熊本地震の発生メカニズムを徹底検証 内陸型地震の発生予測は論理的に可能だ

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■震源データが残る1960年6月以降の熊本平野、八代平野で発生した地震の発生時期と震源の分布(時空分布)を詳細に分析した結果、2016年4月の熊本地震の余震はすでに終息し、地震を起こす地下の破壊活動は () んだことがほぼ確認できた。

■震源データの分析から、熊本平野の直下には、傾斜した3枚の断層面で区切られた逆三角 (すい) 形の巨大な「地塊ブロック」があることがわかる。

■熊本地震は、3枚の断層面のうちの1枚が面する地点で2000年6月に発生した地震が引き金になり、固着力が低下した断層面が地塊ブロックを支えきれなくなって発生した可能性が高い。

■地震の時空分布から地殻上部の地塊ブロックの断層面を把握し、断層面上の震源の空白域をとらえることができれば、困難とされる熊本地震のような内陸型地震の発生を予測することが、論理的には可能だ。

熊本大学大学院先端科学研究部 准教授 横瀬久芳

2016年熊本地震の概略

 2016年4月に発生した熊本地震から5年になる。最大震度7の大地震が2度起き、熊本地方は大きな被害を被った。

香取照幸氏に聞く 「かかりつけ医機能」をいかに実現するか

 一連の地震は、16年4月14日21時26分に発生したマグニチュード(M)6.5の「前震」から始まる。その約2時間半後の4月15日0時3分には、M6.4に達する前震の最大余震が発生する。そして16日1時25分にM7.3の「本震」が発生し、それ以降は熊本平野や八代平野の全域で余震が続き、その回数は有感地震だけで本震以降半年間に4000回に達している。

 立て続けに最大震度7が襲うという経緯は、日本の地震観測史上でも異例といえる。その膨大な観測データは、巨大内陸型地震の発生から終焉(しゅうえん)に至る過程を検証する上で、意義深い研究対象だ。筆者は一連の地震のデータを集積・解析してきた。被災した地質学者として、現在は非常に難しいとされる内陸型地震の予測につながる成果を得ることをひとつの目標とした。

 地震予測では「地震」という言葉を広義に使ってはいけない。地震のメカニズムには海溝型地震と内陸型地震があることはよく知られているが、細かいメカニズムはさらに多岐にわたる。メカニズムを限定しなければ予測の対象が単純化できず、予測の精度も向上しない。これから説明するのは、2016年4月に発生した一連の熊本地震の発生時期と震源域の分布(時空分布)に基づいた、「内陸型地震の予測方法」に限定した検討結果だ。なお、以下の説明では、2016年熊本地震を単に「熊本地震」と表記し、それ以前に熊本地方で起きた地震は西暦か、「明治熊本地震」のように別名称で表記する。

地震予測を成立させるための5要件

 国の内外を問わず、地震予測で明らかにすべき要件は、どのくらいの規模の地震が、どこで、いつ起きるのか、つまり地震の規模と発生場所、発生の時期の3項目とされる。熊本地震を経験した科学者としては、防災に役立つ予測とするには、さらに「災害の種類と分布域」、もう大丈夫という「収束・終息宣言」の2項目を加えた5項目が、予測には必須と考える(注1)。

 これらの要件を満たすためには、地震に関する空間(<1>、<2>、<4>)と時間(<3>、<5>)の規則性を理解しなければならない。

 内陸型地震は、平時は応力(外から受ける何らかの力)がほぼ一定の静的な場所で破壊現象が起きることで発生する。破壊現象が起きる地域は比較的狭く、地下20キロより浅い地殻上部で起きるため、地表にその痕跡が刻まれる。古文書などにも地震の時空分布に関する手がかりが記されることが多く、内陸型地震の予測には、海溝型地震より多くの情報を利用することができる。

 五つの要件のなかには、すでに部分的に予測が実現している項目もある。熊本地震は<4>の災害の種類と分布域と<1>の地震の規模については、2011年3月に熊本市が公表した「熊本市地震ハザードマップ」の予測した通りに起きている。<1>は地表断層から推定される「松田式」(注2)で導き出されており、<4>は震源の位置とマグニチュードを仮定した表層地質の分布状況から割り出されている。

