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「自分を愛するってどうしたらいいの?」──宇多田ヒカルの思考を辿るインタビュー、全文公開。

コーチェラ・フェスティバルへの出演、最新アルバム『BADモード』、母、息子、そして音楽と自分……。ジェーン・スーのインタビューで明かされる、自身による「宇多田ヒカル分析」。宇多田が表紙を飾った7月号掲載のロングインタビュー、その全文を公開!

4月、世界最大級の音楽フェスコーチェラ・フェスティバル」に宇多田ヒカルが現れた。アジアカルチャーシーンを世界に発信するメディアプラットフォーム「88rising」が主催するステージへの参加アーティストとして。その数日後、宇多田自らが対談相手に指名したジェーン・スーとのロングインタビューが行われた。

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ジェーン・スー(以下・スー) コーチェラでの素晴らしいライブを拝見しました。今までフェスには出演していらっしゃらなかったのに、なぜコーチェラに?

宇多田ヒカル(以下・宇多田) タイミングと、「コーチェラだから」の二つですね。キャラ的にも歌唱法にしても、私はあまりフェスに向いているタイプではないし、きっかけもなかったんです。フェス一公演のためだけにバンドを集めてリハ(ーサル)をやると、特にソロアーティストの場合は採算が合わなくなってしまう。ツアーと合わせないと不可能なんです。私はあまりツアーをやらないので、フェスのオファーをいただいても無理だなと。強くやってみたいという気持ちも今まではあまりなかった。ただ、コロナで小さなライブもできない状況が続くなか、コーチェラの話が来て、メインステージで歌うという体験を、アーティストというより人生経験として得ておかないと、という思いでした。

スー 実際にメインステージから見えた景色はいかがでしたか?

宇多田 近眼でコンタクトレンズをしていなかったのであまりはっきり見ていない(笑)。

スー まさかの事態でしたね(笑)。

宇多田 普段のライブではコンタクトレンズをしているんです。今回は17歳以来の屋外ライブだった上に砂漠で風がすごくて、コンタクトレンズをしたら絶対に目が乾いて真っ赤になって痛いなと思って。だから、ぼやーって人がいっぱいいるのは見えるっていう(笑)。

コーチェラ・フェス出演、その経緯と舞台裏。

スー なるほど(笑)。「Simple AndClean」「First Love」「Face MyFears」、ラストに「Automatic」というセットリストには意表を突かれました。

宇多田 声を掛けてくれたショーン(88rising創設者でありCEOのショーン・ミヤシロ氏)と、「どの曲やる?」って話になったときに、私が思っていた以上に、「Automatic」 と「First Love」 に対して、日本もしくはそれ以上の思い入れを抱いてくれている人がアジア全土にいっぱいいることを教えてもらって。ショーン自身も「Automatic」が一番好きだから、「その2曲は外せない。絶対やってほしい」と。あとは、アジア問わず私を知るきっかけになった人が多い「Simple And Clean」(ゲーム『キングダム ハーツ』テーマソング)と、フェス向きだと思った「Face My Fears」にしました。

スー 出演されたご感想は?

宇多田 最初はすごく歌いにくかったし緊張もしたんですけど、2曲目くらいからだんだん慣れてきて、最後は楽しく終わりました。

スー 「Let’s go back to’98!」の掛け声に歓声が湧き上がった「Automatic」 で、階段の真ん中に座って歌う宇多田さんの周りをダンサーが囲むスタイルは、まさに90年代でした。

宇多田 打ち合わせのとき、ここは思い切り90’s Throw Back(90年代の再来)で終わらせたいねって話になって。90年代カルチャーが今また流行っている感じもあるから、ダンサーのみんなもノリノリでやってくれて。リハのとき、「この歌が一番好き」って私服でノってくれている感じがすごく良かったから、私のステージだけダンサーたちの私服で踊ってもらいました。結果、全体的にリラックスした、温かい感じになったかな。

スー 88risingのショーはウォーレン・ヒューから始まり、MILLI、BIBI、NIKI、リッチ・ブライアン、ジャクソン・ワン、CL、2NE1と、宇多田さん以外も豪華絢爛で。ご覧になれましたか?

