LIFESTYLE / CULTURE & LIFE

宮沢りえ、河瀬直美 etc.にASK!【今見つめ直す、私にとってのラグジュアリー vol.6】

世界中が多くの問題に直面している今だからこそ再確認したい「今、あなたの心を満たすラグジュアリー」を探るこの企画も残り三回となった。そこでまだ、ご紹介できていない日本を代表する著名人の方々に4つの質問を投げかけ、答えを通して見えてきた、何気ない日常生活での「ラグジュアリー」を一挙公開する。
QUESTIONS

① 今、あなたにとっての「ラグジュアリー」とは何か?
② その「ラグジュアリー」を、何かのものや他者との関係性などでたとえると、どんなものになるか?
③ あなたの「ラグジュアリー」に関する考えや想いは、新型コロナの情勢によって変化したか? ④ これからの時代、人々はどのようなものを「ラグジュアリー」と感じるようになると思うか?

宮沢りえ/女優

①自然の中でその瞬間にしか愛でることができない景色に触れ、思考を穏やかに膨らます時間。

②私にとってその贅沢な時間は生命の源の一つだと思います。

③40を過ぎた頃から、本当に贅沢だと思う瞬間はお金で買える「物」ではないような漠然とした感覚がありましたが、その想いがより輪郭を帯び明確になってきたように思います。生きることを全うする上で、本当に大切なものはなんだろう。そのことを深く考える時間が増えたし、その考えをもっと密に深めていきたいと思います。

④当たり前だと思っていたことや日常が奪われたときに気づきの時間を過ごされた方も多いと思います。私自身もそうです。愛する人や家族と言葉を交わし心を通わせ思考を高めあうことのできる時間こそ、何よりも贅沢で大切だと思う方が増えていくのではないでしょうか。目には見えないものを心の目で感じる力を養っていきたいですね。

河瀬直美/映画監督

Photo: Dodo Arata

①空間。

②養父が遺したボンボン時計。ねじ式で、巻かないと止まってしまう。ボーンボーンと時刻を知らせる時計の音は、私にとってかけがえのない「時間」を確認することのできるとても贅沢な空間に存在している。

③人類にとっての「ラグジュアリー」を考えるとき、きっとそれはとある物質ではないような気がしていました。それは、前も今も変わりませんが、あらためてやはりそうであったと確認するきっかけになりました。

④例えばそれが物質であったとしても、手間暇かけて作られたものや、創作者の想いが存分に入り込んだものには「ラグジュアリー」という代名詞が付くと思います。そして、「ラグジュアリー」を感じるということは、それが今「無い」という状態からの欲求が引き起こす感情だと思うので、当たり前であったものが当たり前ではないということを知った人たちには、なんでも無いことに「贅沢」を感じる気持ちが育まれると思います。

大崎麻子/女性のエンパワーメント専門家

①年齢を重ねること。

②映画やドラマや文学作品の解釈の幅の広がり。さまざまな経験をしてきたことで、より深く、多面的・多層的に解釈できるようになったと思います。

③ステイホーム中は、映画・ドラマ(特に、韓国の「愛の不時着」)や文学作品を鑑賞しながら、自分が生きてきた道のりや、これからの生き方を考えることができ、年齢を重ねることの価値に改めて気づきました。食生活の見直しや漢方、パーソナルトレーニングなど、人生後半戦に向けた体づくりにじっくり取り組めました。

④これからは、サステナビリティが重要な価値になるのではないでしょうか。身につけるもの、口にするもの、エンタメ作品など、作られたものがサステナブル環境で生産されたものである、ということが、満足感・充足感の源泉になるのではないかと思います。

北村道子/スタイリスト

Photo: Yoshie Tominaga

①私にとって尊いもの。

②ファッションプロデューサーであり、ディレクターであり、編集者であり、思想家でもあった女性。彼女は駆け足で人生を生き、驚く速さで天国へ向かっていった。死後、彼女から遺品が送られてきた。その一つが「勾玉」でした。

③この長い時間の中、必要なのかどうか否か自問自答しながら断捨離しました。

④情報過多の今、さまざまなことにおいて自らを見極める時代に入らなければならないのではないか。人間として!