余震活動の収束および終息時期の検証

 巨大地震の影響がいつまで続くのかは、被災者にとって深刻な問題だ。にもかかわらず、大きな地震の発生直後に、合理的な収束・終息宣言が出されることはまれだ。逆に根拠もないさらなる大地震の可能性を声高に発信する軽率な学者や公的機関も少なくない。具体的な根拠の提示もなく流されるこれらの情報は、被災者に大地震発生時の恐怖を再燃させ、本来なら不要な不安感が増幅される。また、非合理な理由で地震の収束・終息宣言を遅らせることは、観光業にとって致命傷になる。

 地震発生のメカニズムを度外視して、大地震が起きた場所の近くで発生した地震だから、という理由だけで余震と見なしてしまうと、被災地域の地震の平均的な発生率(バックグラウンド)が不正確になり、メカニズムの異なる地震との識別も曖昧(あいまい)になる。地震予測の観点からも、大事な前兆現象を見落としかねない。

 大地震発生以降の余震の推移には規則性があり、1894年に発表された「大森則(Omori’s law)(注3)」は世界的に有名だ。大森則は、大地震の後に発生する余震は、経過日数とともに指数関数的に減衰するというものだ。もちろん例外はあるが、この法則が巨大地震で成立することは、多くの実例で証明されている。

 熊本地震の有感地震に関するデータを、縦軸を1日あたりの有感地震の発生回数、横軸を本震からの経過日数としてグラフにすると図1のようになる。図中の近似線は、発生後100日間のデータと、約5年間のデータをそれぞれ使って計算した。両者は、ほぼ同一の直線と見なすことができ、地震発生から早い段階で余震は規則的に減衰していることがうかがわれる。このことは、大地震の発生時を基準点とした相対的な「時間予測」を示し、要件<3>の発生時期にも関連する。余震を活用すれば、大地震の収束・終息が予測可能となるわけだ。

 熊本地震は発生から5日目以降に震度5弱以上の余震がなくなり、1か月後に震度4の余震もまばらとなった。地震発生には「前震→本震→余震型」や「群発地震型」もあり、それを見極めなければならないが、大地震の「収束」を、余震が大きな被害のない震度4以下になる状態と定義すれば、熊本地震ではおおむね1か月で「収束宣言」が出せる状態になったことがわかる。

 一方、大地震の「終息」は、余震の1日あたりの発生回数と、その地域の平均的な地震の頻度(バックグラウンド)が等しくなった時と定義できる。熊本地震の前年に熊本地方では42回の有感地震が起きていたから、熊本地方の地震のバックグラウンドは1日あたり0.12回となり、近似式との交点が終息予測日となる。

熊本県熊本地方、有明海、熊本県天草・芦北地方に発生した1日あたりの有感地震の回数を示す。ただし50日目以降に関しては、適切な期間を設定して移動平均として算出している。震源データは、気象庁の震度データベースを使用
熊本県熊本地方、有明海、熊本県天草・芦北地方に発生した1日あたりの有感地震の回数を示す。ただし50日目以降に関しては、適切な期間を設定して移動平均として算出している。震源データは、気象庁の震度データベースを使用

 図1からも明らかなように、現在の熊本平野の地震活動はバックグラウンドの状態に戻っており、熊本地震の余震は終息したとみなしてよい。ただ、当然ながら、もう地震は来ないということではない。熊本地方は、次の大地震への「準備段階」に移行した可能性が高いということだ。

 「地震活動がやや活発化しています」「余震が続いています」といった表現をテレビニュースなどでしばしば耳にするが、地震活動は時間の経過によって相対的に変化するものだから、本来なら「いつと比べて」「いつから」なのか、基準点をきちんと示す必要がある。観測データに基づいた地震活動のバックグラウンドの確定は必須であるべきなのだ。