宇多田 リハでお互いのステージを順番に見て、みんなで盛り上がってイエーイって(笑)。本番は横から見ました。風もすごいし、音も全然聞こえなかったんですが、みんなエネルギッシュでかっこいいと思いました。

スー コーチェラのメインステージで、インドネシア、タイ、韓国中国、日本などさまざまなバックグラウンドを持つアジア系アーティストが集結したのを観て、胸に迫るものがありました。今までに、「アジアン・ユナイト」を体感することは?

宇多田 なかったですね。ショーンと現場で話しているときに、「今回の趣旨も素晴らしいね」と言ったら「こんなにいっぱいのアジア人と一緒にいたことないってこと?」と言われて、「あ、そういうことになるかもしれない」と。インター(ナショナルスクール)だと、特にアジアという括りがグループになることはなかったし。地理的にも象徴されていると思うんですけど、日本人って自分がアジアの一部だっていう意識がちょっと薄いのかな。

スー 確かにそうかもしれません。ライブでは新曲「T」も発表されましたね。

宇多田 ショーンは「コーチェラを歴史的な瞬間にしたい」と気合いが入っていて、なおかつ同日にコンピレーションアルバムを出すと。「新しいのやらない?」と聞かれて、軽い気持ちでオッケーしたんです。私がゼロからやっちゃうと私の曲になっちゃうから、彼らがデモを用意してくれたら作ると言ってたんですが、なかなか私も進まなくて。ショーの2週間くらい前にロスに行って、その日のうちにやらないと間に合わなかったので、徹夜でやって。それが水曜日。木曜日に歌入れして、金曜日にミックスして、夜にマスタリングし。今までで最速でした。

スー アメリカのエネルギーそのものですね。コーチェラでの88risingは、今のアジアを象徴する存在でした。宇多田さんを日本代表と見た人も多いと思います。

宇多田 代表しているつもりは全然ないです。来年で40歳だから、大まかに言って日本に住んだ期間は人生の半分以下かな? 子ども時代はインターに通っていたので日本社会に足を踏み入れていなかったし、仕事を始めた15歳までは、学校の日本語の先生や両親以外ではあまり日本人と関わったことがなかったので。日本人という意識も薄いから、アジアの輪の中にスッて入っていけた気がします。

“人間活動”期間で手にした「暮らし」の基盤。

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スー イギリスに移住されて10年。暮らしはいかがですか?

宇多田 「暮らし」がある。日本の生活では、私の存在の仕方には「暮らし」というものがなかったんです。10代から自分で作詞作曲をして、意見もはっきりあって、お金も稼いでいました。独立した人間という見られ方をしていたかもしれないけれど、誰かに飼われているペットみたいな感じで。食べ物も自分ではほとんど買いに行かないし、家も自分で借りていないし、銀行の口座も誰かが開いてくれたのを知っているだけ。電話の契約も、家を借りるのも、引っ越しも、何もかも事務所がやってくれて。

スー それは息が詰まりますね。

宇多田 人目を気にしながらだと、本当の行動に感じないというか。行動することの本質にある部分がすっ飛ばされちゃう。今を生きて、今の瞬間にいようとしても、誰かに気づかれたらこうなるとか思いながら行動していると、何のために何をしてるかわからなくなってしまう。自分で何もできないまま、仕事し始めた15歳の状態のままおばあちゃんになっていくのを想像したらすごく怖くなって。そういう部分の成長が必要だと思い、“普通の暮らし”をロンドンで始めました。全部自分でやって、ちゃんと自分の力で生きているという実感を初めて持ちましたね。

スー 「暮らし」をやってみたらなかなか良いものだった?