片山正通/「Wonderwall®」代表、武蔵野美術大学教授

Photo: Kazumi Kurigami

①気のおけない友人がもたらしてくれる刺激的で有意義な時間。新しい知識やものの見方を手に入れることで嫌いだったことが好きになったり、新しいドアが開いて自分の可能性が広がるようなこと。

②1927年に鎌倉銀行由比ガ浜出張所として建てられたビルを使った鎌倉のバー“THE BANK”は、伝説のアートディレクター故・渡邊かをるさんの依頼でワンダーウォールがデザインしたものです。ずっとお世話になっていた東京の父のような方だったので、デザイン料はもらえないと話したところ、「俺が持ってるものでなんでも欲しいものがあったら言え」と。しかし、頂くわけにはいかないと思い、絶対に手放さないであろうかをるさん愛用の大変希少なロレックスを敢えて指差しました。すると彼は何の迷いもなく外して僕に。この体験は時計の価値をはるかに超えたものでした。人として男として、非常に多くのことを学ばせていただきました。そして、THE BANKは今、僕が運営を引き継いでいます。

Photo: Kozo Takayama

③オンラインコミュニケーションが増えたことで改めて感じたのは「生」の力。場の空気感とか、その変化を肌で感じることが恋しくなりました。コロナが収束したら今まで以上に人に会って話がしたいです。

④自分を鼓舞するのであれば、モノでもコトでもラグジュアリーだと思います。贅沢品という言葉は時代に合わないかもしれませんね。心の豊かさをもたらすラグジュアリーは、いつの時代もどんな状況でも生きる上で必要なものです。

上野千鶴子/社会学者

①拘束のない、自由な時間。こんなにぜいたくな経験はない。「不要不急」の本が山のように読める。余裕がなくて書けなかった文章がどんどん書ける。読むと書くがあれば、生きていける。ひとに会わなくても平気だし、会いたいとも思わない。ひとりでいることが好きだと再確認した。

②「コロナ疎開」で山の家にいることも「ラグジュアリー」の条件のひとつかもしれない。人が見ようと見まいと、花は咲き、季節はめぐる。早春の芽吹きから、こぶしの次に桜が満開を迎え、雪柳と山吹、そしてミツバツツジ。新緑のあとには、緑が日に日に濃くなっていく自然に囲まれているぜいたく。山の家の窓外の景色をご提供。

③他人に会わないので、すっぴん、ノーブラ、ユニクロ……で何もかもまにあってしまう。他人の目を気にした評価にほとんど価値がないことに気づく。クローゼットにある山のような服、アクセサリーボックスのなかのお気に入りのいろいろ。こんなものなしで過ごせるのだと思ったら、ほとんど「末期の眼」のような気になってくる。ほしいものもほとんどない。

④災害がおしえるのは、「あたりまえの日常」が、昨日のように今日もつづくことの「ぜいたく」。3.11でも私たちはそれを学んだはずだった。

大宮エリー/作家・画家

Photo: Junji Moroi

①ぜいたくなさま。豪華なさま。また、ぜいたく品。高級品。と辞書にあります。今まではあまり自分には関係のないものでしたが今、とてもシンパシーを覚えています。今こそ価値があるんじゃないかと。いろんなラグジュアリーを主張するものがありますが、私にとってのラグジュアリーは歴史があり、圧倒的に美しく、近寄りがたく、でもその世界観に魅了される、ゆるぎない本物。ただ、そのなかで、自分の感性と響きあうものという条件がつきます。みんながそういうから、ではなく自分が、個々がどう感じるか、がよりこれからは重要なんじゃないかなと思います。

②今私が持っているもので言えば、ハンス・J・ウェグナーの椅子。

③そうですね、例えばジュエリーですが、興味がなかったのになぜか興味を持つようになりました。美しくきらびやかな歴史あるものになぜか惹かれるようになりました。ああいう本物、ストーリー性のあるものを身につけてみたいって思うようになりました。なんででしょう。命の危険を感じると、崇高なものへの憧れが生まれてくるんでしょうか。ただなんでもいいわけではなく、そういう時間をもちたいなと思うようになりました。それは、ラグジュアリーなホテルに泊まるとかじゃなくて、美しく開放的でこういうデザイナーがこういうコンセプトで丁寧に端正に建築した素晴らしいホテルに泊まり優雅でエレガントな時間を過ごす、みたいなことです。実のある、品のある、表層的ではない、裏付けとエビデンスがあることです。

④今まではいろんなレイヤー、いろんなレベルのラグジュアリーが存在しましたがそれらは違う言葉になり、ラグジュアリーとカテゴライズされるものが狭まる気もします。きちんと信頼ができ愛にあふれ圧倒的に美しく心が洗われるような力のあるもの。そして、それはそれぞれ個人の価値観、美意識に合うことが条件になると思います。表層的で、形骸的なものは、見抜かれてしまうような。

