久保利塾の挑戦 「正解」の存在を疑え~若手弁護士養成の1年を振り返って

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

POINT
■実務と理論の架橋を求めたはずの法科大学院は、司法試験の合格率に左右された結果、司法試験予備校的な詰め込み教育が主流となった。司法試験の受験者数や合格者数が増加しないため、弁護士の競争原理も働かなくなっている。

■司法試験に合格することだけに照準を絞った若手弁護士が増え、弁護士に求められる社会正義や職業意識が希薄になっている。能力の向上を伴わず、使命を忘れて安逸に流れる弁護士が増えることは社会全体にとってマイナスだ。

■若手弁護士は「正解」の存在を疑い、通説や最高裁判例への異議申し立て能力を 研鑽(けんさん) することが欠かせない。「見えやすく、分かりやすく、頼りがいのある司法」を実現するためには、若手法曹の再教育が急務だ。

ロースクールと法曹の未来を創る会の久保利英明代表理事
ロースクールと法曹の未来を創る会の久保利英明代表理事

 「ロースクールと法曹の未来を創る会(LAW未来の会)」代表理事の久保利英明弁護士(77)が中心となって、ロースクール(法科大学院)出身の若手弁護士らを対象に昨年開校した私塾「久保利塾」が、1期目のプログラムを終了した。司法試験に合格することだけに注力する若手弁護士が増え、弁護士に求められる社会正義や職業意識が希薄になっているのではないか、というベテラン弁護士の問題意識が開校のきっかけとなったという。塾頭の久保利弁護士に1年の指導を経て浮かび上がった法曹養成の課題と今後の方向性を聞いた。

聞き手・構成 調査研究本部主任研究員 高橋徹 

独自の弁護士教育機関を設置

――若手弁護士を指導・育成する「久保利塾」を開校するまでの経緯を教えてほしい。

 2020年10月に開催したLAW未来の会の役員会で、副代表理事の岡田和樹弁護士から「最近の若手弁護士は司法試験に合格することに集中するあまり、法律技術や収入には強い関心を示すものの、弁護士の使命や役割、それを考える歴史認識や教養が (おろそ) かになっていないか。我々の力で、民主主義の屋台骨を支える法律家を育てる必要がある」との問題が提起された。

 弁護士法1条は「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。その使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない」とその任務を定め、2条で「弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律実務に精通しなければならない」ことを求めている。しかし、最近の若い弁護士を見ていると、こうした職業意識が希薄になっているのではないかと思うことが増えてきた。

 代表理事の私も「ロースクールでは司法試験科目が優先され、早期合格を期待して予備試験を選ぶ者も増えている。弁護士という職業の何たるかを考えずに、大手法律事務所に入ることだけを目標とする近視眼的人物が目に付く。ロースクールにも司法研修所にも任せられない以上、我々の手で教育機関を開設してはどうか」と発言した。

 主要メンバーもこれに賛同し、21年1月に「久保利塾開設発起人会」を開いた。岡田副代表理事が「代表理事の久保利弁護士を塾頭とし、LAW未来の会とは別組織で設置する」ことを提言した。「志を同じくする弁護士から協賛金の支援が頂けるのではないか」との提案が可決され、塾生と協賛事務所を募集するため、21年4月の開塾に先駆けて、3月20日に「久保利塾設立記念講演会」を開催し、私が「弁護士の思想と行動と 算盤(そろばん) ――歴史と先達に学ぶ」と題して基調講演した。

司法の劣化 物言わぬ弁護士

――講演の内容は。

 私が尊敬する正木ひろし(注1)、大野正男(注2)、戸田謙(注3)、柳沼八郎(注4)、中坊公平(注5)各氏などの個性派弁護士にオマージュを (ささ) げつつ、弁護士の志とは何か、いかに行動すべきかを中心に講演した。算盤になぞらえて、弁護士の「経済的自立」についても解説した。

 特に力点を置いたのが、司法の劣化についてだ。例えば、2020年4月から裁判所が新型コロナウイルスの感染拡大に対応して、職権で期日を延期し、全国で休廷状態になった。そもそも司法は不要不急の存在ではない。法曹は国民の人権を守るエッセンシャルワーカーではないのか。

 この時期は、立法機関の国会も、行政機関の省庁も法案の調整や緊急な職務を継続しているのに、三権のうち、司法機関たる裁判所による裁判手続きが機能停止に陥ることは許されないと考えた。最高裁が旗を振って各裁判所の休廷を決定したとすれば、裁判官の独立性は失われたも同然だ。

日々トレーニングに励んでいたギンズバーグ判事(映画「RBG 最強の85才」より)(C)Cable News Network.ALL rights reserved.
日々トレーニングに励んでいたギンズバーグ判事(映画「RBG 最強の85才」より)(C)Cable News Network.ALL rights reserved.

