武家屋敷と日本の建築文化

床の間に関するこだわり
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床の間に関するこだわり 床の間に関するこだわり
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床より一段高くなっている和室の一角「床の間」。一般的には、花瓶や掛け軸を飾る場所ですが、武士の間では、格の高い者が座る場所とされていました。そんな床の間の今と昔の違いや武家との関係を、床の間の歴史と共にご紹介していきます。

仏教に由来する宗教的な床の間

「床の間」(とこのま)は、仏教の神聖な場所として仏具を飾る棚を起源とします。当初は仏具や宗教画を飾り、僧侶の礼拝する場として必要とされていました。床の間とは、「床」がある部屋というのが本来の意味です。平安・鎌倉時代以降は、茶室や書院に備えられていきますが、あくまでも宗教的な意味合いが強い神聖な場所でした。

精神世界としての床の間

茶室

茶室

床の間は茶道の文化の普及とともに、単なる床のある部屋から「客人をもてなす場所」として認識が代わり、礼儀や作法を重んじる造りへ変化を遂げます。

4畳半の茶室には床の間が右奥に設けられ、床の間の正面は格の高い客人をもてなす場所でした。

そして床の間は、招いた主人がもてなしの意味を込めて意匠を凝らす空間となったのです。季節感を取り入れながら、侘び寂びを感じる芸術性を備えていました。

また、禅と茶の湯の関係は深く、高い精神性で繫がっています。茶室の床の間も禅の精神性を表す場所となっていきました。

座敷飾りの意味

武家の台頭とともに家の構造も変化し、鎌倉時代から武家様式の家の造りへと変わっていきました。そして、室町時代には書院造と言われる武家屋敷が定着していきます。書院とは現代で言う書斎のことで、床の間・違棚(ちがいだな)・付書院(つけしょいん)・帳台構(ちょうだいがまえ)の座敷飾りを備えている部屋を言います。

床の間(とこのま)

床の間

床の間

書院における床の間は、茶道の床の間の文化とは異なっています。

もてなしの意味ではなく、書院の主人である人物の格の高さを表していました。掛け軸や花瓶など、座敷飾りの品格が高い物ほど、主の格の高さを表します。

床の間の床は、畳よりも一段高くなっており、部屋の中でも最も格の高い場所です。本来は床その物にも畳が敷いてあり、格の一番高い人が座る場所でした。現在では床の間に座ることはありません。足を踏み入れるだけでもマナー違反になりますが、本来は最も格が高い人が座る場所だったのです。

のちに畳が押板(掛け軸の下に設ける美術品を飾る板)と融合し、現在の床の間になりました。今でも、床の間の前は、格の高い人が座るという席次マナーが残っています。

違棚(ちがいだな)

違棚

違棚

違棚は、寝殿造で使われていた二階棚(にかいだな:身のまわりの道具などを載せておく二重の棚)を作り付けにした物です。

寝殿造は広い空間に移動式の仕切りを設けることで、部屋を仕切って生活していました。用途によって仕切りや、生活道具を移動していたのです。

書院造になったことで部屋の仕切りは固定され、移動式の二階棚も造付けになりました。

上下2段の棚板を、左右段違いに取り付けた棚を違棚と言い、特徴は2点あります。1点は2枚の段違いの棚を束(つか)でつなげていることです。その束は、2枚の棚板をつなげており、海老束(えびづか)と言います。

もう1点は、上段の棚の端に筆返しと言われる装飾をしていることです。筆が転がり落ちないように棚の端を高くする装飾を取り付けています。本来は書斎のための設備であることが良く分かる特徴です。

付書院(つけしょいん)

付書院とは、読書をしたり、文を書いたりする文机のこと。明かりを採るために縁側に張り出して作られており、書院窓と言われる明障子(あかりしょうじ)とともに設置されています。

本来の役割は文机でしたが、座敷飾りの一部となってからは、意匠として固定されました。座敷の外側にあった縁側が減少していくにしたがい、文机として張り出していた付書院そのものもなくなっていきます。このような書院窓だけが床の間の脇に作られている場合は、平書院と言います。

帳台構(ちょうだいがまえ)

帳台構は、上段の間の側面、付書院とは反対側に設置されています。上段の間の横にある寝所の出入り口のことを言います。上段の間の横には寝所がありました。座敷飾りが格式を表す物として定着してから寝所はなくなりましたが、出入り口を意味する帳台構だけは、座敷飾りの一部として残ったのです。

鴨居(かもい)は通常より一段下げ、敷居を一段上げて背の低い4枚の襖で構成されています。襖の枠の木部には漆を塗り、金具を打っています。障壁画の一部として装飾されていることも多いです。

武家にとっての床の間の役割

鎌倉時代ごろ、武家にとって書院は交渉や話し合いをする対面所の役割を担っていきます。このころから寝殿造は様式を変え、書院造へと変化していきます。現代に知られている形になったのは室町時代からです。そして、書院の座敷飾りが武家の権威を誇示する物になっていきました。

書院は対面の場所となり、一番格上の人物が床の間の前に座ります。来客が主人より格上であれば来客を座らせ、格下の客に応対するときは主人が床の間の前に座ります。武家の床の間の使い方は、対面する格下へ威圧感を与えるためでした。

二条城二の丸御殿大広間上段の間を見ると、狩野探幽(かのうたんゆう)による金碧装飾画中には威圧感のある松の巨大樹が描かれており、壁面から天井にいたる室内すべてが、輝くような金碧で塗られ、床の間の後ろの壁には、巨大な松が大きくせり出す構成になっています。また、大広間の上段・下段の間は合わせて92畳の広さがあり、金碧装飾画から一番遠くに座る格下の者でもはっきり見えるように大画構成の装飾画が描かれています。

このように、二条城二の丸御殿は後水尾天皇の行幸のために作られる一方、後水尾天皇への権力アピールの意味も込められているのです。侘び寂びの精神世界とはほど遠く、時の権力者の権勢を誇る物として、床の間の意匠は利用されていきました。

現代の床の間

現代では、和室を作らない家庭も多くあります。現代に床の間の必要性があるとしたら、仏壇を置くときでしょう。例えば、郷里を離れて都会で生活している家庭が、両親の仏壇を備えなくてはいけないときなど、床の間があれば仏壇を置くことができます。

元々は僧侶の生活空間に、礼拝の場所として作られた宗教的な意味合いの濃い床の間ですから、仏壇を置くことは理にかなっています。床の間は家の中でも一番格の高い場所ですから、そこに仏壇を置くことにはご先祖様を大事にするという思いが込められています。

仏教の宗派によっては、仏壇は床の間の隣や仏間に置いたほうが良いなど違ってきますので、お世話になっているお寺の方に聞くのが確実でしょう。

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