第83回:すばらしき個性派集団〜カルマンギア100cars“きらら”ミーティング
2008.10.24 エディターから一言第83回:すばらしき個性派集団〜カルマンギア100cars“きらら”ミーティング
富士スピードウェイで「フォルクスワーゲン フェスト2008」が開催されたのと同日、同じく富士山を臨む山中湖畔では、クラシックなフォルクスワーゲンのイベント「カルマンギア100cars“きらら”ミーティング」が開かれていた。
独伊合作
半世紀余りの間に通算2150万台以上が作られ、単一車種としては世界一の量産記録ホルダーである「フォルクスワーゲン」(VW)の型式名「タイプ1」。「ビートル」の愛称で親しまれているこのタイプ1のシャシーに、イタリアのカロッツェリア「ギア」がデザインし、ドイツのカロッセリー(カロッツェリア/コーチビルダー)である「カルマン」が製作した2+2クーペボディを架装したモデルが、1955年に誕生した「フォルクスワーゲン・カルマンギア」である。
「カルマンギア」のパワートレーンはビートルとまったく同じで(当初のエンジンは1192cc・30ps)、車重は100kg近く重くなっていたから、性能的には取るに足らない存在だったが、その流麗なスタイリングで人気を博した。そして2年後の57年にはカブリオレを追加、ビートルの発展に準ずる形で排気量の増大などの改良を受けながら73年まで生産された。また62年には型式名タイプ3こと「フォルクスワーゲン1500」ベースの「カルマンギア」も登場、こちらはクーペのみが69年まで作られている。
日本初の試み
その「カルマンギア」だけが100台集まるというイベント「カルマンギア100cars“きらら”ミーティング」が、10月19日(日)、山梨県山中湖村の「交流ぷらざ・きらら」で開かれた。半世紀以上にわたって作られたビートル系モデルの人気は根強く、日本でも少なくない数のイベントが毎年開かれている。だが「カルマンギア」のみの大規模なミーティングは初の試みという。
ことの始まりは1年半ほど前。インターネットによって知り合った数名のカルマンギア愛好家が、2005年にドイツで開かれたカルマンギア生誕50周年イベントに欧州全土から400台以上のクルマが集結したという情報に刺激を受け、「自分たちも多くの仲間を集めてみたい」と考えたのがきっかけだった。
とはいえ、それまで多くても参加台数10台前後のミーティングしか経験がなかった彼らにとって、大規模なイベント開催のノウハウは皆無。手始めにネットを通じて現在オーナーの手元にあるカルマンギアの情報を募ったところ、全国から350台ほどの生存情報が寄せられた。
「300台以上あるんだから、100台くらいは集められるんじゃない?」
そんな希望的観測のもとに企画されたそうである。
じつをいえば、リポーターはVWというブランドにも、ビートル系モデルにもあまり関心がなかった。また、変化に乏しいという理由からワンメイクのイベントもあまり好きではない。だが、カルマンギアだけが100台も集まると聞いて、にわかに興味を覚えた。車種を問わない旧車イベントでもほとんどお目にかかった記憶がないカルマンギアが100台という、もしかしたら二度と拝むことができないかもしれない光景を、ぜひとも目にしておきたかったからだ。
目移りしてしまう
イベントの成否は8割方天候で決まると言っても過言ではない、というのはリポーターの持論なのだが、当日は幸い快晴のもとに富士山を望む絶好のイベント日和。会場となったのは山中湖村の公共施設「交流ぷらざ・きらら」の臨時駐車場だが、「臨時駐車場」という響きから連想しがちな殺風景な未舗装の荒地ではなく、ラッキーなことに芝敷きだった。イベントを開催あるいは参加した経験のある方ならおわかりと思うが、グリーンの上にクルマを並べるというのは、とてもぜいたくなことなのである。というわけで、ロケーションは文句なしだった。
そこに集まったカルマンギアは、目標の100台は事前申込みだけで突破し、当日参加を加えた総数は約120台に達した。それら参加車両は年代別にきちんとレイアウトされ並べられていたのだが、じつにカラフルで壮観だった。なにしろ120台のうち、1台として同じクルマがないのである。カルマンギアはビートルをはじめとする空冷VWの例に漏れず、カスタマイズされたクルマが少なくない。今回もアメリカ西海岸を発祥の地とする「キャルルック」(Calfornia Lookの略で、車高を下げてワイドなホイールを履かせるのが基本)でキメたクルマが目立ったが、そうした改造車のみならずノーマル車同士を比べてみても、1台1台見事に違っているのだ。
そして、これまたベースとなったビートルに準じていることだと思うが、ノーマルでもカスタムでも、派手な色でも渋い色でも、それなりにキマってしまうというか、カッコイイ。カラフルかつシック、クラシックながらポップという、不思議な魅力をたたえたクルマなのである。写真を撮りはじめたら、あれもこれもと目移りしてしまい、困ってしまったほど。事前にリポーターが抱いていたワンメイクイベントにありがちな退屈さは微塵もなく、こちらの認識を改めさせられた。
粋なバックアップも
ところで、「カルマンギア」のボディを製作したのは前述したようにドイツの「カルマン社」。同社は現在も世界中の自動車メーカーからの委託によるオープンモデルの開発・生産を中心に活動している。現行車種から例を挙げれば、「アウディA4カブリオレ」「メルセデス・ベンツCLK」「ルノー・メガーヌ・グラスルーフカブリオレ」「VWニュービートル・カブリオレ」「日産マイクラC+C」などが、同社が手がけたもの。ちなみに日本車ではマイクラC+Cが処女作だったが、それ以後増えた国産メーカーからの開発依頼に対応すべく、約2年前に「カルマン・ジャパン」を設立し、近々工場も稼働を始めるそうだ。
その「カルマン・ジャパン」がこのイベントを力強くバックアップし、社長自ら来場して参加者全員に記念品(豪華な写真集など)をプレゼントし、さらに1名に特別賞を授与するという粋なところを見せた。メーカーやインポーターの企画運営ならともかく、愛好家が主催するイベントにここまで協力的な例も珍しいといえる。
というわけで、初の開催にもかからわず「カルマンギア100cars“きらら”ミーティング」はなかなかの盛況だった。「すばらしき個性派集団」……これは今から40年近く前、ワイドバリエーションを揃えて登場した国産某車の広告のキャッチコピーだが(歳がバレるね)、会場の光景を眺めていて、思わずそのフレーズが浮かんだのだった。
(文と写真=田沼 哲)
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田沼 哲
NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。