宇多田 良いものというか、自分に自信を持つためには絶対に必要なことでした。得意なことばかりやっていると成長しないと思って“人間活動”に入ったんですけど、ほかの人たちが当たり前にやっている社会の基盤のような暮らしや、世界がどういう仕組みで動いているのかがわからない。何がわからないのかがわからなくて不安でした。歌詞が抽象的なこと、哲学的なことばかりになったり、周りが見えてない人っぽい内容になりそうなのも怖かった。

スー 新作『BADモード』について、海外のインタビューでは「ベッドルーム・ポップに立ち返る」と答えていらっしゃいました。

宇多田 新しいスタートラインに立った気がしたのかな。同じことをやりたくないから、いつも移り変わっていくんですが、今回はすごく自由を感じましたね。ずっと自由だったんでしょうけど、自由だという自覚が強くありました。

スー 前々作の『Fantôme』、前作の『初恋』、そして『BADモード』で三部作のように感じました。『Fantôme』で母への、『初恋』で息子への愛を歌い、ようやくご自分の番が回ってきたのかなと。

宇多田 そうですね(笑)。「ル・ポールのドラァグ・レース」(Netflix)の決め台詞が「自分のことさえ愛せなかったら、一体どうやって他人を愛せるの?」なんです。よく聞くフレーズではあるけれど、愛される感覚や、愛する感覚自体がはっきりわからない状態だと、どこから始めればいいかわからないじゃないですか。自分を愛するってどうしたらいいの? って。

スー 確かにそうですね。

シングルだった長い期間が自分と向き合うきっかけに。

宇多田 人生の中で、おそらく誰にとっても岐路というか、大きな出来事である親の死と、子どもができて自分が親になるという二つが、私は割と近くに起きて。親を亡くして初めて、ここから大人になるしかないんだという感覚がありました。母のことをすごく考える時期にも、愛について学ぶことがいろいろあって。それが楽曲制作を通してはっきりしていくこともありました。

スー 愛と向き合って、その正体はつかめましたか?

宇多田 子どもができても、愛というものがやっぱりわからなかったんですよ。私の中で「痛み」とごっちゃになっちゃってて。みんな愛って「気持ち」みたいなもので語るけれど、私が産後に感じたのはオキシトシンの作用と「本能的な義務感」で、愛ってなんなのかよくわからなかった。『BADモード』を作っている時期にもそれを考えていて、「そうか、私は対象に愛されている感覚を与えたいんだ」って気づいたんです。私が子どもに「愛されている」と感じてほしいからしていることを、自分にもしてあげればいいって気づいて。愛する相手にこうなってほしいという気持ちを、自分に適用すればいいという大きな気づきがありました。

スー 愛と痛みの関係性について、詳しく教えてください。

宇多田 今まで英語でしか考えたことがなかったんで、日本語でうまく説明できるかわからないんですが……。「痛み」=“pain”(心が痛い、辛い、という感覚)です。おそらく初期体験から、愛することも愛されることも辛いこと、恐ろしいこと、と覚えてしまって、「愛」と「痛み」が私の中でセットになっちゃってたんです。二つを混同して、辛い思いをさせられる相手を愛の対象だと思っちゃったり。それで、どちらも感じないように抑え込んでたんだって気づいてから、「愛」 と「痛み」 を別々のものとして認識することに意識的に取り組んでます。

スー プライベートの変化に伴う気づきは、ほかにありましたか?

宇多田 こんなに長期間恋人がいなかったのは初めてなんですね。初めてちゃんと自分と向き合いました。それまでは、誰かの気持ちを必死に考え続けることが、自分の気持ちを考えないでいる理由になっていたんです。そこで初めて自分との関係を持った気がして。シングルの長い期間が、一番手応えがあった理由かなって思います。

スー どのくらいの期間ですか?