「最近は大きな地震が増えている」は本当か

 気象庁は1960年6月から地震データを公開しており、バックグラウンド推定に役立つことは言うまでもない。図2の上図に示した熊本地方を中心とする有感地震の積算回数グラフからは、(1)変化曲線が右肩上がりであること、(2)傾斜の異なる3区間が存在し、時間とともに傾斜が増大していること、(3)大きめの地震発生に応じて、変化曲線が不連続的に増大すること――などの特徴が読み取れる。地震活動が活発化した際は、グラフは2016年のように、直線以外で描かれる。

 しかし、データの時系列変化を追う際は、観測方法の変更に注意が必要だ。地震大国のわが国では、度重なる地震を受けて観測網が年々整備されている。特に有感地震については、1960年当初は気象庁職員が全国80か所で体感によって震度を認定していたが、1996年以降は約600か所で地震計によって震度が計測されるようになり、今では2914か所の地方公共団体と、793か所の防災科学技術研究所などを加えた計4377か所の地震計が大地の揺れに目を光らせている(注4)。観測地点の増加は、認識できる地震数と最大震度の増加に直結する(注5、6)。さらに、マスコミで地震発生がその都度告知されるため、昔に比べて地震の発生数が増加しているような錯覚に陥る。

M7大地震は1000年に1度か

震源データ出典は図1に同じ
震源データ出典は図1に同じ

 マグニチュード(M)についても、計測技術の進歩で小さい地震が観測できるようになっている。観測地点が増えても地震の規模自体は変わっていないはずだが、縦軸に各地震のマグニチュード、横軸に時間をとった図2の下図を見ると、計測震度が導入される前と後で、データの数の違いは歴然としている。このことも、地震が増えていると誤認する温床となる。

 それも踏まえて、改めて1960年6月以降に熊本地方で起きた地震の発生頻度を規模別に見ていくと、M4以上の比較的大きな地震は、熊本地震に伴う大きめの余震群を除き、ほぼ一定の間隔で発生している。被害発生の可能性が高まるM5.0以上の地震はほぼ10年に1回の割合で起きている。M6.0を超す地震は熊本地震の最初の3日間にしか起きていない。

 観測データがないそれ以前の期間には、1889年にM6.3の明治熊本地震が起きているほか、1625年、1723年、1848年、1907年にM5~6の地震(注7)があった。このうち半分は相当な被害が出る大きな地震だったとすると、熊本地方では100年前後の間隔で大地震が発生していることになる。M7クラスとなると、熊本地震の本震(M7.3)以前に起きたのは、744年に八代周辺で発生した地震にまで遡り(注8)、発生の間隔は千数百年ということになる。

熊本地震で地表に現れた布田川断層帯のずれ(熊本県益城町堂園)。震災遺構として保存されている。
熊本地震で地表に現れた布田川断層帯のずれ(熊本県益城町堂園)。震災遺構として保存されている。

 一方、地形の変化で地震の痕跡を探るトレンチ(掘削)調査から導かれる活断層の活動間隔は数千~2万年程度と、観測データから導かれる間隔より長くなる。しかし、トレンチに保存された地震活動の証拠は、間引かれていることが多い。降雨量の多い熊本地方では土地の浸食も大きく、熊本地震の本震の痕跡ですら、特に保護されていない場所では地震発生から5年でほぼ消えてしまっている。1万年以上前の地震の痕跡は、氷河期の後の間氷期による地形変化の影響も受けているはずだ。

 こうした要因で間引かれている分を加味すると、熊本地方でのM7クラスの地震発生間隔は1000年前後と考えるのが現実的で、地震の規模が10倍になると、呼応するように発生間隔も10倍に引き延ばされる。

九州の地震、震源分布の規則性

 ひびの入ったガラスにゆっくりと外から力が加わった場合、ひびがあるところから壊れるように、破壊は構造的に弱い部分から進む。内陸型地震は地殻の破壊現象であり、ガラスが割れる状況と何ら変わらない。強固な地殻内の上部に脆弱(ぜいじゃく)な不連続面があれば、破壊(地震)はそこに集中する。地殻の内部には、断層面、不整合面、マグマの貫入面、熱水変質帯といった「壊れやすい場所」がある。壊れやすい場所は移動せず、地震の発生箇所には常習性がある。

