茶室の基本と有名な茶室

国宝の茶室「待庵」(たいあん)
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国宝の茶室「待庵」(たいあん) 国宝の茶室「待庵」(たいあん)
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「待庵」(たいあん)は、茶聖と呼ばれた「千利休」が作ったとされる茶室です。現在の茶室の原点としての形式が随所に見られ、千利休の卓越した才能を感じることができます。文化人として名を馳せながら、悲劇的な運命をたどった千利休。「待庵」には、千利休のお茶への並々ならぬ思いが、独創性として込められています。最古の茶室として、国宝に指定されている「待庵」について、詳しく見ていきましょう。

日本最古の茶室「待庵」

日本文化の中でも象徴的な思想として知られる「侘び」(わび)と「寂び」(さび)。千利休が確立した茶道は、その具現化であり、現代の作法に通じます。茶聖千利休が残した茶室待庵とは、どのような茶室なのでしょうか。

待庵の概要

庭園の茶室

庭園の茶室

「妙喜庵」(みょうきあん)は、京都府乙訓郡大山崎町にある臨済宗の寺院です。この中にあるのが、千利休作と信じられている待庵。最初からこちらに建てられたのではなく、どこからか移築されたという説もあります。1582年(天正10年)の「山崎の戦い」の際、「豊臣秀吉」(当時は羽柴)の陣中に千利休が招かれ、慰労のために茶室を建てました。戦のあとで一度解体され、寺院の境内に移築された茶室が、待庵であると考えられています。

ただ、この件に関しては「千利休の屋敷から移築した」、「豊臣秀吉の命でこの寺に建てた」など諸説あり定かではありません。いずれにしても、千利休の独創性に富んだ建築物であることは間違いなく、現存する日本最古の茶室として国宝に指定されています。

国宝指定されている茶室はこの他に、愛知県犬山市有楽苑の「如庵」と京都市北区龍光院の「密庵」がありますが、千利休の手によるものとされる茶室は待庵だけです。「切妻造」や「にじり口」など、千利休好みの「草庵茶室」の風情が色濃く感じられます。

待庵の歴史

待庵の建立がいつであったのか明確ではありませんが、少なくとも天正年間 (1573~1592年)と言うことは確かです。1582年(天正10年)山崎の戦いの説が真実であれば、「本能寺の変」と同じ年に待庵が建てられたことになります。

千利休の存在を世に知らしめたのは、「織田信長」に茶頭として重用されたことがきっかけです。千利休と関連がある人物の死と同じ年に、後世に残る茶室が誕生したとすれば感慨深いものがあります。

京都府乙訓郡大山崎町の寺院を描いた「宝積寺絵図」は、1606年(慶長11年)の作品です。しかし、妙喜庵の位置あたりに「かこひ」や「袖すりの松」などが記されており、これらが待庵の存在を裏付けるものとされています。そんな歴史の深い待庵が国宝に指定されたのは、1951年(昭和26年)です。

待庵の造り

待庵には、千利休の好みが色濃く反映され、独特の造りがその後の茶室の標準になっていきます。では、待庵に示されている、千利休考案の茶室の構成について見ていきましょう。

待庵の特徴

安土桃山城」や「聚楽第」など、絢爛豪華で華やかな建築物が彩った時代の中で、待庵はその対極にある建物です。究極までそぎ落とされた簡素さ、自然物を用いた粗野な造りなど、「草庵茶室」には観る人に媚びるような装飾は一切ありません。一見、面白みがないようにも感じますが、実は長時間にわたる茶の席のもてなしに、客を飽きさせない工夫が仕込まれています。

薄暗く、小さな空間を茶室として作り上げた千利休。そこには、「大徳寺」の「古渓宗陳」(こけいそうちん:臨済宗の僧)より悟道を認められた、千利休の禅の心得が込められていると言われています。簡素な造りの中に味わいを見出し、狭い空間に宇宙を感じると言うように、禅と茶道の精神を結び付け、結晶させたのが茶室待庵です。

にじり口が設けられた小間の茶室の原型

にじり口

にじり口

あまり茶道に詳しくない人でも、茶室と言われて思い浮かべるのが、小さな出入り口です。「にじり口」と呼ばれる様式を設けたのも、千利休の待庵からと言われています。にじり口は、当時使われていた寸法では「約2尺」、現代で言うところの「60~70cm四方」です。大きな人では、くぐり抜けるのにも苦労します。