宇多田 何年だろう、少なくともここ4年間のほとんど、恋人はいないです。

スー 「time will tell」のときからずっと、宇多田さんは常に他者が平穏でいられるよう心を砕いている印象でしたが、今作からはそれをあまり感じませんでした。現時点で、宇多田さんは誰に向けて歌っているんだろうと思って。

宇多田 「誰に向けて歌っているのか」は、実は昔から時々聞かれたり、考察をされてるのを見て自分でもずっと疑問だったんです。正直、「誰かに向けて歌う」という感覚がわからなくて、ほかの歌手はどう答えてるんだろうと不思議で。強いて答えるなら、「そこにはいない誰か、ここではないどこかに向けて歌ってる」としか言いようがないです。集中して歌えてるときは、私もここから消えてるような感覚で気持ちいいんです。

スー 思いが作品になるまでに、どんな工程があるんですか?

宇多田 基本的に、歌詞は最後に書きます。楽曲は思考とは別で作っていきます。メロディーのアイデアを考えながら歌っていて、歌詞がない状態でもすごい泣いちゃうときもあるし、とても表には出せないけれど、仮の歌詞が自分の深層心理とリンクしたと感じた瞬間に、泣きながらしばらくそれを歌っていることもあります。歌詞から書くのはできないんです。コードとトラックをある程度作って、メロディーとの関係性の中に私の感情がこもっていて、それを自分で分析するというか。バラバラになった時計みたいなパーツがうわーってある中から、部品をまとめていって、こういうものになりうるんだと、また組み立てていくような。

スー 最初に出てくるのは、無意識の断片ということでしょうか。

宇多田 そうですね。その中から良いメロディーを選んでまとめて構築していく。テーマや気持ちを描写する上で、状況や設定があやふやだと、どうしても核心に迫ることができないので、自分の気持ちとリンクするキャラクターを考えたり、複数の人の視点を歌詞に入れるのが好きなんです。シンプルな内容に見えても、何人かの関係、あの人の気持ち、あの人のあの視点入れちゃおうとか、この状況、この時期、とか結構混ぜてる。歌詞においては、「私の視点」と「他者の視点」も、実体験とフィクションも、同等なんです。

スー 俯瞰して作詞なさる。

9年近く続けている精神分析から得たもの。

宇多田 9年近くやっている精神分析の影響もありますね。もともと自分を分析して、そのときの自分に必要だった自分の真実みたいなものが歌詞になることが多かったのが、精神分析を長くやることによって、セルフセラピーの意味合いが顕著に出てくるようになったんだと思います。

スー 精神分析の話は英語のインタビューで拝読しました。具体的にどんなことをされるんですか?

宇多田 周りの親しい友人も何人かやっていて、聞いてみたらいろいろな学派があるんです。ラカン系とかフロイト系とかユング系とか。私は精神分析医に背を向けて、窓の外を見ながら話すんです。通い始めの頃は仕事をしていない時期だったし、ちゃんとやりたかったので週5で1回20~30分。

スー そんなに短いんですか。

宇多田 ほぼ30分。良きところで精神分析医が立ち上がって「じゃあ」みたいな感じで終わる。私が何か気づきに至った、そこ大事そう……ってところに差し掛かったらおしまい。産後は何カ月か休んで、今は週3で通っています。

スー 生活の基盤にあるんですね。

宇多田 無意識にあることが自分の言動や選択に多大な影響を及ぼしていて、なんでこんなことを繰り返しちゃうんだろう、なんでこうしちゃうんだろうっていうのをひもといていくのが趣旨です。自覚できると怖くなくなるし、悪影響を及ぼす力が減るから。過去に囚われないで生きるために、過去を理解しようということです。無意識や過去をいろいろ探検しに行かないといけなくて、自分の中のジャングルに行くみたいな感じで、そのガイドさんがいる感覚ですね。いろんなジャングルに行ったことがあるプロのガイドさんが折々、「ここに何かあるよ」って教えてくれたり、「ちょっとそっちは危ないんじゃない?」とチラッとアドバイスしてくれたり。基本的に私が好きなことを話すんですけど、時々質問を挟んでくれたり、たまにコメントがある。

スー 始めようと思った動機は?