 海外ではコロナにかかわらず、裁判は行われていたし、米国連邦最高裁では、トランプ米大統領の税務書類の提出命令を巡る口頭弁論は電話会議で行われていた。高齢でがんと闘病していたルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)判事(20年9月に死去)も連邦最高裁の審理を続けた。韓国では刑事法廷が対面で開かれ、関係者が感染するという事件も発生したが、司法が停止することはなかった。

 私は裁判所の職権による期日取り消しや延期に対し、訴訟の遅延や審理不尽(訴訟において裁判所の審理が十分に尽くされておらず違法であること)につながるとして抗議した。ベテランの弁護士たちは、私と同様に「裁判を受ける権利を侵害する憲法違反ではないか」と強い違和感を示し、個別的に行動を取る者もあったが、各地の弁護士会も日本弁護士連合会(日弁連)も組織的な行動を取らなかった。通常事件で、電話やリモート会議システムによる審理がなされず、法廷も開廷されなければ、それは司法の役割放棄ではないか。

 しかし、若手の弁護士たちは裁判所の判断にさほど違和感を持たず、異議を申し述べる者は少数だった。若手弁護士の教育に力を入れてきたLAW未来の会としては、司法の現状に疑問を呈さない若手に対し、強い危機感を抱いた。

批判精神の欠如

――司法の存在意義が問われるような事態に陥っても、弁護士たちが異論を唱えないのはなぜか。

 「RBG 最強の85才」という映画のモデルにまでなった前出のギンズバーク判事の人生は「I dissent」(私は異議を申し立てる)で貫かれている。ギンズバーグ氏は執務室に「正義、正義 私たち(裁判官)は追い求めなければならない」というユダヤのことわざを掲げていたという。権力や多数意見に対する「異議申し立て」や「正義の追究」は弁護士にとっても、裁判官にとっても必要不可欠な精神的支柱であるはずだ。日本の法曹に欠けているのは、憲法に依拠した批判精神ではないだろうか。

 弁護士魂や法曹倫理を学ばないまま、弁護士資格を取得した弁護士は一人前とは言えない。ゆとり教育のため、個性を殺して大勢に同調し、劣化した大人の世界に染まり、従属と 忖度(そんたく) を学んだ若手弁護士に、「異を立て突出することを恐れるのは正しい弁護士の姿ではない」と伝えなければならない。

 コロナ支援金詐欺にまみれた司法試験の合格者だという経産省若手官僚の出現は「正義とインテグリティー(誠実さ)」の欠如を示すものであり、見過ごすことができない。

「詰め込み教育」の問題点

――法曹養成システムにも問題があるのか。

 実務と理論の架橋を求めたはずの法科大学院は、司法試験の合格率に左右された結果、司法試験予備校的な詰め込み教育が主流となった。法曹倫理を実地で学ばず、多数の弁護士実務家教員と触れあう機会が保証されず、ロールモデルや理想とする弁護士像を描けないまま迷える司法修習生と若手弁護士への教育機会の提供は喫緊の課題だ。

 最高裁判所が管轄する司法研修所教育は、ともすれば裁判官のリクルートとその養成に主眼を置きがちになるため、弁護士としてどう生きるかの視点からのプロフェッション(人のために尽くす専門職)教育を期待できない。これらの理由により、若手弁護士に弁護士とは何かを考えさせ、優れた先輩弁護士、志の高い同輩弁護士と 切磋琢磨(せっさたくま) する機会を提供するのが本塾の目的であると講演で申し上げた。

――久保利塾には、どういった弁護士が参加したのか。

 新潟県、岩手県を含む全国10事務所が久保利塾の協賛事務所として名乗りを上げてくれた。年間30万円の協賛金をご負担いただき、各事務所の所員弁護士に入塾していただいた。リアル・リモート参加を含め31人の応募があり、弁護士の活動を始める前の司法修習生も参加した。地域別にみると、東京24名、埼玉1名、神奈川1名、千葉1名、静岡1名、愛知1名、大阪1名、福岡1名。弁護士のキャリアで言うと、1~10年未満、年代でいうと20~30歳代が中心だった。

