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震災を機に早稲田大学と出会い、開けた人生 「心の復興」を目指しNPOを設立

受験生の進路選択に大きな影響を及ぼした東日本大震災

東日本大震災と原発事故によって被災地の生活は激変し、受験生の進路選択にも大きな影響を及ぼした。「予備校からの帰宅途中で立っていられない揺れを感じた」と地震直後のことを語ったのは、当時受験生だった植木 春実さん。福島県いわき市にあった自宅が半壊し、両親とともに東京での避難生活を余儀なくされたと言う。自らも被災者でありながら早稲田大学商学部へ入学した後は「NPO法人 元気の素カンパニー以和貴」を設立。2011年の活動開始から9年間で、延べ5,000人以上の「心の復興」を支援してきた植木さんに、NPOでの復興に向けた取り組みや、震災が結んだ早稲田大学との縁について語ってもらった。

Profile
植木 春実
会社員
福島県いわき市出身。2017年早稲田大学商学部卒業、2018年同大大学院商学研究科修士課程修了。東日本大震災により自宅が半壊し、両親とともに東京へ避難。当初、国立大学を志望していたものの、志望校を変更して入学検定料・学費等減免制度のあった早稲田大学に入学。入学後に母親とNPO法人「元気の素カンパニー以和貴」を立ち上げた。現在は会社員として働くかたわら、同NPOの運営に携わる。

「生きる」ことに精一杯で、落ち着いて勉強できなかった避難生活

いわき市は東北地方の東南端に位置し、南は茨城県、東は太平洋に面する海岸線が60kmにわたって続く。3月11日に発生した東日本大震災では、震度4以上の揺れが約3分間続き、最大震度6を記録。当時受験生だった植木さんは、予備校からの帰り道に突如として激しい揺れに襲われた。道路にはその場にしゃがみ込む人や落下したがれきが散乱し、異様な光景だったと当時を振り返る。

「被災当時、私は浪人生でした。予備校からの帰り道に『たい焼き』を買おうとお店に向かっていたところ、これまで経験したことのない強くて長い揺れを感じました。あたりを見回すと駐車場に停まっていた車が大きく揺れ、解体工事をしていた家からは換気扇が落下。駐車場でうずくまっているお年寄りのそばに駆け寄り、車が来たら引きずってでも逃げようと手を握って周囲を警戒していました。

自宅の様子が気になって急いで帰宅してみると、地震の揺れで屋根の瓦が崩れ落ち、室内は食器や本が散乱。家は半壊状態でした。がれきを撤去して生活スペースを確保するも、長引く余震でいつ崩れてきてもおかしくありません。断水も1ヶ月ほど続き、わずかばかりの救援物資と水を頼りに、『生きる』だけで精一杯でした。

震災から1ヶ月が経つ頃、こうした状況を変えるために両親と一緒に東京に避難しました。避難所を転々とし荷物を広げては畳んで移動する生活で、みなし仮設住宅に入居する9月までは落ち着いて勉強することができない日々が続きました」

「私も大学生になれる」あのときの安堵感は忘れられない

被災した地域の世帯では、家計が急変したことで、経済的に修学が困難となるケースが少なくない。国立大学を志望していた植木さんにとっても同様で、「被災した自宅の修繕などで余裕もなく、私立大学への進学は選択肢になかった」と当時の進路選択を振り返る。東京での避難生活を送りながら、第一志望の国立大学合格を目指して受験勉強に励んでいたが、ある時早稲田大学が東日本大震災等の被災学生に対して、入学検定料を免除していることを知った。

「『せっかくだし、受験してみたら?』という母の勧めもあり、受験に慣れる意味でもと思い立って、早稲田大学を受験しました。結果は無事合格。ただ、国立大学と比べて私立大学の学費は高く、受験に合格したからといっておいそれと決断できるものではありません。当時は姉も奨学金を利用しながら大学に通っていたので、私だけ親に負担をかけるわけにもいきません。

迷っていた私の背中を押したのが、早稲田大学からの学費等減免制度のお知らせでした。私の場合は自宅が半壊していたこともあって、入学金や学費等が免除されることを知りました。『お金』の問題は自分の力での解決には限度があり、周囲に頼らざるを得ません。アルバイトに明け暮れて授業に出られなくなるのは本末転倒です。

早稲田大学の学費減免制度を利用すれば学費のことを心配しなくていい。被災したことで『自分の進路は国立大学しかない』と決めてかかっていましたが、『早稲田大学』との縁がきっかけで新しい道が開けたことに感謝しました。もし受験してみようと思わなかったら、たとえ合格しても減免制度がなかったら…と考えると、今の人生は歩んでいなかったでしょう。震災を機に早稲田大学と出会えたことで、私も『大学生になれる』と安堵したことを覚えています」

日常を突然奪われた被災者の「心の復興」を支援するために

「被災地の方に正確な情報をお届けしたい」と、大学入学と同時に母親とともに生涯学習を通じて心の復興を目指すNPO法人「元気の素カンパニー以和貴」を立ち上げた植木さん。東日本大震災に伴う避難生活の長期化やみなし仮設への移転など、被災者を取り巻く生活環境が大きく変化するなかで、従来の地域区分にとらわれない新しいコミュニティを形成し、前を向いて生活できるよう「心の復興」を支援してきた。

「活動自体は母の衣類支援から始まりました。避難生活を送る母の友人の言葉から、使い古された洋服ではなく素敵な洋服を送ることで「元気」や「笑顔」を届けたいと思ったのがきっかけです。その後インフラが復旧していくなかで、不安や恐怖に怯える「心の復興」ができていないことに危機感を感じ、『3・11の教訓を未来の糧に 語り・学び・育ち合う仲間創りで心の復興を成す』ことを目的にしたNPOを設立しました。

避難生活を強いられた被災者の多くは、新しい生活環境での子育て・避難生活などに不安を抱えています。その不安を和らげ、孤立を避けるために心のケアや地域間交流を通じて『心の復興』を支援することが大切だと考えています。

これまでに、放射能・子育て・まちづくりなどをテーマに、専門家を招いた講演会や映画上映会、車座の会といったイベントを開催してきました。早稲田大学では、専門分野以外でも興味関心のある分野を幅広く学ぶことができるオープン科目があります。私も震災をきっかけに興味を持った再生可能エネルギーやマスメディア情報についての授業などたくさん履修しました。その知識はNPOのイベントの意見交換の際にも活用し、議論に深みを与える一助になったと思います。

参加者の多くが『ひとりで悩みを抱えていたので話を聞いてもらえてうれしい』『専門家の方から正しい情報を教えてもらえて安心した』と笑顔を浮かべて会場を後にする様子を見ると、交流の場を作ることができて本当によかったです」

いつまでも「被災者」ではいられない
自分たちで動き出すことを大切にしたい

復興庁(2020年12月8日現在)の資料によると、東日本大震災による避難者数は約4万2,000人いるとされる。地震・津波・原発事故の三重苦を強いられた被災者に、交流の場を提供し続ける「元気の素カンパニー以和貴」の意義は大きい。

「衣類支援から始まった私たちの復興活動もまもなく10年。『心の復興』を目指して走り続けて、あっという間に過ぎたというのが率直な思いです。2021年は鎮魂を目的としたイベントを開催し被災者のインタビュー映像などを加えたドキュメンタリーを配信する予定でしたが、コロナ禍でやむを得ず中止の運びとなりました。東日本大震災を風化させず、最近増えている自然災害に活かしていくことが生き残った我々の使命だと思います。

また、私たち自身いつまでも被災者ではいられないと自覚することも大切です。確かに東日本大震災は他に類を見ないほど甚大な被害で、それだけ多くの人の意識に残り全国から支援も寄せられました。

しかしどんなに小規模の災害でも被災された方は同じく大変な目に遭っています。この瞬間も生きるのに精一杯の人がいるなかで、いつまでも外部からの支援を待つだけでは前へ進むことができません。

震災から10年が経とうとしている今、誰かがなんとかしてくれると他力本願で待っているのではなく自分たちで動き出すときが来ていると強く感じています」

震災時

いわきの津波被害を受けた地域の様子

震災時

自宅の前に初めて給水車が来た時の様子
真ん中で上半身を屈めているのが植木さん

5周年記念イベントの様子

講演会イベント準備

動画作成ワークショップの様子

奥で立っているのが植木さん