紹介した商品を購入すると、売上の一部が Vogue Japan に還元されることがあります。
「パーキンソン病を発症してから30年近く闘病生活が続いています。実は2年前に脊柱にあった腫瘍を摘出しました。この手術を受けなかったら麻痺が残っていたそうですが、4カ月のリハビリを経て今こうして再び歩くことができています。しかし今度は自宅のキッチンで転んで腕を骨折。たった一人で救急車を待っている間、自分の不甲斐なさに腹が立ち、とても落ち込みました。それでも、私は自立した生活を強く望んでいます。こんな頑固な私にずっと辛抱強く寄り添ってくれる家族には感謝しかありません」
自叙伝『No Time Like the Future』の出版に際して、2020年11月にアメリカのテレビ番組「Sunday TODAY」に出演した俳優のマイケル・J・フォックスは、闘病を続ける現在の心境をこう語った。
1961年、父ウィリアムと母フィリスの間にカナダ・アルバータ州で生まれたマイケルは、ケリー、カレン、ジャッキー、スティーヴンの5人きょうだいとともに10歳の時にバンクーバーに移住。15歳の時にシットコム「Leo and Me」(1978)で俳優デビューを飾ると、その後の華々しい活躍は周知の通り。シーズン7まで続いたドラマ「Family Ties」(1982)のアレックス・P・キートン役ではエミー賞を受賞し、あの大ヒット映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)シリーズのマーティ・マクフライ役をはじめ、世界中の人の記憶に残る名作に出演した。プライベートでは、「Family Ties」での共演を機に結婚した俳優のトレイシー・ポランとの間に4人の子どもを持つ父親でもある。また、映画『再会の街 / ブライトライツ・ビッグシティ』(1988)や、戦争映画『カジュアリティーズ』(1989)等では演技派としての実力を見せつけ、ゴールデングローブ賞を始め数々の栄誉ある賞を獲得し、’02年にはハリウッド殿堂入りを果たした。
順調にキャリアを積む彼に、突如病魔が襲った。映画『ドク・ハリウッド』(1991)の撮影中、小指の痙攣と肩の違和感を感じ、すぐさま病院で診察を受けたところ、パーキンソン病の初期症状であることが判明したのだ。
歩く、走る、座る等々のさまざまな動作は、大脳皮質からの指令が筋肉に伝わることで行われる。そしてこの指令を調整し、よりスムーズな動作を可能にしているのが神経伝達物質ドーパミンだ。このドーパミンが減ると、動作がスムーズにできず、震えが起きる等の症状が現れる。もともと、ドーパミンは加齢とともに減る傾向にあるが、パーキンソン病の患者はこの減少のスピードが健常時に比べて速い傾向にある。
食事や職業、居住地等との因果関係や遺伝性などいくつかの仮説が提唱されているが、発症のメカニズムについては未だ解明されていないことが多い。日本では、高齢化に伴い患者数が増加傾向にあり、現在10万人に100〜150人がこの病気を患っていると言われる。60歳以上だとその数は10万人に約1000人。一方、40歳以下でも発症する若年性パーキンソン病のケースもある。マイケルの場合は29歳だった。
「治療法は空から降ってこない。よじ登って掴まなければ」
そう語る彼は、’00年に自らの名を冠したパーキンソン病研究における世界最大の非営利基金「マイケル・J・フォックス財団(The Michael J Fox Foundation for Perkinson’s Research)」を設立し、治療法の確立と根治に向け大規模な研究を行っている。
「財団は日々精力的に活動を行っており、リサーチも順調に進んでいます。約10億ドル(約1100億円)の寄付金が集まり、決定的な治療薬の開発とまではいかなくても、パーキンソン病の進行を改善する有効なセラピーの開発に繋がっています」
現在財団が最も注力するのは、この疾患の有無や進行状態を示すバイオマーカーの開発だ。これが活用できれば、早期に病の進行を止めて治療をすることも可能になるという。そんなマイケルは昨年、『ウォール・ストリートジャーナル』紙にこう語った。
「この技術を確立しようとしているのが、財団のサイエンスチームです。私は私より“スマート人たち”を集めることに長けているんです(笑)」
パーキンソン病の研究に関して最前線を走るこのリサーチセンターでは、そのほかにも多角的な治療法や遺伝子研究を進めている。昨年11月に同財団の副最高経営責任者のソヒニ・チョードリーは、「蓄積された研究データとセンサーテクノロジーをスマートホンのアプリに落とし込み、遠隔治療で病状を管理すると同時にリサーチを効率的に行う予定です」と語っている。また、「The Bachmann-Strauss Dystonia & Parkinson財団」と連携してジストニア(運動障害)の研究や、パーキンソン病の発病との関連が認められた最初の遺伝子の一つであり、バイオマーカーの開発にも深く関わるα-シヌクレインに着目した研究など、数々の最先端医学の研究を支援し続けている。
テレビドラマ「スピン・シティ」(1996)降板後、マイケルは俳優活動の一線から退いていたが、パーキンソン病発症後初めてドラマ「レスキュー・ミー NYの英雄たち」(2009)にゲスト出演し、エミー賞を受賞。続く「The Michael J Fox Show」(2012)は自身の病状を逆手に取ったTVコメディで主役を務め、’10年バンクーバーオリンピックの閉会式に登場するなど、闘病の傍ら活躍を続ける。
「死というフィルターを通して物事を見ると、次に何が起きるかなんて、誰にも知る由もありません。そして同じ時は二度と戻ってこない。時はただ私たちを通り過ぎていくだけです。私はこれまでの経験を通して、生きているだけでありがたいと強く感じるようになりました。人生には苦難も、葛藤も、そして痛みもあります。命には必ず限りがあり、等しく死は訪れます。だからこそ、生かされていることの意味を問い続けなくてはならないと思うのです。昨年のパンデミックを経験した人の苦しみに比べたら、私の困難などとるに足らないもの。ただ前を向くのみです」
過去の記事はこちら。
Text: Masami Yokoyama Editor: Mina Oba
Also on VOGUE JAPAN: