蓬莱 大介 氏インタビュー やりたいことに挑戦し続けた20代、挫折を繰り返しながらもたどり着いた生涯の道。

「20代は不安で当たり前です」と言い切る蓬莱大介さん。好感度の高いお天気キャスターとして高い人気を誇る蓬莱さんですが、そこに至るまでの道のりは迷いと決断の連続でした。そんな蓬莱さんにとって、人生の節目で進むべき道標となり、自らの運命を切り開いていく支えとなったのは、勝利への作戦と日々の実践を書き記したノートでした。また、時に「意味がない」となじられつつも、いつか成功へのカギとなることを信じて撮り続けた自分の気象キャスターの練習動画でした。それらを忍耐強く続けたことが、蓬莱さんを夢の実現へと導いたのです。

今回は気象予報士、防災士として活躍される蓬莱大介さんをお招きし、将来への不安や悩みを抱える大学生に挑戦することの大切さを、あわせて大学生が意識すべき防災対策についてのお話を伺いました。

インタビュイー

気象予報士・防災士
蓬莱 大介氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員長

高橋 明日香(司会・進行)

全国大学生協連
全国学生委員会

梅田 叶夢とむ

全国大学生協連
全国学生委員会

古橋 怜

全国大学生協連
全国学生委員会
(関西北陸ブロック)

羽根 裕太郎

(以下、敬称を省略させていただきます)

はじめに ~自己紹介とこのインタビューの趣旨~

お忙しい中、お時間を割いていただきましてありがとうございます。私は司会を務めます、全国学生委員長 高橋明日香です。2022年に兵庫県立大学を卒業しました。今、大学生はつながりが薄く、就職活動への不安や苦悩は絶えません。蓬莱様にはぜひ、大学時代のお話や就活について、また気象予報士や防災士の資格を取得しようと思ったきっかけ等をお話いただきたく思います。

はじめまして。全国学生委員会の古橋 怜と申します。今春九州大学を卒業しました。

同じく全国学生委員会の梅田叶夢と申します。この春、岡山大学を卒業いたしました。

同じく全国学生委員会の羽根裕太郎と申します。富山大学の現在4年生です。

蓬莱大介です。僕は一浪して2002年に早稲田大学に入学しました。兵庫県明石市出身で、関西出身の人って関西圏外に進学しない人が多いんですよね。僕も東京に行くって言ったときに、「なんでわざわざ東京行くん?」ってめっちゃ言われました。でも僕は東京で自分の可能性を知りたかったんです。
2006年に大学を卒業しましたが、就職活動は一切しませんでした。卒業後にタレント事務所に所属しましたが、突然解散になったので、自分で何十社というエキストラ事務所に登録しドラマ、映画のエキストラをやったり、俳優として舞台にも立ちましたが、なかなかうまくいきませんでした。
25歳の時に書店で気象予報士という職業を知り、1年半勉強して27歳で気象予報士試験に合格しました。その後お天気関係の裏方の仕事を1年して、28歳の時に読売テレビの気象キャスターになりました。そこから13年経って現在41歳、キャリア13年目です。

模索し、挫折を繰り返して行きついた

やりたいことに挑戦した大学時代

早稲田大学ではどのような学生生活を送っていらっしゃったのでしょうか。

未来に対する漠然とした夢や希望はあったものの、そもそも何ができるか分からなかったので、何がしたいか探そうと思って東京に行ったんですよね。それで、「とりあえずやってみる」をモットーにしていました。大学では4年間で環境のゼミ、映画や写真を勉強するゼミ、最後は卒論を書くために政治経済のゼミに入りました。英会話・中国語・韓国語も勉強しましたが、全く成果はありませんでした。2002年当時は投資ブームだったので株のサークルに入ろうとしましたが、これもうまくいきませんでした。

映画を見るのが好きで、テレビの世界にも憧れていたので、2年生の時から芸能プロダクションに履歴書を送っていました。それが就活だったかもしれないですね。でも全部断られ、結局、養成所付きのタレント事務所に合格しました。そこに2年ぐらい所属して、在学中からエキストラとしてドラマに出たり、舞台作品に出たり、バンド活動をやったりしていました。3、4年で将来を考えた時に、芸能活動への可能性がまだ捨てきれない状況だったので、引き続き卒業後も事務所に所属して、アルバイトしながら夢を追いかけていました。常に何か模索してずっと悩んで、めちゃくちゃしんどかった記憶がありますね。

しんどい中で、失敗してもいろいろなことにチャレンジし続けたという大学時代の原動力は何でしたか。

もう不安と焦りですね。とにかくなんかせないかん、何か見つけたいと思い、そこが原動力です。

今、就活自体も早期化していて、大学生も悩みながら就活しています。


第58回学生の消費生活に関する実態調査(2022)より

うん、圧倒的に不安でしょうね。でも、不安じゃない人っていないと思うんです。まれにものすごく成功している人たちがメディアやネットに出たりして話題になりますが、それはごく少数で、誰だってそんなに将来見えてないです。僕だって分からなかったし、社会に出ても不安でした。でもそんな不安の中でも現実逃避しないで自分と向き合って、自分というのはどういう人間か、何がしたいのか、何に向いているのか考えてみる。就活でも自己評価や自己分析するでしょう? 要は就活も自分探しをするためのきっかけなんですよね。だから行動するためには、何が心のアンテナに引っかかるのか探すことが大切だと思います。

