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「さようなら、テニス!」 マリア・シャラポワの告白。

2020年2月26日、マリア・シャラポワはその28年に及ぶプロ・テニスプレーヤーとしての人生に別れを告げた。美しい容姿と圧倒的な能力でテニス界に新風を吹き込んだ女王が、テニスから学んだこと、そして人生の次なる章に寄せる期待について、今の心境を綴ってくれた。

Photo: Dimitrios Kambouris/ Getty Images

自分が知る唯一の人生にどのように別れを告げるか。自分が少女だった頃からトレーニングしてきたテニスコート、無数の涙や筆舌尽くしがたい喜びをもたらした愛するゲーム、28年以上にわたり自分を応援してくれた家族やファンに出会えたスポーツから、どのように立ち去るのか。

こういうことは初めてだから、許してほしい。テニスよ、さようなら。

テニスコートを見た最初の記憶は、父がプレーしていた時のもの。ロシアのソチでのことで、私は4歳だった。座っているベンチから足がぶら下がるくらい、あるいはテニスラケットが自分の2倍も大きく見えるくらいに、私は小さかった。

6歳の頃、父と世界を横切ってフロリダ州へ向かった。世界全体が巨大に見えた。飛行機、空港、広大なアメリカ。すべてが途方もなく大きく、両親が払ってくれた犠牲も途方もなく大きかった。

「自分が優勝するなんて、夢にも思わなかった」

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テニスをはじめた頃、ネットの向こう側にいる女の子はいつも私より年上で、背が高く、力強かった。テレビで見るテニス界の大物たちは、私の手の届かない、力の及ばない人たちに思えた。だけど、テニスコートで毎日練習するうちに、少しずつ、この夢のような世界がどんどん現実味を帯びるようになっていった。

初めてプレーしたテニスコートは、ラインの消えかかったでこぼこのコンクリートコートだった。時が経つにつれ、それは、ぬかるんだクレーコートになり、今まで足を踏み入れたコートの中で最も見事な、手入れの行き届いたグラスコートへと変わっていった。それでも、自分がそのコートで勝利を得ることになるとは、まだ夢にも思っていなかった。

まずウィンブルドンから始めるのがよいように思えた。当時、私はまだあどけない、切手集めが趣味の17歳で、自分の勝利の重要性すら理解していなかった。理解していなくて、むしろよかったと思う。

私の強みは、ほかの選手に対する優越感では決してなかった。それは、今にも崖から落ちそうな感覚を持っていたことだった。だからこそ私は常にコートに戻って、登り続ける方法を見つけ出そうとした。

全米オープンは雑念や期待に打ち勝つ方法を教えてくれた。ニューヨークの騒がしさに対処できなければ、それは敗退を意味した。ダスビターニャ(さようなら)。

全豪オープンは、それまで一度も経験したことのないような高みへと連れて行ってくれた。一部の人々が「ゾーンに入った状態」と呼ぶような、極めて強い自信を持った状態に没入できた。あまりうまく説明できないけど、よい経験だった。

全仏オープンのクレーコートは、私が苦手なクレーコートの上でのスライディングを含む私のほぼすべての弱点を露わにした。けれど私はどうにかして、それらの弱点を克服した。2度も。素晴らしい気分だった。

「コートは私の不完全さを明らかにした」

2006年、全米オープンで初優勝を飾った。Photo: Cynthia Lum/Getty Images

これらのコートは、容赦なく私の本質を明らかにした。かわいいテニスウェアを纏ってモデル然とカメラに向かって微笑む陰で、それは、あらゆるシワや汗のしずくなど、私の不完全さを露わにした。コートでは、自分の生の感情を有利なところに向けるための人格、意志、能力が試された。そのラインの間では、自分の弱さに安心感を覚えることができた。人目にさらされているように感じながらも、とても心地よく思える場所を見つけられた私は、本当にラッキーだ。

私が成功した理由の1つは、決して過去を振り返らず、決して未来に目を向けなかったこと。精を出して頑張り続ければ、信じられない高みにまで自分を押し上げることができると信じていた。だけど、テニスを完全にマスターすることなどできない。コートの「声」に耳を澄ましながら、心の奥に絶え間なく浮かび上がる邪念を静める努力をするだけだ。

