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山の日レポート

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通信員レポート

白馬の雪形

2023.06.26

全国山の日協議会

文・写真提供:降旗義道さん

降旗義道さんプロフィール
白馬に生まれ、白馬に育つ。
20才のとき南米パタゴニア・アンデスの難峰パイネ・ノルテに初登頂。
1980年チョモランマ(エベレスト)登山隊参加。アンナプルナ・マナスルなど超高所でのスキー登山を実践。
スキーは3才から始め、24才のとき全日本スキー連盟デモンストレーターに認定。
1993年日本人として初めて国際山岳ガイドに承認される。
18歳から北アルプス北部地区の山岳遭難救助隊員として、多くの山岳遭難に携る。
現在、(公益社団法人)日本山岳ガイド協会特別顧問・日本山岳会会員・元白馬山案内人組合会長・元北アルプス山岳救助隊隊長・元白馬岩岳スキースクール校長など・・・
またTBS系・月曜ゴールデン『山岳刑事(ヤマデカ)』、テレビ東京の「山岳救助隊・紫門一鬼」(高嶋政宏主演)、NHK・BSプレミアムの連続ドラマ「山女日記」の登山技術アドバイザーとして協力したことでも知られています。

降旗義道さん

その1

白馬岳(ハクバダケ)の右、最低鞍部附近。赤い楕円の中が白馬岳の由来となったといわれる雪型だ。楕円の左端上部に馬の頭部、真ん中の大きな岩壁が馬の胴、右端に尻尾が稜線まで跳ね上がっている。前・後ろ足は小さくそれなりについている。さて皆さんには馬に見えるでしょうか。この馬型が白馬岳(ハクバダケ)の名前の由来を変にしてしまった。これは春、田植えの前の代掻き作業をする馬型で、これがでたら作業を始めたという言い伝えを誰かが作り上げてしまった。代掻き馬(シロカキウマ)⇒代馬(シロウマ)⇒代馬岳(シロウマダケ)⇒白馬岳と云うとんでもない言い伝えが信じらられてしまった。白馬で生まれ育った人は基本的に「シロウマダケ」とは呼ばない。ちなみに昔、この馬型の胴の部分をスキーを引き上げながら初登攀し、初滑降している。オーバーハングの連続で冬でも雪をつけず、春でも馬型は余り変わらない。このように雪形の話を作り上げ、間違った山名の由来としている例が白馬連峰にはいくつかある。白馬岳の由来は今になれば誰にもわからない。雪形が楽しめるこのとき、シリーズとして紹介していきたい。

その2

写真は4月末、白馬村からの五竜岳。この五竜岳の由来は武田信玄の家紋「武田菱」で、山頂直下に出る雪形がそうだという。赤丸の中に見事な武田菱が4月中旬ころから現れる。この武田家の家紋を敬意をもって「御稜」と呼び、それがなまって「五竜」になり五竜岳になったという説。この写真の右側ほぼ半分は白岳の東面であり五竜岳ではない。白岳は名前の通り白馬村の南、大町市から見ると真っ白な台形の山で五竜岳の一角をなしている。白馬からは冬でも黒い岩壁だ。五竜岳の一角にある白岳の名前を付けた大町市の人たちからは、本峰、五竜岳にある「御稜」は見えないのだ。白馬岳(ハクバダケ)の「代掻き馬」と同様のこじつけだ。五竜岳の名前の由来は不明だ。ただこの名前を付けたと思われる大町市北部からは、烏帽子岳が見え、その南に三ツ岳がある。ここはピークが三つある。五竜岳はピークが五つ。急峻なピークだから、これを五つの竜頭に見立てたあたりが無難かもしれない。

その3

爺ケ岳の名前の由来。白馬山麓からは見えないが、隣の大町市や安曇野からはよく見える。5月末から6月中旬にかけて、爺ケ岳の南峰と中峰の間、広い雪面にきれいな人形が現れる。誰かが歩いているように見える。これを「爺さん」に見立て「爺ケ岳」と名前を付けたようだ。「花咲か爺さん」になぞらえて「種まき爺さん」を誰かが作りたくなった。ところが本来の爺さんが現れる5月下旬過ぎには、種まきは基本的に終わっている。種まきの盛りは4月中旬なのだ。そこで爺ケ岳南峰に4月中旬に現れる人の形には到底見えない雪形を「種まき爺さん」にしてしまった。昔の農家も雪形を見て作業など始めない。縄文時代ではあるまいし、暦をみてやっていた。「満月に餅つくウサギ」と同様の話が今では、正しい由来と思われている。滑稽なことだ。

その4

小蓮華岳から白馬乗鞍岳にかけての山腹が凄い。真冬はほぼ真っ白になり、4月に入り雪が消え始めると様々な模様がこの斜面に現れる。ここに主だった雪形を紹介しよう。小蓮華岳山頂よりの「種まき爺さん1」と「種まき婆さん1」は八方地区の人たちが付けた名前。私が住む岩岳地区の人たちは「種まき爺さん2」と「種まき婆さん2」の名前を付けた。そして、八方地区の種まき爺さんたちの存在は認めていない。その逆に八方地区は岩岳地区が付けた名前を認めていない。喧嘩をしているわけではなく、見える角度が違うと形を認識できないからだ。「種まき爺さん」が出たから種まきをしたわけではない。子供たちに話の種として言い伝えられた程度なのだ。他に「仔馬」や「ニワトリ」などがあるが他に多薦・自薦もいくつもある。それより、この広い雪の斜面の名前の由来となった「舟腰の頭」が面白い。「船越の頭」は間違いなのだ。次の機会に載せましょう。

終わりに

「白馬美人」白馬乗鞍岳の天狗原に向いた大斜面に出る。小学校5・6年ころ。学校帰りの松川橋(松川・源流は白馬大雪渓や唐松沢氷河)の上で、中学生になっていた2・3歳年上の近所の遊び仲間から「白馬美人」の雪形を教わった。『美人』という言葉が子供心にも妙に残った。望遠レンズで写したからアラが目立つが、国道148号線上からなら遠くからも確認でき、もっと美人に見える。当時のガキ大将たちが見つけたのか、もっと上の子供たちが見つけてのか。白馬に生まれ育った思春期の子供たちだけに密かに伝えられた雪形。黒髪を風になびかせ、切れ長の目をした色白の、まさに美人である。白馬山麓から見える自薦他薦の多くの雪形。しかし、これに勝る傑作はない。昔のガキ大将たちの新鮮な目線に拍手を送りたい。

雪形からちょっと外れて

白馬大池から小蓮華岳を目指して登っていくと1時間弱ほどで立つ最初のピークが「舟腰の頭」だ。道標にも地図にも「船越の頭」となっているが、これは大きな間違いである。戦前、栂池ヒュッテにたむろしていた白馬生まれの祖父たち山岳ガイドが、小蓮華岳の信州側の雪の大斜面を「舟の腰」に見立てた。舟に腰と呼ぶ箇所はない。舷のことであり、その側面を「舟腰」と名付けた。この雪の大斜面は、当時、山岳スキーのメッカとなった。3月後半から6月にかけて、まさにスキーの黎明期を支えたのである。「舟腰」という単語はない。結果、苗字にある「船越」になってしまった。そればかりか白馬大池に上げた舟がこのピークを越えたから「船越の頭」の名前が付いたという、まさに「シロウマダケ」は代掻き馬から名前がついた説と同様だ。山奥で育ち舟の知識に乏しい祖父らが考えた造語「舟腰」を是非使ってほしい。

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