宇多田 母親が亡くなるちょっと前、それまでほとんどこっちからは連絡できない状態で、向こうからもほとんどなかったんですが、急に連絡が増えた時期があって。そこで、カウンセリングを受けないと私もダメになっちゃいそうというか、持っていかれちゃうなって、友達にカウンセラーを紹介してもらったんです。でも、カウンセラーに会いに行った日に母が亡くなっちゃったんですね。その後も一回会ったんですが、この話をこの人とするのはなんか違うなと思って。それから少し経って読み始めた心理学系の本がすごく面白かったんで友達に見せたら、「この作家さん、私仕事したことある。精神分析する人ですごい人だよ。まだクライアントをとってるかもよ」と言ってくれて。私は消極的なので自分から行動するほうじゃないんですけど、彼女が行動派で、「連絡先書いてあるじゃん、ウェブサイトからメールしてみたら」って言ってくれて。メールを送ったらすぐに返事がきて、翌日か翌々日くらいから始まりました。

スー とんとん拍子でしたね。

宇多田 本当にメールして良かったって思います。それからずっとその人。ご縁だなって思います。そういうところ、運が良いので。

スー この10年、いろいろなことが宇多田さんの中で大騒ぎだったんですね。

宇多田 (笑)。むしろ上のほうでわちゃわちゃしてジタバタしていた、プールの表面でわーってなってたのが、逆にスーって底のほうに座ってリラックスしているところに向かっている感じがします。

スー 「寂しさや辛いことは、乗り越えなければならない山ではなく、それも一つの心象風景だ」とファンとのインスタライブでおっしゃっていたのが印象に残っています。寂しさや悲しみとの距離感は変わりましたか? 子どもの頃や、デビュー当時に比べて。

幼少期からの行動&思考パターンを手放せた理由。

宇多田 子ども時代が一番強烈だったんだろうなと思います。寂しさや辛さ、耐えられない気持ちや悲しみ、そういうものが濃くダイレクトにありましたね。そこから自分を守るために、環境に応じて成長しちゃうじゃないですか。適合するというか。そうやって身につけた行動パターンや思考パターンに、もう大丈夫だよ、もういらないんだよ、そのときは必要だったけれど、今はそれが人との関係を築いたり、自分が自分との良好な関係を保ったりするのに邪魔してるよね、っていうのを学んできた人生というか。特に精神分析を始めてからの9年で。今でも時々そういう気持ちを強烈に感じると、こんなに根底にあるんだとショックを受けたり、誰とこれを共有したらいいんだろうとか、共有できる人がいるのだろうかと思うときもあるけれど、それこそ自分に言い聞かせてきたことでもあるんだと思います。そうやって景色が豊かになっていく、自分が豊かになっていくと。

スー それがインスタライブの回答につながるわけですね。

宇多田 感情を良いものと良くないものに分ける考え方が、私は好きじゃなくて。価値観が変わったこともいろいろあるけれども、最初の頃からずっと変わっていないのはそれです。私にとって感情って重さで、ネガティブと括られるような気持ちも、ポジティブと括られるような気持ちも、重さで言ったら同じ。感じないほうが良いとか、もっと感じるべきとか、欲するべきとか、それこそ先入観だし、ハッピーじゃない。何か足りていないって勘違いにつながるような捉え方だなって思っていて。自然現象じゃないですか、感情って。肌を切ったら血が出る、水を飲んだらトイレに行くみたいな。これは嫌だ、これは良いって分けるものではないって、デビューからずっと歌詞にしていることです。

スー 今回も「PINK BLOOD」の「傷つけられても 自分のせいにしちゃう癖 カッコ悪いからヤメ」であったり、「誰にも言わない」の「感じたくないことも感じなきゃ 何も感じられなくなるから」がありますが、設定やキャラクターを決めようが、いろんなところから持ってこようが、最終的に出てくるものが今の宇多田ヒカルさんなんだという理解でよろしいでしょうか。