 福岡県で司法修習しながら毎回、飛行機で駆けつけた荒木謙人さんに志望動機を聞いたところ、「もともとビジネス法務に興味があり、多方面でご活躍されている久保利先生が、どのような時に、何を考え、何を指針にして行動されているのか、どうしてもそれを直接聞きたかった」という答えが返ってきた。

個性派に学ぶ 独創性の追求

――久保利塾の講義内容は。

 初回は2021年5月29日に開催し、吉田松陰の『講孟余話』、福沢諭吉『学問のすゝめ』をテキストとして、「弁護士とは何か」を議論した。

 今から150年前、弁護士制度がなかった江戸末期から明治維新に、封建的な制度に抵抗した吉田松陰や福沢諭吉の活動は人権活動そのものであり、法曹の先達とも言える。

 国家や立法府・行政府に対し国民の側に立ち、異議申し立てをした偉大な先人の著作から弁護士魂の原点を学んだ。塾生と塾頭の間の約50歳という年齢差、学校教育での近代史軽視の影響か、塾生には吉田松陰についての理解、共感は難しいようだった。

 第2回は21年7月17日に「塾長と河合弘之弁護士対論―王道か覇道か」と題し、「反原発訴訟」の中心的な役割を果たしている河合弁護士と対談した。

 河合弁護士と私は同じ1944年生まれ、司法試験合格も同期にもかかわらず企業法務として当初は対極の立ち位置にあった。アグレッシブでいけいけの河合さんと、豪放に見えて、実はリスク感覚の鋭敏な私とは、性格的にも対照的と言われるが、2人の弁護士活動の到達点が、私の「一票の格差是正訴訟」、河合弁護士の「反原発訴訟」という国家のガバナンスを問うという形で近づいているのはなぜか、活発な討論がなされた。対極的な両弁護士がともに訴訟の枠を超えた戦略を駆使し、社会を味方にする弁護活動を実践していることに対し、塾生は 驚愕(きょうがく) していた。

 第3回は21年10月2日に、水俣病をはじめ、炭鉱のじん肺、有明海異変などといった多様な社会問題に取り組み、数多くの公害裁判で画期的な判決を引き出してきた馬奈木昭雄弁護士(80)(福岡県弁護士会)をゲストに迎え、その公害・水俣病弁護人生から依頼者とともに勝つまで闘う執念を学んだ。依頼者たる水俣の漁民に寄り添い続け、自らも水俣病に罹患するも悔いなし、という馬奈木弁護士の熱い思いに、塾生は弁護士の生き方を学んだのではないか。

久保利塾の修了証書
久保利塾の修了証書

 続く第4回は21年12月4日に「久保利英明になってみる」というタイトルで、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP刊)を課題図書として、なぜ弁護士・久保利英明は破天荒に生きるのか、を考えた。

 塾生は本書の感想文を提出し、私と岡田弁護士の添削を受けた上で討論した。ゲストスピーカーとして本書の編集者である日経BP社の黒沢正俊氏が参加し、出版の苦労や裏話を披露した。参考文献として岡田弁護士の推薦図書、カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読んだ。その心は「時代の差を見よ。久保利の猿まねをするな」であった。

 最終講義は、22年2年19日に神奈川県・箱根湯本の富士屋ホテルで、第5回、第6回を合宿形式で開催した。初日(第5回)は、「私の側面史 美しきものを求めて」と題して、元科学技術振興機構研究開発戦略センター長で、東大名誉教授の生駒俊明氏(81)に登壇していただいた。生駒氏は、専門分野を軽々と飛翔し、半導体研究者として東大生産技術研究所教授などを経て、53歳でテキサス・インスツルメンツ社に転じ、フリーランスとして社外取締役、大学の理事・教授、キヤノン副社長、キヤノン財団理事長などを務めた。それ以降は、美食・美景・絵画・音楽など全ての美を楽しみ尽くす人生を満喫している。この生き方に対する本人の 感懐(かんかい) を伺い、塾生と意見交換した。