大きな内陸型地震を引き起こす破壊は高温で流動性がある地殻の下部では発生しないため、震央が22キロより深い地震の表示は割愛した。日向灘沖の震源(青色)は、震央が浅くても海溝型地震なので、同じく除外した。白枠は、図4の範囲を示す。震源データ出典は図1に同じ
大きな内陸型地震を引き起こす破壊は高温で流動性がある地殻の下部では発生しないため、震央が22キロより深い地震の表示は割愛した。日向灘沖の震源(青色)は、震央が浅くても海溝型地震なので、同じく除外した。白枠は、図4の範囲を示す。震源データ出典は図1に同じ

 九州で1960年以降に発生した有感地震の震央分布(図3)を見ると、九州の内陸型地震はランダムに起きているのではなく、四つの空間的な規則性が浮かび上がってくる。

 1点目は、震央分布の多くが、直線状の列になることだ。壊れやすい場所で地殻の破壊が繰り返され、それが積み重なることによって、地表に目に見える直線(地形的リニアメント)が現れる。なかでも、1997年の鹿児島県北西部地震や2005年福岡県西方沖地震の震央は、きれいに直線上に分布している。しかも震央は複数の直線上でオーバーラップ(重複)しており、破壊が地表に対して垂直な面上で起きていることがわかる。震央の直線配列は、北西―南東方向、北東―南西方向、そして東―西方向の3方向に並ぶという特徴があり、(図3の赤矢印)その大部分は、平野と山地の境界などに重なっていることが多い。

 2点目は、震源が深さ12キロ前後(図の緑色部分)にほぼ集中していることだ。つまり、有感地震を起こす規模の地震の震源の深さには、上限と下限がある。これは九州の地殻構造の特徴によるものとみられ、比較的大きな地震は、コンラッド(不連続)面(注9、深度15±2キロ、深さ20キロで地中温度500℃)より上部の地殻(注10、11、12)で集中して起きている。

 3点目は、多くの震源が長期間にわたって変わらないことだ。つまり、大地震が発生した地域では、それ以前にも地震活動があった。これは前述した地震発生箇所の常習性の表れと見なすことができる。

九州の地下には巨大な積み木がある

 そして4点目は、地震の発生しない空白地帯があることだ。図3をよくみていくと、九州山地や天草諸島などでは、地震が極めて少ないことがわかる。観測期間内にたまたま地震が起きなかった可能性もあるが、壊れにくい巨大な地殻の塊、「地塊ブロック」があると解釈することもできる。後者なら、九州の地震は、流動的な地殻の下部に浮かぶ地塊ブロックが相対的に動くことで起きるのではないか。

3Dレンダリング(rendering)は、データを3次元的にプロットして表示すること。鳥瞰(ちょうかん)図は、深さ22キロの地下面を仮定して、方位角207度の伏角30度で描写した。震源データ出典は図1に同じ
3Dレンダリング(rendering)は、データを3次元的にプロットして表示すること。鳥瞰(ちょうかん)図は、深さ22キロの地下面を仮定して、方位角207度の伏角30度で描写した。震源データ出典は図1に同じ

 熊本平野周辺の地下では、熊本地震で多くの破壊箇所が震源として記録された。熊本平野の地下に帯状に幅広く分布する震源域を立体的に表示する(図4左)と、地下4キロ~18キロにわたって「3枚の面」があることが確認できる(図4右)。3枚の面を<1>熊本平野北東部の布田川断層面(北東―南西走向、北西約45度の傾斜の右横ズレ断層型)、<2>立田山断層面(東北東―西南西走向、南約45度の傾斜の正断層型)、<3>熊本平野西縁断層面(北西―南東走向、北東約45度傾斜の正断層型)――と呼ぶこととする。

