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アヴィーチー、19歳でトップDJになった彼を追い詰めたものとは。

DJアヴィーチーの突然の死には、世界中が悲しみにくれた。1回のギャラが約2700万円とも言われた成功とは裏腹に、数日おきに世界中のクラブを駆け巡らなければならないハードな生活を送っていた彼。2013年に初のライブを見たというハリウッド在住のD姐が、彼を追い詰めていたものは何だったのかを独自の目線で振り返った。

世界的トップDJが集まる街、ラスベガス。

Photo by Instagram/@avicii/Avicii

アメリカで最もパーティーハードな街、と言ったらLAでもなく、NYでもなく、間違いなくラスベガス。ラスベガスいうとカジノでギャンブルというイメージがあるかもしれないけれど、LAから車で5時間のラスベガスに全米や世界各国はもちろんハリウッドで遊び慣れている人たちだってこぞってやってきて、カジノには目もくれずクラブやホテルのプールに直行する。なぜなら世界レベルのDJたちがラスベガスにいるからだ。

マーティン・ギャリックス。Photo: INSTARimages/AFLO

ラスベガスのストリップと呼ばれる大通りに隣接したゴージャスなリゾートホテルのクラブで最も有名で人気なのが、MGMホテルのクラブ「HAKKASAN」と巨大な野外プールを利用した「Wet Republic」、シーザーズ・ホテルの「OMNIA」、そしてEDMクラブとして世界最高峰と言われるアンコール・ホテルの「XSナイトクラブ」あたり。週末ともなると、HAKKASANにDJのティエスト、Wet Republicにマーティン・ギャリックス、OMNIAにカルヴィン・ハリス、XSにチェーン・スモーカーズ、そして隣のビーチクラブでカイゴとマシュメロ…...なんていう奇跡とも思えるラインナップも珍しくない。ちょっとした凝縮版のULTRAフェス(しかもヘッドライナーはそのまま)がラスベガスでは毎晩開催されているという状態だ。

そして、アヴィーチーもラスベガスの常連DJの一人だった。

19歳でトップDJへと上り詰めたアヴィーチー。

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今からおよそ1ヶ月前の4月20日(現地時間)にアヴィーチーが28歳で亡くなったとの一報に、世界中が衝撃を受けた。スウェーデン出身の彼は健康上の理由から2016年にすでにライブ活動からの引退を発表していたが、この死因が自殺であったことにさらなるショックを受けた人も多いことだろう。

一週間ぐらい前から友人に招かれてバケーションのために滞在していたオマーンの首都マスカットのホテルで金曜日に亡くなっていたのが発見された。月曜日に電話でアヴィーチーと会話をした3歳年上の実兄デヴィッドさんは、アヴィーチーの様子を心配に思い、急遽オマーンに向かうことにした。しかし時すでに遅し、到着したときにはすでに亡くなってしまった後だったともいわれている。

Photo: Photoshot/AFLO

16歳の頃から兄デヴィッドさんの影響で音楽制作を始め、17歳で地元スウェーデンのレーベルDejfitts Playsと契約。翌年には長年のパートナーとなったAt Night Managementとも契約し、その才能は瞬く間にクラブミュージックに浸透し、開花していった。EDMのDJたちのライブ活動というのは、「クラブ」「フェス」「個人ツアー」になるが、彼がEDM界で一目置かれ始めたのが19歳。この華やかで過酷な世界にティーンエイジャーで入ったことが、天才アヴィーチーの最後を早めてしまったのかもしれない。

アルコールとの戦い。

Photo: Shutterstock/AFLO

人気DJは年100〜200回、ベガスはもちろん欧州スペインのイビサ島から中東ドバイetc.とまさに世界中のクラブやベニューを駆け巡る。メインDJのステージは深夜0時前後だが、2番手、3番手クラスのDJの出演時間が午前2時や3時を回ることも珍しくない。そしてクラブ間を掛け持ち出演することもある。

DJという職業柄、もちろん行く先々がハードなイベントやパーティーばかり。アメリカでの飲酒解禁年齢は21歳だが、アヴィーチーはすでに21歳で過度の飲酒による生活で急性膵炎になり、2014年には胆のうと虫垂を全摘している。

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私が最初にアヴィーチーのライブを見たのは2013年のハリウッド・ボウル(ハリウッドにある野外音楽堂)公演。その年にデビューアルバム『True』をリリースし、当時「酒を一切飲まない」という触れ込みだったけれど、この時は既に酒で体を壊していたから禁酒していた、ということだったのでしょう。若くしてこのライフスタイルに馴染まなければなかったことがまず、本当に気の毒でしょうがない。

ギャラは1回約2700万円。

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アヴィーチーが2016年にライブ活動引退をした最後のラスベガスのレジデンシーは、XSクラブで2ヶ月の間のほぼ全ての金土日の出演が予定されていた。しかし、結局2週目以降のライブがアヴィーチー側の申し出によりキャンセルされてしまった。確かに世界レベルのDJとなるとギャラも破格でそれだけの見返りも大きい。

アヴィーチーのクラブでのパフォーマンスのギャラは、2016年で1回25万ドル(約2700万円)と言われていた。最新の相場では、前述のHAKKASANと複数年契約をし、昨年の収入が48.5万ドル(約53億円)のカルヴィン・ハリスやティエストの一回のDJ出演料は、35万ドル(約3800万円)以上だとか。ライブ活動からは引退したとはいえ、音楽制作は引き続き行い新作アルバムのリリースも準備していたアヴィーチー。EDMの世界を変えた彼の楽曲は永遠に聴き継がれることでしょう。

D姐(でぃーねえ)
米国ハリウッド在住。セレブやエンターテイメント業界のニュースを独自の切り口で紹介する、アクセス総数5億ページ超の大人気サイト『ABC振興会』を運営。多数のメディアで音楽やセレブに関する執筆、現地ロサンゼルスでのテレビやラジオ、雑誌用のセレブやアーティストのインタビューやレッドカーペット等の取材をこなす。

Illustration: Gogh Imaizumi

Text: D姐