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3月8日は国際女性デー。女性の権利が奪われたアメリカの人工妊娠中絶禁止問題から学ぶこと

現在、アメリカでは13の州で中絶が禁止されている。米最高裁が中絶違憲の判決を下し、49年続いた女性たちのリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)が昨年覆されてしまったからだ。3月8日の国際女性デーを前に、NYを拠点に活動するジャーナリストのシェリーめぐみが、アメリカの若者たちの声とともに、社会の後退と前進について考える。

3人に1人が人工妊娠中絶にアクセスできないアメリカ

2022年7月、フロリダ州にて行われた人工妊娠中絶禁止に対する抗議デモ。Photo: John Parra / Getty Images for MoveOn

2022年7月、フロリダ州に住む44歳のアナベリー・ロペスさんは妊娠15週で、医師から辛い事実を知らされた。それは、胎児には先天性欠損症があり、出産後数日で死んでしまうだろうと──。ショックで自らの命を絶つことまで考えたというアナベリーさんは、悩んだ末に人工妊娠中絶を決意。しかし、そこにも高いハードルが立ちはだかった。フロリダ州では、6月末に最高裁が下した判断により、15週以降の中絶が禁止されていたのだ。結局アナベリーさんは飛行機で3時間かかるワシントンDCまで飛び、手術を受けたという(今年2月、ワシントンポストに掲載された記事より)。

今、全米50州のうち13の保守州で中絶が事実上の禁止となっている。それはつまり、アメリカ女性の3人に1人が中絶にアクセスできないことを意味する。

アナベリーさんのように他州に行ける人は、まだ恵まれていると言えるかもしれない。経済的な理由でやむなく中絶を選択する場合は、旅費を捻出するのも難しい。そのため多くの女性が、「産んだら子どもや自分の将来はどうなるのか」「やはり中絶すべきなのか」という選択に苦悩している。女性に選択の自由があるべきだ──アメリカ人の6割、若いZ世代の7割は中絶の権利を支持しているのは、そんな思いの表れだろう。

これまで49年間、アメリカはどこの州でも、合法的に中絶の手術を受けることができた。1973年1月22日、最高裁が「中絶を禁止するのは違憲である」と判断し、ロー対ウェイド判決とも呼ばれる女性の中絶の権利を認める歴史的な判例が生まれた。この判決により、すべての州で安全な中絶ができるようになっただけでなく、女性は自分の体に関する自己決定権を得た。アメリカ史の中で、女性が大きな権利を勝ち取った瞬間だった。

しかし、約半世紀にわたり維持されてきたにも関わらず、2022年6月24日に同じ最高裁がこの決定を覆したのだ。

「中絶の権利は憲法では守られていない。規制する権限は国民が選んだ議会に戻されるべきだ」

この判断の直後、13の保守州で既に成立していた法律(トリガー法)が施行され、中絶は事実上の禁止となった。加えて、現在はさらに9つの州で、より厳しく制限する方向で動いている。実は、こうなる兆候はここ何年もあったが、それでも多くのアメリカ人は決定的な揺り戻しに大きな衝撃を受けた。

なぜ49年続いた権利が今覆ったのか?

1973年の中絶合法化以降、キリスト教保守層を中心に反対運動が続いた。「中絶は殺人」とし、クリニックを爆破するほどの、過激な動きもあった。しかし、多くの人が中絶禁止が現実になる危機感を抱き始めたのは、トランプ政権になってからだ。

トランプは選挙運動中に「当選したら中絶を禁止にする」と宣言。大統領在任中には、3人もの保守判事を最高裁に送り込んだ結果、保守6対リベラル3とウルトラ保守化した最高裁が、ロー&ウェイドを覆したのだ。

その直後、すぐさま抗議活動が全米各地で起こった。ニューヨークでは大規模なデモや集会が複数の場所で同時に開かれ、ダウンタウンのユニオンスクエアには、Z世代、ミレニアル世代の女性を中心に多くのニューヨーカーが集まった。

「まさか最高裁が国民の総意に反する判断を下すとは」と驚きと怒りをあらわにする人。

「中絶を受けられないことで、健康を害されて死ぬかもしれない」と涙ぐむ人もいた。

トリガー法ですぐさま中絶が禁止になった保守州に比べ、リベラル州のニューヨークでは引き続き合法的に手術が受けられる。それでも多くのニューヨークの若者が怒りの声を上げた。

「親の世代では当たり前だった権利が、突然もぎ取られてしまった」

「女性が権利を失い、再び二級市民(差別を受けている人々)に貶められてしまった」

20世紀初めの女性参政権から60年代の公民権獲得、そして2000年代の同性婚合法化まで、これまでアメリカの歴史は、市民が戦って平等な権利を勝ち得ていく歴史でもあった。それが2022年、突然「人権を失う」という初めての衝撃を味わったのである。