熊本平野と直下の3枚の断層面の模型。上部緑色部分が地表。熊本市は逆三角錐地塊ブロックの上にある
熊本平野と直下の3枚の断層面の模型。上部緑色部分が地表。熊本市は逆三角錐地塊ブロックの上にある

 つまり、熊本平野は、地下に広がる3枚の断層面で区切られた巨大な地塊ブロックの上にあることになる。牛乳のパッケージなどでよくみた三角錐の天地をひっくり返した形をイメージすると、上面が熊本平野の地表、残りの3面が地下の断層面に相当する。熊本地震はこの巨大な逆三角錐形の地塊ブロックが動いたことで発生したと考えられる。

 熊本平野より南の八代平野の直下にも、断層面群(北西―南東走向の垂直な断層面、北東―南西方向の垂直な断層面、いずれも右横ズレ断層型で4枚ずつ)が観察される。八代平野はこれらの断層面によって区切られた直方体の地塊ブロックの上面と考えられる。熊本地震では八代市でも大きな揺れが観測されたが、これは本震を引き起こした熊本平野直下の地塊ブロックの動きに誘発されて、八代平野直下の地塊ブロックが動いたため、と推定される。

引き金は2000年6月の地震か

 震源域の時空分布からは、熊本地震は、地下の三つの断層面のひとつ、布田川断層面の破壊によって起きたと推定できる。4月14日の前震、16日の本震、さらに本震以降24時間で発生した余震によって、布田川断層面はほぼ破壊しつくされたとみられる。その後の余震は、立田山断層面や熊本平野西縁断層面の空白域で発生し、本震に連動して、八代平野断層面群の破壊過程も進行したと考えられる。

 断層面の破壊は、地塊ブロック同士を接着していた部分が、応力によって壊れる(固着力を失う)ことにほかならない。熊本地震の前震と本震のそれぞれの余震域が重なっていないのは、一度破壊が完了した領域では固着力が働かず、地震を伴う破壊が発生しなかったからだろう。

 ところが、一連の熊本地震では、前震、本震、その後の余震と地震が頻発したにもかかわらず、地震の震源にならなかった空白域があった。さらに時空分布を遡っていくと、2000年6月に発生したM5.0の震源域(布田川断層面南側、深さ10キロ未満、長さ5キロの範囲)が、この空白域を埋め合わせていた(図4)。熊本地震の空白域だった2000年6月の震源域は、熊本地震の前に破壊が完了して固着力がなかったから、一連の熊本地震では空白域になったわけだ。

 このことは、熊本地震の発生メカニズムを解き明かす重要なヒントではないか。熊本地震の前震の震源域は、布田川断層面上の深さ11キロ前後、西および北東方向に長さ20キロの地点に分布しているが、破壊の起点は2000年6月に破壊された部分と一致するのだ。さらに本震発生以降の24時間では、布田川断層面の破壊領域が、前震の震源域を取り囲むようにさらに深い13キロ前後の西および北東の領域に約30キロにわたって拡大している。

    

 平面図ではわかりにくいので、2000年6月の地震から熊本地震の前震、本震とその余震の震源を、動画で立体的に表示した。震源の分布から現れるのは、地下の布田川断層面だ。震源域の時空分布は、断層面の破壊過程が規則的に拡大していく様子を饒舌(じょうぜつ)に物語っている。

 すでに記したように、地下の破壊は弱い部分から進行する。一連の熊本地震では徐々に震源域が深くなったが、これは、弱いところから、より強度のある部分へと破壊が移行していったことを示す。断層面の固着力で支えられていた上盤側の地塊ブロックの力の均衡が、断層面の破壊とともに順次崩壊していったという見方ができる。

 2000年6月の地震を引き金に、16年後に熊本平野直下の地塊ブロックの3枚の面のうちの1面(布田川断層面)で一気に破壊が進み、地塊ブロック全体が北東方向にすべり出し、北および西側の境界部では地塊ブロックに対して引っ張る応力が働いて、正断層型の地震が起き、応力場の変化に伴って、八代平野直下の地塊ブロックが影響を受けて地震を誘発した――これが一連の熊本地震の発生メカニズムと考えられるのだ。