 翌日の第6回は「バトルロイヤル 久保利英明VS岡田和樹VS運営委員VS塾生」と銘打って、久保利塾設立発起人代表の岡田弁護士が「我が人生」を語り、「何のために生きるのか、弁護士と言う仕事の価値は何か」をテーマに議論した。

講義する久保利塾頭(右)と岡田和樹弁護士
講義する久保利塾頭(右)と岡田和樹弁護士

 岡田弁護士は、かつて労働弁護士団体の幹部だった。国鉄の分割民営化に伴う国鉄労働組合(国労)に対する採用差別との闘いに全身全霊を懸け、全国各地の労働委員会と中央労働委員会で救済命令を勝ち取ったにもかかわらず、裁判所ではこれらの救済命令が全て取り消されたことで、日本の司法に絶望し、まな娘を小児がんで失ったこともあって、一時は弁護士廃業も考えた。しかし、同期の友人、木南直樹弁護士から誘われて、世界的巨大法律事務所のパートナーとなり、外資系企業を代理する弁護士に転じた。

 その後、弁護士としての使命を果たすため、木南弁護士とVanguard Tokyo(ヴァンガード トウキョウ)法律事務所を創設し、LAW未来の会副代表理事として活動している。弁護士の生き方を巡って私と岡田弁護士がそれぞれの立場から 忌憚(きたん) のない意見交換をした。岡田弁護士は「より多くの『楽しいと思える時間』を過ごすことが目標。そのためには、きちんとした仕事をすること、健康を維持すること、人間関係を大切にすること、お金との関係に注意することが大事」と力説した。

 私からは「何事にも好奇心を忘れない。正義の総量を増やし、社会や人様の役に立つ人生こそが最も本人を幸せにする。人のまねをせず (とが) った個性を磨く。人と違わなければ生きるかいがないから。今があることに親やご先祖様、恵まれた運に感謝せよ」と申し上げた。岡田弁護士と私が言いたいことはほぼ一致していた。

促成栽培の弊害 急務の制度改革

――盛りだくさんの講義内容だが、1年の活動を通じて感じたことは。

 討論と文章作成を課して浮かび上がったのが、若手弁護士の教養の不足、発言力と文章力の貧困さ、つまり、物事を自分で考える力が足りないことだった。原因は司法試験合格のみを目指す、法曹教育の「促成栽培」の誤りにあることは明らかだ。塾生の一人は「これまでの人生では、試験でも仕事でも正解や前例を覚えて、効率よく問題に対処することに重きを置いてきた」と打ち明けた。

 キャリアと経験がものを言う弁護士の役割に鑑みれば、「若くて優秀」な弁護士などいない。にもかかわらず、多くの志望者は過去の問題の正解を丸暗記し、模範解答を吐き出すことが「優秀」で、それを「学習」と誤解している。一刻も早く合格して、若くして大手法律事務所に雇用されることを希望するあまり、自分の頭で考え、それを言語化して、自ら模索して説得力のある論旨を展開することができない。足りないのは法律知識ではなく、人間社会の歴史と構造を理解するとともに、正しい法曹像を構築し、係争事実を把握して多面的に分析する能力と、合理的な判断に至るプロセスの説明力のはずだ。

 久保利塾ではさまざまなことを塾生に伝えた。彼らの反応を紹介しよう。地方自治体勤務から大宮法科大学院大学を経て、司法試験に合格した岩楯清一さんは「塾では正解を疑い、真理を探究し、自分で考える場を与えてくれた。塾での学びを生かして、社会の様々な事象について、何が問題かを自分で考えて、自分で解決していける弁護士になり、正義の総量を増やしたい」と抱負を述べた。

 キャリア6年目の山田重則弁護士は「登壇した先生方の経歴はさまざまだったが、共通していたのは『難事件 こそ果敢に挑む』という積極的な姿勢だった。常識に風穴を空けてこそ弁護士の存在価値があるという気概を感じた」との感想を寄せた。他方で、「若き塾生としては、与えられた素材のすべてを消化することができず、今すぐには理解することができないことも多々あった」と正直な感想を述べた塾生もいた。

 わずか1年の講義だけで、我々が伝えたいことを塾生全員が理解し、その能力を確立できるはずもない。引き続き、自分たちが扱う事案の歴史的、社会的意義を考え、「正解」の存在を疑い、通説や最高裁判例への異議申し立て能力を研鑽する意識を向上させるためにはどうしたらよいかが、次期の課題だ。