「女性たちの権利決定する議場にいるのは、中年と老人集団」

1992年、最高裁が中絶の権利を肯定したときの有名な見解がある。

「女性が自分の生殖をコントロールする力によって、アメリカ経済と社会生活に平等に参加する能力も高まった」

では、それが覆った社会では、何が起こるのだろうか。ジョージ・ワシントン大学の男女共同参画イニシアチブ所長シャーリー・グラハムは、US Newsでこう語っている。

「子どもを産むか産まないかを自分で決める能力を奪われるということは、他のすべてに影響する。もし女性が子どもを産んで、手頃な値段で利用できる育児施設がなかったら、仕事に行けなくなり、自分や家族を養うことができなくなる。また知的創造的な表現も含め、自分の可能性を発揮することができなくなる」

実は中絶を禁止した州ほど、ジェンダーギャップが大きいというデータがある。US Newsの調べでは、中絶を事実上禁止にしたアイダホ、アラバマ、ケンタッキー、ルイジアナ、ユタなどの州は、「男女平等」で最もスコアが低かった。さらに決定的なのが、中絶禁止を決めた州議会の議員が、圧倒的に共和党が強く、男性主導だということだ。

中絶禁止法案が可決されたウェストバージニア州では、唯一の黒人議員で民主党のオーエンス・ブラウン上院議員が、採決の前に議員らを見渡し、こう言葉を放った。

「議場にいるのは中年と老人の集団です。そんな議会が若い女性たちの権利に関する重大な決断を下そうとしているのです」

中絶を禁止した場合の、そのあとのセーフティーネットは?

2021年11月、アメリカ合衆国議会議事堂前に集まり「中絶の自由」を訴える人々。Photo: Tasos Katopodis / Getty Images for UltraViolet

アメリカのシンクタンクEPIによれば、中絶が禁止されているのは既に貧しい州だ。中絶が保護されている州の最低賃金の平均11.92ドルに対し、保護されていない州では8.17ドルだ。

中絶を禁止することで、救われるかもしれない胎児は確かに増えるだろう。しかし、赤ちゃんが生まれた後どうサポートするかについての議論が行われていないことに対する批判も強い。

アニー・E・ケイシー財団によれば、中絶を禁止している州のうち10州では、5人に1人以上の子どもが既に貧困の中で暮らしている。中絶禁止は結果的に、人々が貧困から抜け出すことを阻む。そのためEPIの報告では、「中絶反対は胎児の命や宗教的な問題ではなく、既に貧しい人々をコントロールするため方法である」と結論づけている。

中でも特に影響されるのは、低所得者層が多い人種的マイノリティだ。そのため、中絶禁止は制度的人種差別の延長という見方も強い。アメリカのジェンダー・人種平等を脅かし、貧困を助長し社会を不安定にする中絶禁止の余波は、女性にも男性にも、子どもたちにも容赦なくふりかかってくるだろう。だからこそ、多くの人が中絶禁止に怒りを感じているのだ。

中絶禁止州であることが、学生の大学選びや就職にも影響

これから子どもを産む可能性がある若者世代は、より一層中絶禁止の影響は最も深刻に受け止めている。7割が中絶を擁護している若い世代は、その怒りを政治家にぶつけた。2022年11月の中間選挙の際に、予測ではバイデン大統領の不人気と記録的なインフレにより、政権党の民主党が大敗、共和党が大勝する「レッドウェーブ」が来るはずだった。

しかし、そうはならなかった。

保守共和党が強硬な中絶反対の立場をとり続ける中、擁護する民主党候補に若者と女性票が回ったからだ。それだけではない。あらゆる場面で若い世代は不満を訴え、行動に移している。

アメリカの大学案内サイト「Best Colleges」の調べによると、保守州の大学に通う学生の4割近くが、「中絶が禁止になることがもっと早くわかっていたら、他州の学校に行っていただろう」と回答。また、4割以上が「中絶禁止は今いる学校にとどまるかどうかの決断に影響する」と答えているという。さらに学生の75%は大学に対しても行動を求め、「学生が中絶や避妊などを含む健康サービスを利用できるよう、学校が積極的に支援すべき」と回答した。

さらに、中絶は就職先の選択にも関わってくる。女性を支援する非営利団体「LeanIn.Org」によれば、40歳未満の男女の34%が、妊娠や中絶に関しより手厚い医療給付を提供する企業や、中絶を支持する姿勢をとる企業への転職を検討している。