地下の破壊は完了したか

 では、熊本地震から5年が経過した現在、熊本平野の地下はどんな状態になっているのだろうか。現在、立田山断層面や熊本平野西縁断層面上には、震源の空白域が確認できる。この空白域は、本来なら地震の震源の常習地帯だが、再び固着が完了したか、または破壊によって固着しない状態なのか、いずれかの状態にあると推定できる。

 図4左に示したように、立田山断層面上の空白域は、1889年の明治熊本地震や、1625年の地震の推定震央域に近い。これらの地震は正断層型で、立田山断層面が起こす地震の特徴と一致する。明治熊本地震の推定震源域の外側に当たる地下で熊本地震の余震が数多く発生していることを考えあわせると、現在の空白域の断層面は固着していないと考えるのが妥当であり、近い将来、大きな地震を引き起こす可能性は小さいと考えられる。

 このように、震源域の時空分布を詳細に検討することで、断層面や破壊過程の履歴を相当程度までひも解くことが可能となる。断層面上の空白域の認定は地震予測における<2>と<3>の絞り込みに有効だ。

内陸型地震予測における将来展望

 内陸型地震の予測を成立させるために必要な五つの項目は、震源データの蓄積と解析によって、かなりのことがわかる。しかし、断層面の地震活動のバックグラウンド、履歴、地質学的背景は異なり、断層面とその面上の地震の空白域の認定に関する解析は、こうした相違点を踏まえて行う必要がある。日本全国には無数の断層面があり、観測データの時空分布を逐次整理して、異常値(前兆現象)を断層面ごとにリアルタイムで抽出する作業には、膨大な労力が要る。地震活動が低い地域では、どこに断層面があるのかを確定させるために必要な震源データの蓄積にも膨大な時間がかかる。

 だが、AI(人工知能)を駆使して、日々起きる地震の膨大な震源データを効率よく活用することで、AIが自動的に異常値を認識できるシステムを構築することは論理的には可能だ。これが実現できれば、人間の観察力では不可能とされる内陸型地震を客観的に予測できる日が来るだろう。熊本地震の膨大な観測データは、将来の地震予測について、ひとつの可能性を与えてくれているのだ。

  • (注1)横瀬久芳、2016、『面積あたりGDP世界1位のニッポン』(講談社+α新書)
  • (注2)松田時彦、1975、「活断層から発生する地震の規模と周期について」(『地震』)
  • (注3)Omori,F.,1894,On the after-shocks of earthquakes. Journal of the College of Science,Imperial University of Tokyo
  • (注4)気象庁震度観測点 http://www.data.jma.go.jp/eqev/data/intens-st/
  • (注5)岡田義光、2017、「地震の基礎知識とその観測」https://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/1stpage.htm
  • (注6)気象庁、2009、「第1章 計測震度と被害等との関係について」https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/kentokai-houkoku/chapter1.pdf
  • (注7)地震本部「熊本県の地震活動の特徴」https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_kyushu-okinawa/p43_kumamoto/
  • (注8)九州地域づくり協会「九州災害履歴情報データベース」http://saigairireki.qscpua2.com/kumamoto/
  • (注9)地殻中で地震波の速度が不連続に増大するほぼ水平な面のこと
  • (注10)Zhao,D.et al.,1992,Seismic velocity structure of the crust beneath the Japan island.Tectonophys.
  • (注11)Ehara,S,1989,Thermal structure and seismic activity in central Kyushu, Japan.Tectonophys.
  • (注12)横瀬・山本1996、「金峰火山に産する地殻起源のゼノリス」(『岩鉱』)

プロフィル
横瀬 久芳氏( よこせ・ひさよし
1960年新潟県生まれ。熊本大学大学院先端科学研究部准教授。専攻は海洋火山学。著書に『ジパングの海』(講談社+α新書)、『はじめて学ぶ海洋学』(朝倉書店)、『面積あたりGDP世界1位のニッポン』(講談社+α新書)。「平成28年熊本地震DVD」(RKK)監修。

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