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上杉謙信と刀
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上杉謙信と刀 上杉謙信と刀
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上杉謙信は、誰もが知る戦国最強の武将です。「甲斐の虎」と称えられる武田信玄と5度も戦を繰り広げましたが、一進一退の攻防を繰り広げ、決着が付きませんでした。また、上杉謙信は刀剣の愛好家としても知られ、上杉謙信が所有していた日本刀は、どれもすばらしい物だと言われています。上杉謙信が戦国時代最強の武将と言われるまでの生い立ちや、上杉謙信の愛刀が持つ逸話とともに、上杉謙信の生涯についてご紹介します。

上杉謙信 誕生から初陣まで

上杉謙信のイラスト

上杉謙信

上杉謙信は、1530年(享禄3年)1月21日に春日山城新潟県上越市)で誕生しました。

幼少の頃は、手が付けられないほどやんちゃな一面もあったと言われています。

幼少時に預けられた林泉寺時代に教養や兵学を身に付け、ここでの経験が戦国時代最強の武将と言われる礎を築きました。

上杉謙信の初陣は15歳。当時の初陣の年齢としては標準的なタイミングでした。そうして初陣を見事に勝利した上杉謙信は、ここから戦国最強の武将への道を進むこととなります。

上杉謙信と城
上杉謙信の生涯と、ゆかりのある城について紹介します。

上杉謙信と武田信玄の「川中島の戦い」

武田信玄

武田信玄

上杉謙信と言えば、誰もが知っている武田信玄との「川中島の戦い」があります。

この川中島の戦いは、合計5回、約12年に亘る戦いが繰り広げられました。

しかし、この川中島の戦いは現存する資料がなく、謎めいているのも事実です。本当に武田信玄との一騎打ちがあったのかなど、歴史的な武将だけに話題はつきません。

上杉謙信の愛刀/典厩割国宗

時代 ランク 所蔵・伝来
鎌倉時代 名物 上杉謙信→佐竹家→
井伊美術館

川中島の戦いで使われていた日本刀が「典厩割国宗」(てんきゅうわりくにむね)です。

武田軍の副将「典厩信繁」(てんきゅうのぶしげ:武田信玄の実弟)を討った刀と言われています。

また、小田城の戦いで小田氏治を打ち破った佐竹義重氏に譲った日本刀でもあり、佐竹義重氏は、佐竹家の家宝として大切にしました。

上杉謙信より引き継いだ「上杉家御手選三十五腰」

上杉謙信は、愛刀家としても知られていますが、刀剣の優れた鑑定眼を持っていたと言われています。上杉謙信亡きあとは、米沢藩の初代藩主「上杉景勝」(上杉謙信の養子)に引き継がれ上杉家の家宝として受け継がれました。

「上杉家御手選三十五腰」(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)は、上杉景勝が特に気に入った物を選抜した名刀リストのことです。

この三十五腰のうち、上杉謙信の佩刀は二十八腰とされています。しかし、もとの台帳が紛失しているため、三十五腰の内容について確実なことは分かっていません。

ただし、「上杉家刀剣台帳」で「三十五腰之内」と記載されている以下35振中の26振は、上杉家御手選三十五腰に含まれます。また、近年の研究により、残りの9振(※)についてもある程度推定されていますが、研究の更なる発展が待たれるところです。

「上杉家刀剣台帳」記載の刀剣三十五腰
菊一文字・菊御作 姫鶴一文字 備前長光
山鳥毛一文字 高木長光 備前則包
備前真守 行平 国行
貞宗 来国光 来国次
瓜実安則 九郎二郎 三日月兼光
唐かしわ 備前国雲生 高瀬長光
五虎退吉光 火車切 豊後瓜実
義弘 小反兼光 三本寺吉光
左文字 大柿正宗 来国俊(※)
豊後行平(※) 備前三郎国宗(※) 謙信景光(※)
般若ノ太刀(※) 穿鏨郷(※) 備前守家(※)
長光(※) 水神切兼光(※)

(※)は推定のもの

上杉謙信の愛刀/姫鶴一文字

姫鶴一文字
姫鶴一文字
鑑定区分
重要文化財
刃長
71.5
所蔵・伝来
上杉家 →
個人蔵 →
米沢市上杉博物館

三十五腰の中にある「姫鶴一文字」(ひめつるいちもんじ)は、上杉謙信が長すぎるからと言って、研師に磨上げるように指示しますが、預かった研師が夜に見た夢に美しい女性が現れ、「どうか切らずにお願い致します」と何度もお願いしたそうです。また、この女性の名を確認したところ「鶴と申します」と言われたことから姫鶴一文字とし、磨上げは行ないませんでした。

その姫鶴一文字のエピソードとして有名な話があります。あるとき、明治天皇が上杉家に立ち寄られた際に、上杉謙信の愛刀姫鶴一文字をご覧になられました。明治天皇は愛刀家としても知られており、この姫鶴一文字を特に気に入られ、ご自身のコレクションとして押形をされたそうです。

上杉謙信の愛刀/山鳥毛一文字

時代 ランク 所蔵・伝来
鎌倉時代 国宝 備前長船刀剣博物館

当時は長尾家伝来の備前長船兼光の作と言われていましたが、現在は鎌倉時代の福岡一文字派の日本刀と言われています。

この「山鳥毛一文字」(やまとりげいちもんじ/さんちょうもういちもんじ)は、刃文が鎬まで大きく丁子乱れとなっており、まるで山鳥の羽根が逆立ったように見えることから、この名称になったそうです。また、物打ちの一部が皆焼きになっているのが特徴です。

上杉謙信は、山鳥毛一文字の拵に合口拵を用いて愛刀としていました。

太刀 銘 越後国義光作(山鳥毛写し)
太刀 銘 越後国義光作(山鳥毛写し)
越後国義光作
鑑定区分
未鑑定
刃長
78.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

上杉謙信の愛刀/太刀 国宗

同じく三十五腰のひとつともされる本太刀の作者である国宗は、「備前三郎国宗」(びぜんさぶろうくにむね)と呼ばれた名工です。

国宗の作風は鎌倉中期の太刀姿ではあるものの、反りの深い品格のある姿が特徴となっています。刃文は備前伝の典型である匂い深く小沸(こにえ)づいた丁子乱れを焼き、丁子映りも現れています。また、後世の相州伝の基本となる焼入れ法によって飛焼風のところも現れており、相州伝の礎を築いた「新藤五国光」の師でもある国宗の一面が伺える作品です。

太刀 銘 国宗(上杉家伝来)
太刀 銘 国宗(上杉家伝来)
国宗
鑑定区分
重要美術品
刃長
67.3
所蔵・伝来
上杉家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

毘沙門天の生まれ変わり 名将上杉謙信

上杉謙信は、旗印に「毘」の文字を掲げ、自らを毘沙門天の生まれ変わりとしていたことで知られています。

毘沙門天は、持国天、増長天、広目天の四天王の一尊です。この毘沙門天を戦いの神として崇拝していた上杉謙信は、生涯70戦の戦いにおいて、敗戦は「臼井城の戦い」、「生野山の戦い」の2戦のみと、戦国最強の武将ならではの逸話も残っています。

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