨチ歩くのだが、舞台中央に設けられたテーブルの所まではいかず、中途半端な位置でストップ。そこで幕が開き、澤孝子は客席に一礼した後、横歩きのように数歩進んで、中央の定位置につくのである。
「いっそのこと、板付き (注3) にしたらどうですか?」
「それじゃ私が満足に歩けないみたいでカッコ悪いわよ!」
そう、我らが澤孝子は、観客に決して弱みを見せなかった。浪曲の腕も、演者としてのプライドも右に出る者がいない澤孝子。それほどの大看板がいきなりいなくなったと言われても、信じられるものか。
澤孝子は14歳の時、千葉の銚子から上京し、「落語浪曲」で人気の二代目広沢菊春 (注4) に入門。以来、3年間の内弟子修業、関西でさらに修業、独立して一座を組んでの全国公演、1970年の木馬亭開業後は東京に拠点を構え、浪曲界の中心にどっかりと腰を据えた。師匠譲りの落語浪曲を始め、「春日局」「滝の白糸」などの文芸物、一連の左甚五郎物、「赤い夕日」「春よ来い」などの社会派新作等、数多い持ちネタのほぼ全てが一級品だった。68年間の高座生活を休むことなく走り続けた澤孝子は、自他共に認めるトップランナーだった。
取材メモをめくりながら、近年の舞台を振り返ろう。
新作から名作まで、そして故郷への思いも節に乗せて
<2022年4月5日、木馬亭のトリ。「春よ来い」は、僕が最後に聞いたネタだ。「金八先生」を思わせる熱血教師と問題家庭の子との心の交流。「よくある学園モノじゃないか」と思うのだが、不器用な師弟の真っ直ぐな感情のぶつけ合いが心に迫り、不覚にも涙腺が緩む>
――年に1度、この時期だけ演じるという昭和の新作。十八番の「からかさ桜」と共に、木馬亭に春を呼ぶ佳作だろう。
<同年2月24日。都民寄席(池袋・東京芸術劇場シアターウエスト)のトリは「おとみ与三郎・
――前年8月の木馬亭で初めて聞き、僕が顔付けをしている「都民寄席・浪曲の会」の来年のトリはこれだと即座に決めたネタ。ご本人は「それまで『春日局』のような立派な女性ばかりだったでしょ、このネタで初めて悪女を演じて、芸の幅が広がった気がするわ」と都民寄席の楽屋で不敵に笑っていた。
<2021年12月7日、木馬亭トリの「
――2020年11月、弟子の澤雪絵が文化庁芸術祭新人賞をとった紀尾井小ホールの「澤雪絵の会」で演じた「徂徠豆腐」は、七兵衛の大声が抑え気味だった。なぜかと本人に尋ねたら、にっこり笑って「だって、かわいい弟子の会じゃないの。師匠の私が目立っちゃまずいでしょ」。
<同年3月22日、国立演芸場の「演芸大にぎわい」で聴いた「猫餅の由来」。「私が師匠菊春から独立したとき、『これ面白いからやってみろ』と勧められたネタ。師匠と大西先生が一緒に作ってくれました」。掛川城下に「掛川名物・猫餅」の看板を出す店。変な
――落語に登場する甚五郎は、変わり者というイメージがあるが、「猫餅」も、同じ甚五郎物の「竹の水仙」や「掛川宿」も、澤孝子が演じる甚五郎は「貫禄のある、いたずらっ子」という他にない愛されキャラクターになる。
<2020年7月5日、木馬亭で「大新河岸の母子
江戸に向かう乗合船の船頭の掛け声を、澤と曲師・佐藤貴美江の掛け合いで演じる。おとなしそうな顔をした貴美江の「コ~リャ、リャイ!」が江戸前でやたら威勢が良いので、客席から拍手が起こる。
「(貴美江を見て)大変ですねえ。三味線弾いて、船頭のまねまでさせて。今は黒紋付きを着ているけれど、この人、普段はシンガー・ソングライターなのよ。私はこの人が頼り。今までの三味線はみな年上で、先に亡くなってしまった。この人なら、私が死ぬまで弾いてくれるもの。よろしくお願いします」。ペコリと頭を下げた澤は、「じゃ、続きをやりましょう」とごく自然に物語に戻っていく。この呼吸がたまらない>
――佐藤貴美江は、本当に最後の最後まで澤孝子の三味線を弾き通した。
澤孝子は今年5月4日の木馬亭出演時に、「弟子の澤勇人が今年10月の浪曲大会で、三代目広沢菊春を襲名させていただきます」と発表した。自らが継がなかった師匠の名跡が58年ぶりの復活。その披露口上に並ぶことができないのが、功なり名を遂げた澤孝子の唯一の心残りだったに違いない。
師匠の悲願だった「菊春襲名」を良い形で実現するのが一門の務めであり、三代目菊春誕生を浪曲界の更なる浮上のきっかけにしていくのが浪曲師全員の、今なすべきことだと思わずにいられない。