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「どうぞ」と言うだけの立花氏
メディアの末端に身を置く者として、耳の痛い話を聞いた。
4月末に亡くなった評論家の立花隆さんが、編集者の取材を受けた時のことだ。
「〇〇について、お話を伺いたいのですが」と聞かれた立花氏は、
「どうぞ」
としか応えない。何度「伺いたい」と尋ねても、「どうぞ」と言うだけ。気まずい沈黙が続いたという。
そんなエピソードを堤伸輔さん(国際情報誌「フォーサイト」元編集長)が、テレビで紹介していた。堤さんは立花氏の真意について、
<大まかすぎる質問は、質問じゃないということだ。具体的な質問を重ねていかないと取材とは呼べない>と分析する。
事前に聞きたいことを丹念に調べ上げ、その上で質問する必要があるというわけだ。
堤さんはテレビのコメンテーターとしても活躍する、
知識不足を補うために…
相手に対し、大まかな質問しかしない取材手法を「そのあたりジャーナリズム」というらしい。
テレビの情報番組で司会者(テレビ用語でMC、マスター・オブ・セレモニー)が、ゲストの専門家らにコメントを求める際、決まってこう聞く。
「そのあたりどうですか」
MCの手元にある台本・進行表には、あらかじめ番組で取り上げるテーマの概要とポイントが印刷してある。MCはそうした情報を専門家に示したうえで、
「そのあたりどうですか」
と質問するのである。
情報番組の事情に詳しいベテランディレクターによると、「そのあたり」は、「取材経験に乏しかったり、知識不足だったりするMCにとって、番組進行の演出上、欠かせない」という。
「そのあたり」に続けて、専門家に、問題の「狙いや背景」「起きたタイミング」、最後にその問題と「どう向き合うか」を聞けば、番組が一応成立するという。
進行上手なMCだったら、ネットなどで仕入れた情報をもとに、「とはいえ」「そうはいっても」などと専門家に切り返し、議論風のテイストで盛り上げてくれる。
相手の本音は引き出せない
気がつけばテレビの情報番組で「そのあたり」が横行している。
前述のディレクターは「横行の背景に、番組制作のマニュアル化、コスト、効率重視の考え方がある。制作費が減額され、マンパワーも落ちたせいもある。安易な番組作りだ」と手厳しい。
その結果、同工異曲の情報番組が増え、番組全体の水準も落ちているという。情報源は新聞や雑誌、SNSで、自前の取材はほとんどなし。「そのあたり」は、そんな番組作りの象徴といえる。
実は、私も駆け出しの記者だった頃、インタビューで「そのあたり」を使ったことがある。急な取材で事前の下調べが不十分な時に便利だったからだ。
ただ「そのあたり」を連発すると、取材が深まらず、相手の本音を引き出せないことが多かった。
徹底した現場取材と資料の読み込みあってこそ
立花さんが世に出るきっかけとなった「田中角栄研究――その金脈と人脈」(1974年10月発売の文芸春秋)は、徹底した現場取材と資料の読み込みの果実にほかならない。「そのあたり」の浅い取材ではできない仕事だ。
最近、首をかしげるのは、新型コロナウイルス対策の切り札とされるワクチンの供給が目詰まりしている問題だ。今一つその実態がよくわからないのはどういうわけか。
立花さんだったら、「そのあたり」、どんな取材をするのだろうか。