でも彼らには、実はもっと深刻な動機がある。それは、戦わなければ、さらに多くの他の権利が奪われてしまう可能性があるからだ。

中絶薬ミフェプリストンが全米で禁止に? 高まる危機感

2022年11月、国会議事堂前に集まった医師らは、「人々の体と健康を守る仕事をさせてくれ」と書かれたプラカードを掲げ、人工妊娠中絶を禁止する法律に反対の意を示した。Photo: Paul Morigi / Getty Images for Doctors for Abortion Action

テキサス州のマシュー・カッスマリック連邦判事は、トランプに指名された保守派の判事。今、カッスマリックというたった一人の判事の決断によって、アメリカ50州すべてで経口中絶薬が違法化され、国全体が大混乱に陥る可能性が高まっている。

カッスマリック判事は元極右団体の顧問で、中絶や避妊に反対している。「LGBTQは病気である」という過去の発言があったにもかかわらず、連邦判事として承認された。

現在アメリカでは多くの場合、手術ではなく経口薬のミフェプリストンを服用することで、より安全に中絶を行うことができるようになっている。この薬を禁止するための訴訟が、今この判事の元に持ち込まれているのだ。

いったん正式に承認されたはずの薬の使用が覆される事はまずあり得ない。しかし、中絶の権利が覆されたのも“あり得ない”ことであるため、想定外のことがいつ起こるやもしれない不安は大きい。さらに、保守派のクラレンス・トーマス最高裁判事は「避妊に関しても再検討が必要だ」という発言をし、避妊の権利と同性愛・同性婚の権利をキリスト教保守思想に従って覆そうとしている。ゆえに若者たちは“想定外”とゆったり構える余裕はもうないと感じている。

2024年の大統領選に向け、動き出す若者のアクティビズムの年

一方で、バックラッシュに対抗するいいニュースもある。2022年、中絶の権利に関する住民投票が各地で行われ、カリフォルニア州、バーモント州、ミシガン州、カンサス州の有権者は、中絶を受ける権利の保護を州憲法に追加、または維持を決定した。ケンタッキー州の有権者は、中絶禁止条項の州憲法への追加を拒絶した。

また、全米の大学約30校に、モーニングアフターピル(避妊に失敗した後、排卵を遅らせることで妊娠を防ぐ緊急避妊薬)を安く、より手軽に買える自動販売機が置かれるようになっている。その数は増えていて、小さなことだが希望につながっている。日本ではアフターピルを処方箋がなくても薬局で買えるようにするOTC化についてのパブリックコメントが募集され、SNSやウェブメディアを中心にコメントの投稿を呼びかけるムーブメントが広がったことは記憶に新しいが、こうした一人ひとりの声が、社会を前進させていくことをアメリカの若者たちは体現している。

インスタグラムは、最新のトレンド予測の中で、「2023年は若者のアクティビズムの年」と発表し、「アクティビスト世代」と呼ばれるZ世代は、抗議行動やSNSを通じてこれまで以上にメッセージを広げ、消費アクティビズムや政治参画も拡大している。

今回の最高裁の判決から、アメリカの若者は中絶が女性だけの問題でないことを学んだ。誰が権力を握っているのか、誰が自分たちの未来を支配しようとしているのか──そしてそれが貧困、人種差別にまで結びついていることを、思い知った。

2024年の大統領選に向けて、多くの保守政治家が中絶禁止の拡大、避妊の制限を公約に戦おうとしている。特に大統領選で共和党の最有力候補と目されるデサントス・フロリダ州知事は、中絶反対、性教育反対の急先鋒だ。

こうした保守政治家が、同時に人種教育の弱体化、LGBTQの権利拡大反対などの大看板を掲げていることを、多くの若者は強く警戒している。

一方民主党のバイデンは、今年の大統領一般教演説のゲストに、冒頭で紹介したアナベリー・ロペスさんを招待し、全面的な中絶擁護を打ち出している。

人権が政治の道具になっていることを、腹立たしく感じている若者は数多い。それでも後退しないためには、前に進むしかない。それが、彼らをつき動かしている。

Text: Megumi Shelley  Editor: Mina Oba

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ゼロ・トレランスの悲劇──アメリカの移民問題に私たちが学ぶべきこと。【ジェンダー視点でみる、トランプ時代の分断】

国連によると世界人口の7人に1人が移民か難民だ。しかし彼らは搾取や暴力に晒されやすく、中でも多くの女性がDVや人身売買などの犠牲になっている。NY在住のジャーナリストのシェリーめぐみが、女性やマイノリティーの視点からトランプ時代のジェンダー分断を考察する連載企画の最終回では、アメリカの移民問題を通して、日本がこれからどんな未来に向かうべきか考える。

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