「次の対戦相手に向けて、十分以上の準備ができているか?」

「数日間も休んだ。体がなまっている」

「ピザをお代わりした? ハードなモーニングセッションでその埋め合わせをした方がいい」

私は、こうした声によく耳を傾け、あらゆる好調や不調を予測する術を身につけた。最後のシグナルを受け止めたのも、この能力によるものだった。

「失敗を受け入れ、自分を信じて」

2019年の全米オープンではセリーナ・ウィリアムズと対戦したが、完敗を喫した。Photo: TPN/Getty

シグナルの1つは、昨年8月の全米オープンで現れた。コートに立つ30分前、私は試合を乗り切るため、肩を麻痺させる手当てを受けた。肩の怪我は私にとって何も珍しいことではなかったが、時とともに、私の腱は糸のように擦り切れてしまっていた。何度か手術を受けた。2008年に1回、昨年に別の手術を受けた。何か月もの間、理学療法を受けた。その日の私は、コートに足を踏み入れられるだけで勝利のように感じられた。もちろん、勝利への最初の一歩に過ぎないはずなのに。この話をするのは同情を得るためではなく、自分の体の状態に気が取られ、集中できないという、私の新しい現実を描き出すためだ。

キャリアを通じて、私は一度も「それだけの価値があるのだろうか」と疑ったことすらなかった。けれど結局のところ、いつもそれだけの価値があったのだ。不屈の精神こそが、常に私の最大の武器だった。対戦相手が自分より身体的に強く、より大きな自信を持っていて、単に自分よりも選手として優れていたとしても、私は耐え抜くことができたし、実際に耐え抜いてきた。

仕事や努力、根性について話さなければならないと本気で思ったことはなかった。アスリートなら誰しも、成功のために払う必要のある、けれど決して語られない犠牲について理解している。私が次の局面を迎える今、何かに秀でるようになることを夢見ている人に知っておいてほしいのは、疑念とジャッジメントは避けられないということだ。何百回も失敗するし、世界があなたに注目する。それを受け入れて。自分自身を信じて。そうすれば、あなたは必ず勝利を得ると私が約束する。

「私は頑張り続け、登り続ける」

2020年1月の全豪オープンが、プロとしての最後の試合となった。Photo: Chaz Niell/ Getty Images

私は自分の人生をテニスに捧げた。そしてテニスは、私に人生を与えてくれた。毎日テニスが恋しくなるだろう。トレーニングや、早朝に起きて右足よりも先に左足の靴ひもを結び、コートに入って門を閉め、その日の第一球を打つという、毎日のルーティンが恋しくなるだろう。チームやコーチが恋しくなるだろう。練習用コートのベンチで、父と隣り合って座る瞬間が恋しくなるだろう。勝った時や負けた時の握手、そして彼女たちが知っていたかどうかは分からないけど、私をベストの状態に押し上げてくれたライバルたち。

今思い返せば、テニスは私にとって山のような存在だったことに気づく。私の歩む道は、谷や回り道でいっぱいだったけれど、山頂からの眺めは素晴らしかった。28年のテニス人生の中で5度のグランドスラムを経て、私は今、別の山を登り、異なる地形を最後まで歩む準備ができている。

絶え間ない勝利への渇望は、これからも決して弱まらないだろう。この先に何が待ち受けているとしても、同じ集中力を発揮し、同じ道徳観をもって、これまでに学んだすべての教訓を生かすつもりだ。

一方で、私が本当に楽しみにしているいくつかのシンプルなことがある。家族との静かな時間。長々と朝のコーヒーを楽しむこと。予想外の週末のお出かけ。好きなようにできるトレーニング(こんにちは、ダンス教室!)。

テニスは私に世界を見せ、私の真価を教えてくれた。テニスこそ、私が自分を試す方法であり、自分の成長を測る方法だった。だから、人生の次なる章で私が何を、どのような山を選んだとしても、私は頑張り続け、登り続け、成長し続ける。

Text: Maria Sharapova