 司法試験の受験者も合格者数も増加しないため、正しい競争状態が発現しない。能力向上を伴わないまま、社会正義の実現を忘れて安逸に流れる弁護士が増えることを心配している。そうなれば、国民・社会のニーズを満たせず、弁護士の活動が非効率的な訴訟に限局されている現状が固定化されてしまう。

 ペーパーテストのみの選抜のため、臨床経験が乏しく、応用の利かない知識の詰め込みは、高度な専門職を養成するプロフェッション教育とは言えない。

 世界トップレベルの高等教育に劣後するのは、日本の高等教育全体に共通する課題だが、特に法曹養成制度においては、司法試験改革と法科大学院教育改革、司法研修所の廃止を含めて、国民と最初の接点になる弁護士のための弁護修習の改革なくして我が国の司法強化はあり得ない。「見えやすく、分かりやすく、頼りがいのある司法」の実現に向けて、久保利塾はさらに中長期的な視点に立脚して、司法改革と法曹教育改革を担う覚悟だ。


(注1)正木ひろし(1896~1975)戦争中の1944年に官憲の拷問により殺害された被疑者の死体を掘り起こし、首を切って頭部を法医学鑑定に運び込んだ「首なし事件」の告発者兼代理人。戦争中に反戦個人誌『近きより』の発行を続けた。三鷹事件、八海事件、チャタレー夫人事件などの代理人を務めた。
(注2)大野正男(1927~2006)弁護士として数多くの労働・人権事件を担当し、その後、最高裁判事に就任した。
(注3)戸田謙(1924~2005)陸軍機のパイロットとして、終戦間際に浜松の陸軍飛行場から出撃し、乗機炎上の事故に遭った。事故の状況から、当然死亡したものとして、死体置き場に安置されて一晩を過ごしたが、翌日、息のあることが判明して治療を受け、一命を取り留めた。奇跡的に蘇生したものの、顔面は全体に焼けただれ、 火傷(やけど) で両手に損傷を受け、鉛筆を握るのも不自由だった。復員後、弁護士に転じた。日教組顧問に就任し多くの労働事件・刑事事件に体を張り、多くの優れた人権弁護士を育成し、日弁連副会長を務めた。
(注4)柳沼八郎(1920~2010)日本軍人として敗戦後もインドネシアに残留し、その独立運動に協力し帰国後に弁護士となり、大野正男らと虎の門法律事務所を設立し、日教組事件、人権事件、スモン訴訟などで成果を上げた。
(注5)中坊公平(1929~2013)日弁連会長や整理回収機構(RCC)社長などを務めた。1970年代は、粉ミルクを飲んだ乳幼児が死亡するなどした「森永ヒ素ミルク中毒事件」の弁護団長として、被害者救済に取り組んだ。84年に大阪弁護士会会長に就任し、85年以降、豊田商事の巨額詐欺事件の破産管財人として被害者を支援。96年、旧住宅金融専門会社(住専)の不良債権を回収する住宅金融債権管理機構(後のRCC)初代社長に就任。「国民に2次負担をかけない」をスローガンに陣頭指揮を執り、「平成の鬼平」と呼ばれた。しかし、2000年に不適切な債権回収が発覚し、東京地検特捜部の取り調べを受けた。この件は不起訴となったが、社会的責任を取る形で05年に弁護士を廃業した。

プロフィル
久保利英明氏( くぼり・ひであき
 ロースクールと法曹の未来を創る会(LAW未来の会)代表理事。1944年生まれ。67年司法試験合格。68年東大法学部卒。司法修習を経て、71年に弁護士登録。2001年度第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。04年から15年3月まで大宮法科大学院大学教授、15年から21年3月まで桐蔭法科大学院教授。著書に『志は高く 目線は低く』(財界研究所)、『弁護士たった3万5000人で法治国家ですか』(ILS出版)、『久保利英明ロースクール講義』(日経BP社)など多数。

スクラップは会員限定です

使い方
「調査研究」の最新記事一覧
記事に関する報告
2902931 0 教育 2022/04/07 19:30:00 2022/04/07 19:40:04 2022/04/07 19:40:04 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/04/20220407-OYT8I50041-T.jpg?type=thumbnail
読売新聞購読申し込みキャンペーン

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)