トルコの世界遺産「トロイの考古遺跡(イリオス遺跡)」への入場ゲートは、回転式のバーを通ります。駅の改札口での切符を通す要領で投入し、立ち止まらずに一気にバーを押して入りましょう。
入ってすぐに目に入るのが尖底土器です。尖底土器とは土器の底が尖っている円錐形もの。日本では縄文土器として知られています。主に縄文草創期から早期に作られ、北海道から九州まで広く出土しているのです。
世界史としては新石器時代の初頭で時期はほぼ一致しており、日本だけの出土ではありません。ではどのくらい前の物かとなれば、紀元前1万年まで遡ることが出来るのです。
世界に広く見られる特殊な尖底土器はなぜ作られたのか。一般的な解釈で、土に埋めて食料などを入れていたのではないか、なぜならこの形の方が安定させやすい、というものです。しかしながら、熱を加えられた跡が残るものも出土しており、明確な理由は分かっていないのです。
一部の人たちは不安定な土器を作る程、当時の人は劣っていたと指摘しますが、むしろ逆のはず。平らな底部を作る方がよほど簡単であり、その形の土器も出土しています。となれば、複雑なものをあえて作ったと考える方が自然。人類は進化し続けるというのも一つの固定観念であり、過去は劣っていると考えるから歴史が見えなくなる可能性があります。
1万年も前に、既に世界が共有していた尖底土器の用途を現代人は分からないというのも、歴史の面白さではないでしょうか。
トロイ遺跡は見どころが少ないと一部では言われますが、それは見上げるような建物等の外観に拘り過ぎており、歴史そのものに触れていないからかも知れません。古代の土器が入り口を入ってすぐにあり、他にも見どころは多数なのです。
門を入ると、トロイア文明としては、4000年の歴史があるトロイの考古遺跡となります。
観光ルートを進むと両側が遺跡となり、古代の通路であったことが分かります。作りを見ると「くの字」となっており、これは日本の城でも見られるもの。日本の場合は敵の侵入に対し、長い武器や木材を持ち運べないようにし、また速度を緩めさせて反撃しやすいようにする意図があったとされます。狭くなっているのは敵を分散させるため。
トロイ遺跡での目的も日本と同じであったのか、さらなる調査が待たれます。
ところで百年以上も発掘が続いている遺跡ですが、全容はまだ分かっていません。
しかしながら、巨大な場所であることは分かっており、今後他の門や様々なものが発掘されることでしょう。
通路を進んでいくと、最も古いもので約4500年前の日干し煉瓦がある場所に。これは世界最古であり極めて珍しい物です。ここだけはテントが張られ、特に遺跡を守っていますのですぐに見つけることが出来ます。
シュリーマンが発掘調査を行った場所が残されています。その後の詳しい調査で、遺跡は9層からなる歴史を持つことが分かっていますが、シュリーマンが見つけたのは第II層Gで紀元前2500年-前2200年。
ハインリヒ・シュリーマン(1822年-1890年)は実業家でしたが、私財を投じてトロイの発掘に乗りだし、やがてトロイア遺跡を発見しました。しかしながら考古学では素人扱いであり、また当時は考古学という分野もまだ未整理であったことも関係し、まったく認められることは無かったとされます。
では、トロイの木馬とは?これはギリシャ神話に登場する話で、ギリシャ(アカイヤ軍)とイリオスは10年も続く戦争が行われていました。長い戦争によって膠着状態になり、ギリシャ軍には厭世的な雰囲気がまん延。
そこでギリシャのオデュッセウスは一計を案じ、巨大な木馬を作って内部に兵士を忍び込ませ、夜になってから襲撃をして勝利したというもの。当時はトロイアと呼ばれていたこの地域なので、そこからトロイの木馬となったのです。
実際にギリシャとの戦争があった事が歴史上認められています。ここで興味深いのはシュリーマンが発掘したのは紀元前1700年〜前1200年頃とされるトロイア戦争よりも前の層。トロイの木馬の痕跡を探していたら、見つかったのは更に古かったのです。
ここに数千年間も人々が暮らし戦争もあったのですが、今では遺跡の上をリスや猫が歩くのんびりとした観光地に。
シュリーマンが発掘をした場所のすぐ近くに、現在発掘調査が行われている場所があります。今後は更に新しい解釈が加わっていくことでしょう。
遺跡では、見事な傾斜が作られている場所もあります。両側には縁石が設けられていますが、古代の人々がここを往来していたのであり、歴史のロマンを感じられる場所ではないのでしょうか。
観光ルートを進んで、出口が近くなると公衆浴場の跡、そして小さいながらも劇場跡が残されています。立ち入る際には、段差に注意をして下さい。
最初に通った門の右側に坂道があり、そこの上に進んで下さい。上から遺跡の全容を見ることが出来ます。天気が良ければ遠くにエーゲ海が見えるこの場所。反対側には入場口近くに作られているトロイの木馬の模型を見ることが出来ます。
なお、遺跡全体の注意点ですが、指定された場所や通路を歩くようにし、遺跡そのものに上がったりしないようにしましょう。立入禁止の表示を細かく付けていない遺跡は世界中に数多くありますが、無断で立ち入らないのがマナーとなります。
入退場は同じゲートとなります。広場にはトロイの木馬の模型があり、これが遺跡を象徴しています。
なお、お土産品店の数は多くはありませんが、店内には個性的な品物が並んでおり、販売もされているトルコの音楽がCDで流れていることから独特の雰囲気。トルコでは青い目玉の形をしたものがお守りであり、ガラス製のお守りが割れると、身代わりになって魔から守ってくれたと考えられています。お土産にいかがでしょうか。
慶応元年(1865年)には日本にも来たことがあるドイツ人のハインリヒ・シュリーマンが幼いころに聞いた話を信じ、私財を投じて発掘調査を行い発見したというトロイア遺跡。
1998年にトロイの考古遺跡として世界遺産登録されているこの場所は9層からなっており、複雑な遺跡であることから全容の解明には長い時間がかかることでしょう。
最後に、トルコは「カッパドキア」に代表される世界遺産の宝庫。その他の遺跡を含め、ぜひ下記の関連MEMOも旅の参考にしてみて下さい。
住所:Tevfikiye Koy, Intepe, Canakkale
電話:+0286-283-0061,+0286-217-6740
アクセス:チャナッカレ(Canakkale)からミニバスで約30分
2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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