宇多田 はい、そういうことだと思います。

スー 「BADモード」には「何度自問自答した? 誰でもこんなに怖いんだろうか? 二度とあんな思いはしないと祈るしかないか」というフレーズがあります。

宇多田 しょうがないですよね。恐怖は本能的に感じることで、過去に自分にとって強烈な別れとかを体験すると、また同じことが起きることも想像しやすくなっちゃう。人の心理として、特に罪悪感とかも絡んでいると内在化しちゃって、またそれが自分に起きるべきって思うこともあるし。

スー 「起こるべき」という考え方ですが、自分がそういう仕打ちに値する存在だという自己の捉え方をしてしまう人にとって、宇多田さんの楽曲は救いになるんだと思います。恐怖心に囚われて足がすくむことも、まだありますか?

恐怖の中にあえて成長と変化を見出す。

宇多田 正直、どうでもいいような対人関係の小さな恐怖心に足がすくむことはよくありますが、大きな恐怖心には、恐怖を感じながらその恐ろしいものに向かっていく、ということを繰り返している気がします。コーチェラも怖かったし、ノンバイナリーのカミングアウトも怖かった。母親になることもすごく怖かったし、私は親になるべきじゃないってずっと思っていました。でも、それだけ怖いってことはそこに何か答えがあるってことで、そこに向かっていかないと成長も変化もないんだと思って。縁を感じて、今だと思えたときにあえてそこに向かっていこうと思いました。

スー 自己の捉え方や答えの出し方、その後の行動について凄まじい変化があったんですね。

宇多田 親や周りにいる人が子どもにしてあげられる一番大事なことって、ある程度の大人になるまでは根拠がなくていいから、安心感とか自己肯定感を持たせることだと思うんです。自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何かの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。そういうところから自己肯定感って芽生えてくると思うんですね。自分がこの気持ちであることはオッケーなんだって。その感情を他の人に認めてほしいとき、誰もいなかったりすると、そう感じている自分がおかしいんだ、悲しいって思っている私がいけないんだ、私が感じなければいいんだっていうほうにいっちゃうと思うんですよ。私はそこを通ってきているし、最近の10年は、自分の中でやっちゃってた感情の新体操みたいなのをしないでもいいんだ、悲しい気持ちも弱さも隠さなくていいんだ、と思うようになりました。

スー アクロバティックな感情操作をしなくてもよくなったんですね。それが『BADモード』というタイトルに帰着したのでしょうか。バッドモードであることの受容。いつもグッドバイブス、グッドモードでなくてもいいんだと。

宇多田 常にハッピーな人なんて、そんな人いないじゃないですか。私がちょっと落ち込んでいると、それを嫌がる人もいました。こっちにそういうの持ってくるなって、ウイルス持ち込んでいるみたいに扱われたこともあったし、それはすごい辛かったし悲しかった。でも、抗うものではないと思います。そういうモードがただあるっていうだけかなって。

スー 「One Last Kiss」の「誰かを求めることは 即ち傷つくことだった」や、「誰にも言わない」の「一人で生きるより 永久(とわ)に傷つきたい」のように、喪失が予見されていても、他者との関係を諦めることができない理由は?

「人と共存することは、自分が生きることと同義」

宇多田 母がとても不安定で危うい人だったので、私には初めから「人との関係」の前提に「喪失の予見」がありました。でも他者が存在してる以上、他者と関係を持たない選択肢なんてないと思います。拒絶してる状態も一つの関係だし。仮に誰とも関わらないで生きる方法があったとしても、なんのためにそんな生き方を? そういう自分を想像しても、存在理由がよくわからない。時間もいっぱいあるし、ひたすら本が読める、勉強しよう、と思ったって、それを共有する人がいなければ、そこで全て終わっちゃう。それもつまらないって思うと、人と共存することは、自分が生きることと同義だと思うんです。でも、というか、だからこそ、私は人と共存することとずっと葛藤してきたし、幼少期からの一番のテーマです。他の人間は危険な存在でもあるし、でもなしでは生きられないし、どう共存できるんだろうって、ずっと考えて歌にもしてきて。今はなんか「ただそういうことか」って受け入れられるようになってきたというか。それは母親と息子のおかげかなと思います。

スー 「そういうこと」を、もう少し説明していただけませんか?