不安な気持ちを支えた「人生の作戦ノート」

卒業後も紆余曲折の末、気象予報士を目指したと伺いましたが、そのきっかけを教えてください。目標が実現するまでの2年間に不安や悩みなどはありませんでしたか。

自分と向き合う時間を作って自分は何がしたいかとか何ができるかとか、不安な気持ちをノートに書いていました。いまだに続けていますよ、「人生の作戦ノート」。俳優を志したときも、なんでそれやりたいのか深掘りしていきました。頭で考えるとよく分からなくなるので、ノートに書いて整理していったんです。『ただ目立ちたいのかな? なんで目立ちたいのかな? そうか、俺、小学生の頃から特に人に認められることってあんま無かったなぁ』。
僕は人前に出るような子どもじゃなかったんです。クラス集合写真でも、後ろの方でちょっとふざけてるみたいなタイプ。でもそういう心の内に、人に認められたい気持ちがあったのでしょうね。どうやったら人に認められるのか、自分は何が向いているのかということをずっと探していたんです。で、その中で興味があるのは俳優だったので俳優をやってみて、今日一日俳優として何ができたか、今年1年間の目標はこうしようと、自分の人生の計画を毎日ノートに書きました。

僕は、30歳までには一人前の仕事に就くって決めていました。その後はその仕事で安定したお金が得られて、結婚して子どもも持てるような状況にはなっておきたいなと。逆にいうと、それまではいろんなことを試せるなと思ったんです。逆算していくと、27~28歳にはある程度めどはつけとかなあかんな、とノートに書いていました。僕の家庭は特別お金持ちではないけれども、ある程度支援してもらえるような家庭環境ではあったので、「30歳の時には一人前の仕事に就くので、20代は挑戦させてほしい。僕にとっては、今のこの時間が大切なんや」と父にプレゼンして、納得してもらいました。

25歳で気象予報士を目指す

年ごとにノートに1年間の目標を書いていたのですが、5年目までは1年更新するごとにまだいけるんじゃないかと思っていました。もしかしたら来年売れるかもしれん、っていう希望を持っていたんです。でも25歳でエキストラの仕事ばかりやっていた時に、このまま30になってもアルバイトしながら俳優を目指す人生になっているかもしれんなって、ふと頭によぎった瞬間、もう心が負けていることに気づき、別の道を探そうと思ったんです。
でも別の道探すにしても、何していいか分からない。うわあ、25歳で振り出しか、みたいな状況で、本屋さんに3日間通いました。いろいろな本と言葉に触れて、3日目に自分がこれだと思うものを何かやろうと。

1日目は、やはりまだオーディションや俳優の雑誌コーナーに行って終わるんですよね。2日目に何か心に引っ掛かることないかなあと違うフロアに行ったら、資格のコーナーで「気象予報士」が目について。空のことを伝える仕事かと思ったんですよね。

僕は小学生の頃生き物係で、勉強では全然ほめられなかったけれども、「蓬莱君は生き物のことをみんなに教えるの 上手ね」って先生に褒められたことがあったんですよ。それで、自然のことを伝える仕事で人の役に立てるんじゃないかなと、ふと思ったんですよね。僕はそれまでバンドやりたい、俳優やりたいって「やりたい」ばかりだったんですけど、その時は「自分が空のことを伝えて、人の役に立ち誰かが喜んでくれたりするかもしれん」って思ったんです。

でもパラパラと資格の本を見ると、難しいんですよ。文系だったので理系は全然勉強してなかった。で、その日は本を買わずに、いったん家に帰りました。そして、夕方に天気予報を見ていると「明日の天気は晴れ」と同じこと伝えるのに、各局の気象予報士によって、なんかニュアンスが違うなと気が付いて。見比べると、分かりやすい人、分かりにくい人、雑学の知識入れてる人、伝える人によって違うなあと気付きました。

それで3日目にもう一回、そのコーナーに行って考えたんです。俳優やりたい人はごまんといて、かっこいい人もいっぱいいる。みんなオーディションで求められれば一発芸だってできる。僕はそんなの全然できないから、本当しんどかった。でも気象の世界ってそういうのは求められないだろうと思いました。それに俳優の世界は、頑張ってもプロデューサーがOKくれないと出してもらえません。でも資格の勉強は頑張れば取れますよね。それでとりあえず資格を取ろうと思って気象予報士の本を買いましたが、下のフロアにも行き小学生の理科のワーク本も買いました。漫画で分かる天気予報の仕組みとか、ハードル低いところから始めたんです。