なぜ千利休は茶室の出入り口を、こんなに狭くしたのかと言うと、小さな戸口の向こうにある雄大な世界を示しているからなのです。日常を離れ、幽玄の世界へと誘うと言う意味を持ちます。

また、この小ささでは、武士であっても日本刀を差したまま通り抜けることができません。お茶の席では、町民も武士も身分の差はなく、平等であるという意味も込められていたのです。千利休は、船着き場の舟の出入り口からにじり口を発想したと言われますが、茶道の精神世界を特徴付ける重要なポイントとなっています。

茶室の下地

茶室の下地

数寄屋建築の原型

現代の住宅でも「数寄屋」(すきや)という言葉をよく耳にしますが、これは茶室の様式を取り入れた工法です。「数寄」は風流を好み、茶道や華道、歌詠みに熱心な人は「数寄者」と呼ばれていました。「数寄屋」はもともと、4畳半以下の小規模な座敷を指していましたが、千利休の待庵は、さらに小さな二畳敷きでした。

縁のない「太鼓襖」と呼ばれる仕切りを隔て、「勝手」(次の間)が置かれています。「框」(かまち:戸や窓などの周囲の枠)には節のある丸木を用い、素朴な味わいです。「荒壁」と呼ばれる「土壁」は、表面にワラスサが出たままとなっており、その名の通り粗野で力強い雰囲気を与えています。天井は、竹を使った「掛け込み天井」となっており、二畳という狭い空間の圧迫感を和らげているのです。

凛とした空気、緊張感の中で、不規則な位置に開けられた明り取り窓の効果により、自由性をもたらしているところが、千利休の真骨頂と言えます。それまで窓は柱の位置などにより、ほぼ同じ場所に置かれました。しかし、千利休は土壁の一部を塗り残すことで、自由に窓が出現する画期的な手法を編み出したのです。

あえて、自然にあるがままの草木を使い、粗削りで素朴な印象の土壁を用いながら、虚飾を廃したなかにも洗練された空間を作り上げた千利休。にじり口から1歩中に入れば、そこは千利休の求める世界が広がっているのです。現代建築で「数寄屋造り」と言えば、高級住宅と言うイメージですが、数寄屋建築の原型は、禅の教える静けさや精神性が伝わる洒脱(しゃだつ:洗練されている)な茶室でした。

妙喜庵・待庵へのアクセス方法

茶道を行う人はもちろんですが、茶道に興味がない人にもぜひ訪れてみたいと思わせる千利休の茶室待庵。訪問する際のポイントをご紹介します。

妙喜庵・待庵への交通アクセス

待庵の拝観には、事前予約が必要です。いきなり行っても見ることができないので、注意しましょう。予約するには、まず1ヵ月前までに往復はがきで申込みを行います。拝観料は、ひとり1,000円。拝観時間は1時間で、和尚様の説明が受けられます。JR京都線で行けば、山崎駅を出てすぐのところにあります。

所在地 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎子字竜光56
休館日 月曜日、水曜日、12月下旬~1月中旬
アクセス
  • JR京都線山崎駅から徒歩で1分
  • 阪急電鉄京都線大山崎駅から徒歩で5分
    ※駐車場なし

妙喜庵・待庵周辺の観光情報

天王山登り口

天王山登り口

せっかく待庵を訪れるのであれば、妙喜庵周辺の観光スポットもチェックしておきましょう。まず、おすすめなのが、「アサヒビール大山崎山荘美術館」。「妙喜庵」からは、徒歩約5分という好立地にあります。有名なモネの「水連」、「バーナード・リーチ」の陶器など充実した展示品が並び、大正ロマンを偲ばせる洋館や庭園も素敵です。

少し運動をしたいときには、「天王山」まで足を伸ばしてみてましょう。「妙喜庵」からは、徒歩約15分。親子連れにも人気のハイキングコースがあります。天王山の山頂にあるスポットが「山崎城跡」。登山道には豊臣秀吉の壁絵などがあり、楽しみながら登ることができます。

「宝積寺絵図」で有名な「宝積寺」は、「妙喜庵」より徒歩約6分です。国や京都府の重要文化財に指定された仏像や絵画などが、多数所蔵されています。美しい「三重塔」も必見です。

まとめ

現代の茶室、また建築物にも大きな影響を与えた千利休の待庵。千利休の豊かな精神や、茶の道にかける思いが色濃く残ります。侘び、寂びと言う抽象的な概念が、小さな建築物となって私達の心に迫ってくるようです。訪れればその人なりに、必ず何かを感じられます。日本人ならば、ぜひ一度は拝観してみましょう。

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