ジャハーンギール
ムガル帝国の第4代君主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ジャハーンギール(ペルシア語: نورالدین جهانگیر, ラテン文字転写: Nūr'ud-Dīn Muḥammad Jahāngīr, 1569年8月31日 - 1627年10月28日)は、ムガル帝国第4代皇帝(在位:1605年 - 1627年)。父はムガル帝国第3代皇帝アクバル。母はラージプートの王バール・マルの娘マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム。
概要 ジャハーンギール نورالدین جهانگیر, 在位 ...
ジャハーンギール نورالدین جهانگیر | |
---|---|
ムガル皇帝 | |
ジャハーンギール | |
在位 | 1605年10月28日 - 1627年10月28日 |
戴冠式 | 1605年10月28日 |
別号 | パードシャー |
全名 | ヌールッディーン・ムハンマド・サリーム(ジャハーンギール) |
出生 |
1569年8月30日 ファテープル・シークリー |
死去 |
1627年10月28日 ラホール |
配偶者 | ビルキース・マカーニー・ベーグム |
ヌール・ジャハーン | |
ほか | |
子女 |
フスロー パルヴィーズ シャー・ジャハーン シャフリヤール |
王朝 | ムガル朝(ティムール朝) |
父親 | アクバル |
母親 | マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
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「ジャハーンギール」はペルシア語で「世界を征服する者」を、本名であるヌールッディーン・ムハンマド・サリームのうち「ヌールッディーン」はアラビア語で「信教の光、宗教の光」を意味する。
父アクバルとは生前に対立しており、1605年に父が死ぬと帝位についた。 ジャハーンギールは一般に、病弱で自堕落の気質があった無能な君主とみなされている。これは1611年、ミールザー・ギヤース・ベグ(尊称イティマード・ウッダウラ)の娘(のちのヌール・ジャハーン)との結婚により、ヌール・ジャハーンとその兄アーサフ・ハーン(ムムターズ・マハルの父)が皇帝にかわり、政治を取り仕切ったとされることからである。しかしこの問題については現在研究者の間でも議論されている点であり、まだ結論は出ていない。
晩年は皇子らの間で帝位継承をめぐる争いがあり、最終的に勝利したシャー・ジャハーンが1628年に帝位を手にすることができた。