「SUVにしたもの勝ち」で高級サルーンは消滅するのか?
2023.05.01 デイリーコラム決め手は“フォーマル意識”
単刀直入に言って、高級セダンはなくならない、とは思う。けれども、当然のことながら、今よりもそのマーケットはいっそう小さくなっていく。一般市民レベルで言えばすでに4ドアサルーンは絶滅種であり、高級車マーケットにのみセダンは存在すると言っても過言ではない。そういう意味ではもうすでにマーケットでは「SUVにしたもの勝ち」。高級ブランドの最新SUV一辺倒戦略はあながち間違ってはいない。少なくともわれわれが普段見える範囲のレベルでは高級セダンはなくなっていくとみていいだろう。
なくならないとすれば、一体この先どこまで縮小して、いつごろなくなってしまうのだろうか。個人的には“セダンはフォーマル”という概念が消えうせたとき、4ドアセダンは過去の遺物になってしまうと思う。いつか? それはフォーマルなクルマの究極というべき国家元首専用車両のラインナップからセダンが一掃されるときだ。
今のところSUV先進国のアメリカやオイル&デザート系の裕福な地域を除いて国家元首の専用車両はいまだビッグセダンが一般的だ。英国や日本のようにほとんどSUV級のサイズとなった専用デザインのサルーンを採用する国もあるけれど、基本的には3ボックスセダンスタイルが今なお主流となっている。ということは、セダン=フォーマルという意識はもう少し続くとみるべきで、そうであればフォーマルなクルマとしてセダンの生き残る道は今しばらく残る。
一方でその英国と日本を代表する高級サルーンがSUV へと変身または転換するという現実やウワサがある。ベントレーは「ミュルザンヌ」の後継モデルをつくらず、(「フライングスパー」は継続しながらも)「ベンテイガ」のロングホイールベースモデルを事実上の後継モデルに充てた。「トヨタ・センチュリー」のSUV化もうわさされているし、レクサスからはSUVではないけれどもついに「アルファード」の高級版が国内初導入され、“高級版ランクル”の「LX」とともに高級セダン「LS」離れをメーカーの側からも促進することとなる。
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BEV化にこそ未来はある
ベントレーもトヨタも、いわゆる“御料車”にはセダンベースながらサイズ感のまるで違う専用デザインの車両を開発しており、延長線上にあるべき一般向けフォーマルサルーンの廃止に向けて、言ってみれば“たが”が外れた状況になったとみることもできるだろう。
高級セダンの行く末を心細くなるものにしているのは、なにもマーケットの嗜好(しこう)ばかりではなさそうだ。電動化への期待が進めば進むほどバッテリーは重くなっていく。一般的なサルーンスタイルよりも、すでに重くてスペース的にも余裕のあるSUVのほうが、エンジンとバッテリーの兼用もしくはハイブリッドを想定したモデルの電動化には向いている。
果たしてセダンが生き残るために、フォーマル意識の継続に期待するという消極的な術(すべ)しか残されていないのだろうか。個人的には積極的に生き残る道がひとつ残されていると思う。それはエンジン搭載をすっぱり諦めたフル電動化による新時代のサルーンをつくるという選択肢だ。
すでにメルセデス・ベンツは「EQS」や「EQE」といったBEV専用のサルーンデザインを市販しているし、世界最高峰サルーンブランドのロールス・ロイスも次世代のBEV化を宣言した。ジャガーのように、再興をまずは高級なBEVセダンに賭けるというブランドもある。
ハナからエンジンレスを想定したデザインは、厳密に言って、もはや3ボックスの正統派サルーンとはいえない(EQSなど)。けれども、それゆえ背の低い4ドアモデルの新境地を開く可能性が残されていると思う。「ポルシェ・タイカン」のようにスポーツモデルとして4ドアもしくは4シーターのBEVを世に問うブランドも増えてくるだろう。パワートレインの根本的な変換は当然ながらデザインの大転換を招き、それが4ドアモデルの新たな価値を生む可能性は十分にありえると思うのだ。
(文=西川 淳/写真=ベントレー モーターズ、ロールス・ロイス・モーター・カーズ、トヨタ自動車、ポルシェ、webCG/編集=関 顕也)
西川 淳
永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。