エクトール・ギマール「パリ・メトロ出入口」
フランス・パリにメトロが開通したのは、パリ万博が開催された1900年。その出入口は実に不思議な形をしています。手の込んだ手すり、“Metropolitan”と記されたアーチから植物の茎のように伸びている優雅な曲線を描いた鉄の柱、その先には琥珀色のガラスに包まれた花のような街灯が。それは正に19世紀末に登場したアール・ヌーヴォー様式です。
この不思議なフォルムのメトロ出入口を作ったのは、フランスの建築家エクトール・ギマール。画一的で面白味がないと思ったパリの街並みを変えたいのに、なかなかうまくいかない…そんな新しい建築を目指すギマールの苦悩にヒントを与えたのは、あるベルギーの建築家でした。一体どんな影響を受けたのか?
そんな出会いの矢先に手掛けたメトロ出入口。ところがギマールが設計したものは、最盛期には167カ所もあったのに、現在はおよそ半分の87カ所。一時は絶滅の危機に陥ったのです。アーチ型以外の出入口はほとんど残っていません。世紀末のパリを飾った新しい芸術はなぜ生まれ、そして消えていったのか?なぜ新しい芸術にこだわったのか?その根源にあったパリの“希望”と“焦り”に迫ります。