三浦瑠麗/国際政治学者

①心地よさ。たとえば、ゆったりとしたシルクや麻の肌触り、吸いつくような表地と裏地との関係、丁寧な縫い目や手仕事、作った人の横顔が浮かぶもの。寡黙な理解。ひとつしかない作品。ストーリーが浮かぶもの。自分の好きな、信頼する人が提供してくれたもの。シンプルさ。無駄なものを一切そぎ落としたときに、ひとつだけ残しておくもの。自分が意志を込めて選んだもの。それこそが自分の定義に沿うと思ったもの。

②どこへでも羽織っていく白い麻のジャケットと、友人の紹介で知ったデザイナーさんのヘビのブレスレット。

③よりいままでの性向が強化された気がします。行きつけのレストランやショップでも、そぎ落とされて誰が自分にとって大事なのか、何が好きなのかが先鋭化されました。そして、接触が禁じられているからこそ、それらへの愛情が増したように思います。

④人々はぬくもりを恋しく思っています。そして禁じられている何気ない物事の価値をかみしめていると思います。理性や美徳だけでは生きていけません。無駄なものも含めて愛すること、未知なる自分を知ることによって人生の価値を再発見するでしょう。そして、自然に触れること、自然と共生することの価値が注目されるようになると思います。消費行動が助け合いを含めた満足感によって定義されるようになり、コミュニティ維持の価値とともに持続可能な成長を重視するようになるでしょう。そのなかでラグジュアリーとは、「権威」ではなく、自分が「好き」であることによって定義されます。その好きを定義する憧れの対象は、ブランド名ではなくストーリーや人に向かっていくでしょう。

荻上直子/映画監督

①フィンランドでサウナの後にビールを飲みながら読書すること。

②他者との関係を完全になくし、独りきりの時間を楽しみたい。

③変化したというよりも、より一層その想いが強くなりました。狭いマンションに家族4人で籠っていると、息が詰まりイライラします。きっと、独りで籠っていると、それはそれで孤独を感じることとは思うのですが、思うように外出できず、常に家族が近くにいる今、自然の中で独りきりでいることに強く憧れます。スナフキンになりたい。

④シンプルに肉体や脳髄に働きかけてくる解放感。ゴージャスな品々に囲まれた生活よりも、自然の中での生活を求めていくと思います。そろそろ田舎に引っ越そうかな……。

田嶋陽子/女性学研究者

①くつろぎと同時に鋭気を養ってくれるもの。

②軽井沢の自然。軽井沢に住んでいた友人の誘いでテニスをしにきて以来、軽井沢の森や林にすっかり魅了されてしまった。こうまで軽井沢の自然が懐かしいのはなんでだろうと考えてみると、軽井沢は、私がイギリス留学中にロンドンで、または旅先で出会った「イギリスの自然」の佇まいを思わせてくれることに気づいた。軽井沢に住もうと心に決め、一生懸命に頭金を貯めて、40代の半ばに小さな家を手に入れた。50 代でテレビに出るようになり、バッシングを受けたときも、おかゆをすすりながら頑張れたのは、東京から軽井沢に帰って、美しい森や静かに佇む樹木、そして野生動物たちの表情に慰められたからだ。熊野皇大神社の御神木もその一つで、これを題材に書アートの作品を描いたこともある。

Photo: 軽井沢観光協会

③30年来変化していない。

④豊かな自然と時間。

【今見つめ直す、私にとってのラグジュアリー】
・vol.1 落合陽一が綴る「ラグジュアリー: 質量への憧憬」。
・vol.2 甘糟りり子が語る、「今だからこそ、めんどうくさく、わかりにくく」とは。
・vol.3 湯山玲子に聞く「今こそ、文化的な営みに属する“感覚王国”へ」。
・vol.4 スージー・メンケスが語る「アフターコロナの“ラグジュアリー”の未来について」。
・vol.5 アーティストが創り出すラグジュアリーとは。

Text: Rie Miyazawa, Naomi Kawase, Asako Osaki, Michiko Kitamura, Masamichi Katayama, Chizuko Ueno, Elie Omiya, Lully Miura, Naoko Ogigami, Yoko Tazima Editors: Gen Arai, Mayumi Numao, Sakura Karugane, Jennifer Berk