宇多田 私は人の反応を気にしちゃうほうで、ちょっとした表情とか返事で、「あれ? 私この人を怒らせちゃったかな?」とか「さっきのあれ誤解されたかな?」「でも聞くのもあれだし」って一日二日考えちゃうタイプなんです。親しい人とだったらそんなこと何度でもあるし、もっと重いこともあるじゃないですか。お互いに誤解があったり、勝手に傷ついたり、相手を傷つけちゃったり。人を愛するってなると、相手の受け入れ難い行為も含めてそういうこともする人として、賛同までしなくてもいいけど、受け入れないといけない。というか、受け入れたい。お互いに傷つくのも当然。相手を傷つけることを恐れすぎるのも良くないってことかな。今ちょうどカミュの『シーシュポスの神話』を読んでるんですけど、彼の語る「不条理」を受け入れて生きるしかない、ということですかね。

スー 宇多田さんは普通の人が経験できない人生を歩んできたと思いますが、誰の期待に応えることが、誰の期待を裏切ることが、一番ハードでしたか?

宇多田 期待……。ファンの期待は、意識しないほうがいいと思ってるんです。アーティストであることは、作品を作る上でそういう期待に応えないってことだから。

スー ファンは、作品の自分自身に響く部分を自由に解釈して愛することができますしね。

宇多田ヒカルの一番の理解者は誰か。

宇多田 私に歌を歌ったり、ミュージシャンになったりしてほしいと思っていた母親の期待ですかね。父は私にミュージシャンになってほしいっていう感覚はなかったんじゃないかな。彼もミュージシャンですけど、どちらかというと感謝しているのは教育上の協力というか。割とアカデミックな人なので、ニューヨークにいた頃に「漢字の勉強がしたい」と言えば、手作りのドリルを作ってくれたり。だからと言って大学に行くべきだとか、そういう期待もなかったし、期待をされてきた感覚はあんまりないのかも。今になって振り返ると、母は私に音楽をやってほしかったんだなって感じます。彼女のことを理解できる人間になってほしかったんだと思います。音楽に対する情熱がすごくて、その情熱を共有できる、理解できる人間になってほしかったんじゃないですかね。私を理解してくれっていう期待はすごかったです。

スー 宇多田さんの音楽活動に対しては、いかがでしたか?

宇多田 キャリアに対するプレッシャーは、全くなかったです。デビューして立場と生活が変わってしまって、私がすごく落ち込んだことがあったんです。ある日、「もうこれ以上アルバムを作ったりできない、やめたい」って母に言ったら、「じゃあやめれば?」って。そのときにすごく気が楽になりました。「そっか、やめたければやめられるんじゃん。私が私でなくなるわけじゃないし」って。

スー 宇多田さんが認識する、一番の理解者は誰になりますか?

宇多田 そんなこと言っちゃうと、どうしても精神分析医がパッと浮かんじゃう(笑)。親友とは幼少期からの経験や環境もかぶるところがあって、お互いに「奇跡みたいだね」って。なんでも話せばわかってくれる信頼がある相手ですね。あとは、自分が自分の一番の理解者になりつつあるのかな。

スー 自分で自分を理解していく作業の、今は何合目くらいなんでしょう。まだわからないですかね。

宇多田 そうですね。何かを知ることって、知れば知るほど、自分がいかに知らないかを知ることですよね。ただ、自分への信頼みたいなものがだんだん養われていっている気がします。それが世界の信頼とか、他者への信頼に繋がっていくのを感じています。

Photos: Shoji Uchida Text: Jane Su Stylist: Kyohei Ogawa Hair & Makeup: Ryoji Inagaki at Maroonbrand Editors: Saori Masuda, Yaka Matsumoto